[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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112(1): 2014/10/20(月)07:28 ID:6GW5hblX(1) AAS
>>109
レスが遅くなりました。私も山椒島さんの仰る意味について混乱してきましたw 思うに山椒島さんの趣意はこういうことでしょうか。
1.「おまじない」というのは宗教的な観念と関係のない、かといって科学的根拠もない気休め的な呪術行為の謂いである。
2.しかし日蓮の行為は本人の宗教信条に基づいて真面目に意識的にやったものである。したがっておまじないではない。
3.宗教信条に基づいてやる祈祷が「おまじない」なら、国家護持の祈祷や忍性などの祈雨の祈祷なども「おまじない」である。
私のいう「おまじない」は、本人の真剣度と関係なく、教義の相承や経典の教義的根拠を持たない呪術行為という意味です。
どんな「おまじない」でも何らかの宗教的観念に関係しているでしょうが、それらのルーツは曖昧で、宗教的な儀式とは別と思います。
忍性は16歳で東大寺戒壇院で受戒し、また潅頂を受けて戒律と密教をともに修する立場でしたから、祈祷は正式な儀式です。
日蓮の場合、法華経の経文を焼いて病気平癒を祈るという呪術行為は、経文に根拠がなく、「おまじない」と言えると思います。
日蓮の門弟らが日蓮を真似て法華経の経文を燃やす呪法を化儀としたとしても、それ以前の経典に根拠がなければ同じことです。
こういうとまるで私が学歴偏重みたいに外見的基準だけを絶対視しているかのように思われるかもしれませんが、それは全くちがいます。
本来、仏教における受戒や潅頂という儀式は師が弟子の内面、まさに外見ではない内面的な成熟を認めたという前提があるからです。
つまり教学や化儀や戒律など外面的な習熟だけではなく、師は弟子の内面を見て付法するのです。これは禅宗なども同じです。
禅宗の公案も、訳のわからない問答の代名詞のように言われますが、やはり師は弟子の応答に機根の成熟度合いを測るものです。
つまり付法ということは、主観的自己評価ではなく、師が客観的に受戒する弟子の内面的な成熟にお墨付きを与えるということです。
日蓮系の場合、このあたりがほとんど問題にされないようで、これは法華経のせいでもあり日蓮自身の性格のせいでもあると思われます。
内外への誹謗中傷、珍妙な功徳・仏罰論、果ては「仏とは生命の当体」などと好き勝手な解釈がでてくる素地もそこにありそうです。
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