[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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139(5): 2014/10/23(木)00:26 ID:yWz2Pz0x(2/9) AAS
>>138 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−2
○ 従ってこの日蓮が大昔に開発したこの唱え行とは単純に真言の阿字観瞑想法。
少なくともその亜流にほかならない。
○ それが、法華経というお経のタイトルにしたので、たまたま経文と関係づけれて
迷信と同様に啓蒙主義以前、中世以前の意識によって関係付けられ、中世的理解
の中で「騙されて」仏教として広まっただけに過ぎない。
○ これを本質的な「仏教」に昇華するには、この体で反響するものを日蓮的に
受け取っている限りは不可能である。
140(4): 2014/10/23(木)00:49 ID:yWz2Pz0x(3/9) AAS
>>139 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−3
創価学会という現代の集団が、結局はこの>>138の感覚で受け取り、伝統宗教の必要
を感じなくなったのは、近代の科学論理の啓蒙主義以後の流れとして必然であり、
単純に「無意識に暗示を掛けて成功する種類の自己啓発教」に過ぎないと観念した
のは、この真言的行法の本質からすればむしろ当然である。
(例証)速度が速い創価学会
動画リンク[YouTube]
従って、日蓮教は現代では本質的に科学的に相対化されていくことになる。
創価学会という存在はその一例に過ぎない。
省11
141(2): 2014/10/23(木)01:18 ID:yWz2Pz0x(4/9) AAS
>>140 続き
さて、そこでこれが創価学会や日蓮正宗の皆さんの最大の関心事となるだろう。。
>>139
○ これを本質的な「仏教」に昇華するには、この体で反響するものを日蓮的に
受け取っている限りは不可能である。
そうだ、これに気が付けば、皆さんも本質的に成仏が可能となる。
創価学会や日蓮正宗の皆さんは、今皆さんが仏教だと思って専心しておられる
処のものが、実はそれとは似て非なるものであることを知らなければならない。
ではご意見あれば書いておいてください。ではまた。
142(3): 2014/10/23(木)01:30 ID:cfz8Vrg4(1/2) AAS
>>137
>私なんかは、「当に知るべし」とか「故に知んぬ」などのフレーズが
>半ばトラウマになっていて、今さら読めと言われても読みたくないです(笑
定型文だと思えばそんなもんですが、肝腎の依義判文抄あたりに多いので
そういう印象があるのかもしれません。
> 浄土宗については(も)全く疎いので分かりませんが、その日寛の理論は
>「末法の始めの5百年」が過ぎた後ならでは、という印象を受けます。
「久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。
若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。
故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし」 『当流行事鈔』
省4
143: 2014/10/23(木)01:47 ID:juGjBeJv(1) AAS
大石寺日寛と富永仲基は、ほぼ同じ時代だったんだね。八代将軍吉宗の時代だ。
144: 2014/10/23(木)02:05 ID:cfz8Vrg4(2/2) AAS
先入観を捨てて読めば、様々な元ネタが透けてみえる。
145(1): 2014/10/23(木)08:37 ID:YkZJE0vC(1/2) AAS
>>136
山椒島さん、私が日蓮の「経文を燃やした灰を飲め」という指示が、おまじないの類というのは、経典上の根拠がないからだと繰り返し言いました。
とどのつまりではなく、初めからそう言っています。レス番でいえば101や104は示唆しただけですが、108や112は明確にしたつもりです。
ただそのたびに133で例示したように、山椒島さんが話を敷衍してこられたのです。それで私はやはり経典上の根拠はないのだと思いました。
忍性の祈雨祈祷についてですが、昨日も多少気になったのですが、山椒島さんが129で言う、「伯耆書では焼いて灰を飲ませ、
忍性の祈祷は木片に書いて池に投げ込む。どちらも同じ法華経です。面白いですよね。」の何が面白いのか私にはわかりませんでした。
で、昨日は触れませんでしたが、再度136で、「忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)」と繰り返されました。
山椒島さんが既定事実とされているかのような、この記述の出所は、ひょっとして日蓮宗の坊さんの高橋某師のブログでしょうか?
もしそれ以外なら、ソースをご教示願えればと思います。
146(3): 2014/10/23(木)08:39 ID:YkZJE0vC(2/2) AAS
145の続き
そこでご質問の「忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)の経典上の根拠はどこにあるとお考えでしょうか。 」ですが、
私の知る限り、忍性の具体的な内容は未詳と思っています。そこでこれが事実かどうかはとりあえず不問にして簡単に私見を述べます。
真言の祈雨といえば空海が天長元年(824年)、京都の神泉苑で行った請雨経法が有名ですが、鎌倉時代に叡尊の書写と言われる、
「神泉苑請雨経法道場図」(重要文化財)というのがあります。これは延応2年(1240)にやはり京都の神泉苑で行われた祈祷の図です。
空海の時と同じく、請雨経という経典に基づいて密教の作法で執り行われたものと考えられ、また忍性は叡尊の直弟子ですから、忍性もまた
この請雨経法を行ったと思われます。雨や水を支配するのは蛇つまり竜王ですし、請雨経法曼荼羅では内院に描かれますから、八大竜王も
当然入っていると思われますが、この図では孔雀明王が本尊とされています。孔雀は毒蛇を食べるとされているので、蛇すなわち竜を調伏させ、
「雨を降らせよ」と言うことを聞かせるわけです。ちゃんと教理として筋道が立っています。また密教の祈雨法に水天法というのがありますが、
この場合でもまず八大竜王を勧請することが色々な経典にあるとのことです。まず竜王を呼び出して、それから祈祷するというのは道理です。
省3
147(1): [age] 2014/10/23(木)12:36 ID:b7FhVH2d(1/2) AAS
>>146
>おっしゃるような「池に竜王を呼びだすための木片を投げこむ」というの
はうなづけます。ただそれが法華経であったかどうかやや疑問です。
最近、極楽寺にある池の調査が行われ、かわらけに、法華経の経文が書かれ
た物が発見された。忍性の時代の、かわらけだった。したがって、極楽寺良
観(忍性)は祈雨のとき、法華経を唱えながら、法華経の経文を書いた、か
わらけを池に投げていたと推察される。当時、どの宗派にとっても法華経は
大切な経であり、極楽寺良観が、法華経を唱えていても不思議ではない。
法華経以外は、祈祷であまり効果がない、と言ったのが日蓮だったが、極楽
寺良観が法華経を唱えて祈祷し、雨が降らなかったとすると、面倒なことに
省1
148: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)12:54 ID:oXSV7oc/(3/5) AAS
>>142 さん
取り去って抽出ですか、なるほど。
「釈尊の仏法は正像で終わり」と言い放ち、種脱相対を立てて日蓮本仏論に持っていくという、
六巻抄(これも依義判文抄でしたか)に関する記憶や印象から来る違和感が解けました(笑
ただ、日蓮の広宣流布観はやはり、天下万民一同に南無妙法蓮華経と唱える時、でしょうから、
日寛が遺文を引用した時点で、既にある程度のズレが生じているのかもしれませんね。
149(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)12:55 ID:oXSV7oc/(4/5) AAS
>>145->>146 さん
私の理解では、経典≒化法とは言っても良いかと思いますが、「教義的根拠」となると話が違ってきます。
「化儀」、「作法」まで広げると明らかにその範囲が異なります。話が敷衍したのは、その確認のためです。
忍性の祈祷についてですが、柿(こけら)経と呼ばれるそうで、教えて下さったのは>>129の御僧侶です。
とても信じられず、他の複数の宗派の方達にも確認しました。私の一連のレスは、言わばその集成です。
宗派を問わず行われ、鎌倉では旧・極楽寺境内地はもちろんですが、建長寺でも出土しているとのこと。
また、鎌倉仏教以前の宗派の寺院、神社や城址などからも出ており、やはり法華経が多いのだそうです。
柿経・極楽寺・仏法寺などを単・複で検索すれば、もっと詳しく、正確なソースも色々と出ると思います。
およそ日蓮が絡む話について、系統の教団の信徒さん達なら、関係するサイトは重宝するのでしょうけれど、
文書の扱いも理論構成も、基本的に個々の自派都合ですから、私のような者はあまり参考に出来ません。
省2
150(6): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)13:00 ID:oXSV7oc/(5/5) AAS
>>149の補足です。
私のレスはいつも長いので、以前から原則として「1人の相手の方に対して、1度に1レス(15行以内)」という
自主規制を設けていまして、特にほとんど徒労に終わった龍ノ口の議論以降はそのように心がけていたのですが、
これだけ付き合っていただいた上に、言い出しっぺが丸投げなのもどうかと思い、自分でも少し検索してきました。
鎌倉の廃寺を語る ?中世都市の栄枯盛衰? (2) 有鄰堂
外部リンク[html]:www.yurindo.co.jp
要旨ながら客観的で読みやすいものを。終盤で言及されています。内容から日蓮系の人はいないと思われます。
奈良市埋蔵文化財調査センター紀要 柿経の考察 一分類と編年について一 奈良市教育委員会
(pdfです。URLが長いので短縮したらエラー?で書き込めませんでした。上記コピペですぐに出てくると思います)
既に御存知かもしれませんが、柿経そのものについて詳しく解説されているようです。私はここまで知りませんでした。
省2
151(1): 2014/10/23(木)22:15 ID:yWz2Pz0x(5/9) AAS
>>138-141 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−4
>>138 で日蓮正宗・創価学会での題目唱えの要領とは、要するに音楽的効能に
他ならないと言った。なのでスピードは速くするほど乗りやすくなる、と。
繰り返しの速度
= 本質は体の反響が利用されるのであり、その速度は
速いほど血流が良くなり乗るのでサルのナントヤラのようになる。
(例証)動画リンク[YouTube]
速度が速い創価学会
動画リンク[YouTube]
省13
152(1): 2014/10/23(木)22:19 ID:yWz2Pz0x(6/9) AAS
>>151 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−5
読経でも普通に使われている。
日蓮宗大太鼓 【7】自我偈大太鼓
動画リンク[YouTube]
このように、太鼓はリズムを取るために使われているが、それには人間工学的な
意味が大きくあり、題目を唱えるときの効能に大いに関係している。
それは人間が太鼓として共鳴することを利用しているからであり、和太鼓の低音が
その共鳴に寄与するためである。その低音は横隔膜の振動数に共鳴しやすいから
である。それが体の血行を良くしてリンパの働きも活性化して、また音楽で弛緩
省3
153(1): 2014/10/23(木)22:23 ID:yWz2Pz0x(7/9) AAS
>>152 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−6
リズムによる音楽として効果を狙っているのは、すでに元々真言宗で立派に
音楽としてまかり通っていた。
★ 和太鼓でお経を読む音楽読経パフォーマンス
法楽太鼓 5 「般若心経」+「九字」+「如意輪」 @増上寺
動画リンク[YouTube]
(この演奏は「向源」にてらしい。「向源」とは2011年9月
仏教と音楽を軸としたイベントとしてスタート 外部リンク:kohgen.org)
省8
154(1): 2014/10/23(木)22:49 ID:yWz2Pz0x(8/9) AAS
>>153 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−7
★ 完全に西洋ドラムのソロ・パフォーマンス的な演奏
奉納太鼓 「妙音天」「光明」「如意輪」(真言宗豊山派 東谷寺)
動画リンク[YouTube]
動画リンク[YouTube]
動画リンク[YouTube]
★ 禅宗ですらも太鼓は使うお寺があったもよう
曹洞宗 祈祷太鼓 動画リンク[YouTube]
省12
155(1): 2014/10/23(木)23:10 ID:yWz2Pz0x(9/9) AAS
>>154 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−8
さて、そこで>>142の件である。
その前に参考として、これをごらんください。
静岡県本山海長寺貫首 菅野日彰さんという方が「南無の会の〜さんという方が
”永平寺に行くと日蓮さんに会えるよ”と言った。云々」と言っておられますね。
仏力、法力、信力のお題目 その6
動画リンク[YouTube]
省10
156: [age] 2014/10/23(木)23:26 ID:b7FhVH2d(2/2) AAS
祈雨の種類について述べる。古代の農耕社会においては、雨を
降る降らないは、大問題であった。祈祷で雨を自在に降らせら
れれば、政府の重職に任ぜられるほどであった。
1.請雨行法(しょううぎょうほう)・・・大雲輪請雨経に基づく
2.水天供(すいてんく)・・・水天を本尊として行う。
3.孔雀経法(くじゃくぎょうほう)・・・龍を供養し喜ばせる
4.迦楼羅天法(かるらてんほう)・・・猛禽類を神格化した迦
楼羅(かるら)の力で龍を支配する。
また、雨を降らせるだけではだめで、雨を止めなくてはならな
い。降り続けば、逆に大雨による災害が発生するからだ。
省2
157(1): 2014/10/24(金)08:39 ID:VWD4e4Ae(1/3) AAS
>>147>>149>>150
149さん、山椒島さん、私の146は、断ってあるように「忍性が祈雨の祈祷に木片を池に投げ入れた」を所与の事実として私見を述べたものでした。
しかし改めてみなさんのレス内容を参考に関連事項を調べてみました結果、以下のように私見を改めます。
1.出土した木片は柿経であり、これに関する山椒島さんの149の2段目の記述はほぼ正しい。ただ忍性の祈祷とは無関係と思われる。
2.忍性の祈祷は真言の請雨経法によるものと考えられるが、これも他の祈祷と同じく用いた護符その他は破棄されるようである。竜王の勧請の
ためなら八大竜王の梵名か漢訳名を記した紙片を池に浮かべ真言を唱えるといった仕方が自然である。
3.出土した柿経は湿気の多い沼沢で700年持ったくらい耐久性のある木材(竹?)で、しかも竜王の名前だけでなく法華経の経文であり、
その数もかなり多く、おそらく元は法華経の全部もしくは相当な部分を写したものと想像され、祈祷には不自然である。
4.柿経は山椒島さんが149で言うように宗派を問わず、全国的に出土例が多く、法華経が多いというのも事実であるが、これらは追善供養や
罪障消滅を祈願する目的で、僧侶というより信徒が行ったようである。忍性の師である叡尊の立てた奈良の西大寺からも多く出土している。
省5
158(1): 2014/10/24(金)08:44 ID:VWD4e4Ae(2/3) AAS
157の補足
なお山椒島さんの136の「焼くのも投げるのも埋めるのも流すのも、『経典を粗末に扱っている』感が満載、違和感バリバリです。」ですが、
密教の請雨経法では上の2に書いたように、用いた護符その他はすべて祈祷が終わった後に破棄することになっていますが、これは孔雀明王や八大竜王に
祈願すると同時に「供養する」という意味合いがあるので、使いまわしや保存はされないです。再び祈祷するときは、また新しいものを用意します。
また法華経の経文の柿経を池などに沈めるのを特に奨励している宗派は見当たらないようですから、例えば池で入水した人や水難で亡くなった人を弔ったり、
あるいは、心ならずも殺人などの罪を犯した人々が罪障消滅を願った民間の習俗として広まったと思えば、むしろ自然な感じで納得できると思います。
なくなった方が法華経の経文に接して成仏するというのは、法華経の内容からしても、素朴で自然な回向の発想と思えます。
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