[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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(3): 2014/10/04(土)12:04 ID:hMj0Dqqc(1/2) AAS
>>6>>8
去年あたりから執拗に童貞がどうたら喚いてるが日蓮は童貞じゃないのか?
38
(65): 2014/10/08(水)14:14 ID:FbRSUuKZ(2/2) AAS
つづき

しかしながら、32でも述べたように、“出家”という概念が崩壊した今、
厳密な意味での教義的な議論は不可能になりつつあると思います。
なぜなら、知識のみで経験のない人間が集まったところで議論は成り立たないからです。
誰も真相を知らないとなれば、説明と納得というプロセスが機能しません。
いわば全員が生徒、あるいは教師であっては、授業になりません。
このスレがよい見本でしょうに。

>そして日蓮は刑に服し罪を償った。それで終わりです。

まーたこんな使い古したネタを持ち出して来て……。
そんな詰まらない筋書きは、いかにも“2ちゃん脳”的妄想なんだと、
省3
45
(3): [age] 2014/10/09(木)19:54 ID:19UGI4cM(1) AAS
>>43
>しかし日蓮が祈祷に自信を持ち、特に病気平癒の面で力を発揮したという
のは初耳です。できればソースをお願いします。

1.弘長元年(1261年)伊豆流罪の際、地頭、伊東八郎左衛門祐光から、病気
平癒の祈祷を頼まれ、日蓮が祈ると病気は治った。
2.文永元年(1264年)母の妙連が息絶えたが、日蓮が祈ると生き返り、4年
も寿命を延ばした。

日蓮は病気平癒、安産祈願、厄除けなど、様々な祈祷を行いました。
59
(3): スチールカン 2014/10/11(土)00:02 ID:ooeDyBmd(1) AAS
伯耆公御房消息の
「明日寅卯辰の刻にしやうじがわの水とりよせさせ給い候て、このきやうもんをはいにやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候」

と、このような方法で病気が治せるって誰が先に言ったのでしょうね。
きっと、法華経本文には無いですよね。
64
(3): 2014/10/11(土)08:55 ID:C56l4DqL(3/4) AAS
新すれだから注意喚起で、また安国論年表貼っとくわ。
武井咲ちゃんのドラマでチラッと小耳にはさんだ、
八年前のことなんか、ダレも覚えちゃいないわよっ !
・・。

1260年7月 立正安国論を幕府に提出(という設定)
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・八年間、安国論についての記述がない←ここ注目 !!!
65・・・
省18
79
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/12(日)23:21 ID:TdDXZKh6(1) AAS
日蓮の父の名が貫名重忠だとか三国太夫だとか、母は清原氏の梅菊だとか、法名は妙日と妙蓮だとか、
他にも皇胤説だの武家説だのと色々ありますが、いずれも長い年月を経て出た根拠の無い伝承ですね。

>>59 スチールカン さん
誰と言いますか、宗教的・(おまじないも含めた)民間療法的な風習として結構一般的だったようですよ。
他宗教でも、神道や修験道などでも、そのような事例はあるそうです。発祥はもちろん中国でしょうね。
医療目的以外の例としては、それが事実かどうかは別として、清洲同盟の際の起請文の話が有名ですね。

また、現代でも、「御相承に基づく秘伝の御秘符」などと言って似たようなことをしているのが日蓮正宗ですし、
少し前まで、それを真似た「御符」を出し、指導者がその効能に太鼓判を押していたのが創価学会ですから、
そんな事実も知らずに自爆ネタを振りまく信者さんはともかく、探せば他にも色々と残っているのかもしれません。
83
(3): 2014/10/13(月)08:50 ID:QGguo4xu(2/3) AAS
それと五時八教は天台大師のまちがいと、
さかんに書いてる人いて、スゴい気になるんですけど、
そんな箇所は少なくとも三大部のなかには、存在してませんよ。

天台大師は五味のたとえ (五時) にしたがって分類された、
それぞれの経典群の性格をおおざっぱに解説してるだけで、

それも五味は、味の違いでしかない、と何か所も書いてるから、
仏を説明する手法がちがうという言い方なんであって、
どれが優れてるとはひとことも言ってないのだ。

そして五時にある、法華経と涅槃経については、
涅槃経には仏性の記述があり、法華経にはそれがないと書いてあって、
省6
90
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/13(月)21:58 ID:Tla/fgM5(1/2) AAS
>>81 スチールカン さん
挙げられている薬王品の偈と、その続き(此経則為 閻浮提人 病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅
不老不死)が、伯耆公御房消息に謂う「二十八字」であり、灰水を飲ませた根拠(文証)だったのでしょう。

この件に関する書は、真蹟ではその名の通り「可延定業書」ですが、こちらでは「祈って治って延命した」とあり、
伯耆公御房消息(日朗代筆)が確実な書なら、上記の偈の通りに法華経や題目などを唱えて治病を祈願し、
息を引き取った時点で、現代の心臓マッサージのような蘇生手段として灰水を飲ませたものと思われます。

他にも例えば、経文や呪文を書いた御札を貼ったり、霊験あらたかな川や泉の清水を霊水と呼んで飲ませたり、
そういったことが真っ当な「医学」としてまかり通っていた時代ですから、私は特にどうこう言うつもりはありません。

現代でも、風邪を引いたら喉にネギをあてたりする人いますよね。
98
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/14(火)23:48 ID:Hkbjl3FY(1) AAS
>>97 スチールカン さん
私もかつて、「一字一句が皆仏」とか、「賢者は仏と観、愚者は文字と観る」みたいなことを書いているのに
その「仏」を焼いて良いものなのだろうかと不思議に思ったことがあり、それが>>90の「確実な書なら」にも
つながっているのですが、既述の通り、当時は一般的にも「有り」だったようで、そういうものですか、と。

もともとが中国発祥の風習でしょうし、しかもおそらくは中華仏教ではなく、道教あたり?のものでしょうから、
経典のルーツ以上に、遡ってゆくほど辻褄が合わなくなるのも、ある意味仕方の無いことだろうと思います。

そんなこんなを踏まえた上での>>46でした。

日蓮も、(日興を含む)直弟子・孫弟子達も、「仏は釈尊・経は法華経」で一貫していますからね。
113
(3): 2014/10/20(月)21:16 ID:8TnIqjq4(1) AAS
横から失礼するが、なんで日蓮教、殊に興門系は法華経に拘る?
仏になるには法華経を絶対としなければならないのか?
先日京都大徳寺の孤篷庵に行ったのだが、
小堀遠州の晩年好んだ句が「忘筌」ということを教えてもらった。
魚を得るという目的に筌を使うのだが、魚を得てしまえば筌は無用になる。
魚を獲るためには筌だけでなく他にも方法はあるだろう?
釣りでもいいし、網でもいい。
なぜ法華経でなければならないのだ?
116
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/21(火)00:28 ID:GVVZCtbN(1) AAS
>>112 さん
>>106で挙げたうち、密教の護摩行は、ルーツをたどればバラモン教あたりに行き着くのではないでしょうか。
とげぬき地蔵尊の高岩寺は曹洞宗の寺院ですが、地蔵菩薩の絵を飲みます。浅草寺や川崎大師などでは
境内の香炉から出る煙を浴びれば御利益があるといいます。が、私はこれらの経典上の根拠を知りません。
また神道に至っては、経典類はおろか教義すら無いと言います。もちろん付法も相承も潅頂もありません。

ひるがえって、私は日蓮本人の相承や潅頂などに関する議論の結果は知りませんが、日朗・日昭らの直弟子や
後世の門下には、比叡山などで受戒した者も多くいたと聞きます。また他の仏教各派においても、受戒した者や
付法を受けた者が破門されたり、新宗新派を開くなどした場合は、それらの「資格」の扱いはどうなるのでしょう。

由緒ある寺社が領地を構え、荘園を運営し、私物私財を集め、僧兵大衆を抱え込み、強訴争乱に明け暮れ、
また座主や管長・住持などの要職も、公家・武家あるいは身内の様々な事情によって容易に左右されてきました。
省2
122
(3): 38 2014/10/21(火)09:51 ID:7hox3ak+(1) AAS
>120
そりゃこっちの台詞だ童貞( ・ε・)

ネットで宗教叩きとか、犯罪者予備軍か?
129
(4): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/22(水)00:27 ID:mCW3zKGC(1) AAS
>>121>>125 さん
なるほど、そうですか。私はむしろ逆に、事実認識がかなり異なるのが原因なのかもと感じていました。
私の浅識では、三戒壇と聞けば東大寺・下野薬師寺・筑紫観世音寺ですし、真言律宗など、いわゆる鎌倉仏教は
基本的に南都・比叡山などの既成仏教に対する反発から起こり、各地で独自の戒壇や作法が数多く生まれたという
認識でいます。当の叡尊がそう(自誓受戒→西大寺他の戒壇建立)ですし、忍性も合流以降は同様の立場です。

道元は比叡山で受戒しましたが、官寺でないため中国では僧とはみなされず、改めて中国曹洞宗の印可を受けました。
ところが帰国後、今度は叡山から否定され弾圧されます。これまた根拠を失うわけですが、道元の偉大さはゆるぎません。
が、それらの「厳格な宗派」も、室町以降は世俗化、形骸化、分派とか内紛とか事件とか犯罪とか、まぁ色々です。
しかしながら、偉僧・傑僧も出ているわけで、これらが私が受戒や潅頂、相承などにさほど意義を見いだせない理由です。

そんなこんなを、揚げ足取りや論破目的などと思われないよう、上の方では出来る限りやんわりと書いてきたのでした。
省2
138
(5): 2014/10/23(木)00:24 ID:yWz2Pz0x(1/9) AAS
AA省
139
(5): 2014/10/23(木)00:26 ID:yWz2Pz0x(2/9) AAS
>>138 続き

私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−2

○ 従ってこの日蓮が大昔に開発したこの唱え行とは単純に真言の阿字観瞑想法。
  少なくともその亜流にほかならない。

○ それが、法華経というお経のタイトルにしたので、たまたま経文と関係づけれて
  迷信と同様に啓蒙主義以前、中世以前の意識によって関係付けられ、中世的理解
  の中で「騙されて」仏教として広まっただけに過ぎない。

○ これを本質的な「仏教」に昇華するには、この体で反響するものを日蓮的に
  受け取っている限りは不可能である。
140
(4): 2014/10/23(木)00:49 ID:yWz2Pz0x(3/9) AAS
>>139 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−3

創価学会という現代の集団が、結局はこの>>138の感覚で受け取り、伝統宗教の必要
を感じなくなったのは、近代の科学論理の啓蒙主義以後の流れとして必然であり、
単純に「無意識に暗示を掛けて成功する種類の自己啓発教」に過ぎないと観念した
のは、この真言的行法の本質からすればむしろ当然である。

(例証)速度が速い創価学会
動画リンク[YouTube]

従って、日蓮教は現代では本質的に科学的に相対化されていくことになる。
創価学会という存在はその一例に過ぎない。
省11
142
(3): 2014/10/23(木)01:30 ID:cfz8Vrg4(1/2) AAS
>>137
>私なんかは、「当に知るべし」とか「故に知んぬ」などのフレーズが
>半ばトラウマになっていて、今さら読めと言われても読みたくないです(笑

定型文だと思えばそんなもんですが、肝腎の依義判文抄あたりに多いので
そういう印象があるのかもしれません。

> 浄土宗については(も)全く疎いので分かりませんが、その日寛の理論は
>「末法の始めの5百年」が過ぎた後ならでは、という印象を受けます。

「久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。
若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。
故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし」 『当流行事鈔』
省4
146
(3): 2014/10/23(木)08:39 ID:YkZJE0vC(2/2) AAS
145の続き
そこでご質問の「忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)の経典上の根拠はどこにあるとお考えでしょうか。 」ですが、
私の知る限り、忍性の具体的な内容は未詳と思っています。そこでこれが事実かどうかはとりあえず不問にして簡単に私見を述べます。

真言の祈雨といえば空海が天長元年(824年)、京都の神泉苑で行った請雨経法が有名ですが、鎌倉時代に叡尊の書写と言われる、
「神泉苑請雨経法道場図」(重要文化財)というのがあります。これは延応2年(1240)にやはり京都の神泉苑で行われた祈祷の図です。
空海の時と同じく、請雨経という経典に基づいて密教の作法で執り行われたものと考えられ、また忍性は叡尊の直弟子ですから、忍性もまた
この請雨経法を行ったと思われます。雨や水を支配するのは蛇つまり竜王ですし、請雨経法曼荼羅では内院に描かれますから、八大竜王も
当然入っていると思われますが、この図では孔雀明王が本尊とされています。孔雀は毒蛇を食べるとされているので、蛇すなわち竜を調伏させ、
「雨を降らせよ」と言うことを聞かせるわけです。ちゃんと教理として筋道が立っています。また密教の祈雨法に水天法というのがありますが、
この場合でもまず八大竜王を勧請することが色々な経典にあるとのことです。まず竜王を呼び出して、それから祈祷するというのは道理です。
省3
150
(6): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)13:00 ID:oXSV7oc/(5/5) AAS
>>149の補足です。
私のレスはいつも長いので、以前から原則として「1人の相手の方に対して、1度に1レス(15行以内)」という
自主規制を設けていまして、特にほとんど徒労に終わった龍ノ口の議論以降はそのように心がけていたのですが、
これだけ付き合っていただいた上に、言い出しっぺが丸投げなのもどうかと思い、自分でも少し検索してきました。

鎌倉の廃寺を語る ?中世都市の栄枯盛衰? (2) 有鄰堂
外部リンク[html]:www.yurindo.co.jp
要旨ながら客観的で読みやすいものを。終盤で言及されています。内容から日蓮系の人はいないと思われます。

奈良市埋蔵文化財調査センター紀要 柿経の考察 一分類と編年について一 奈良市教育委員会
(pdfです。URLが長いので短縮したらエラー?で書き込めませんでした。上記コピペですぐに出てくると思います)
既に御存知かもしれませんが、柿経そのものについて詳しく解説されているようです。私はここまで知りませんでした。
省2
159
(6): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/24(金)13:40 ID:woEVQHjD(1) AAS
>>157->>158 さん
昨夜、>>150で挙げたサイトを見ていたら、別の記事でも言及されていましたので御覧になってみて下さい。
出席者についても簡単に紹介されています。仏法寺出土の柿経につき、複数のサイトで「忍性の祈祷のもの」と
推定 or 断定されているようですが、その過程と理由の一端がお分かりになるかと思います。中盤以降です。

中世鎌倉の発掘 (1) 仏法寺跡と由比ヶ浜南遺跡をめぐって 有鄰堂
外部リンク[html]:www.yurindo.co.jp

(参考) 極楽寺境内絵図 有鄰堂   ※ それまでの発見例と併せ、「信徒供養説」の参考にされて下さい。
外部リンク[html]:www.yurindo.co.jp

あと、上記の対談記事の末尾や、>>150のpdfファイル(特に「X 編年」の項)の通り、柿経の発祥はあくまでも
寺院であり、そこから時代を経て民間にも広がっていったものだろうと思います。写経の歴史と同じ過程ですね。
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ぬこの手 ぬこTOP 0.221s*