[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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530(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/12(木)20:18 ID:H9uiaEax(2/4) AAS
>>529 さん
兵革・兵乱ともに戦争・戦乱といった意味で、別に内戦に限りません。具体的には、たとえば、
> 四方の怨賊来たりて国を侵し 内外の賊起こり 火賊水賊風賊鬼賊あって 百姓荒乱し
> 刀兵劫起せん 是の如く怪する時を七の難と為すなりと (災難対治抄)
などとある通りです。この節は安国論でも引用されていたと思います。「仏典の引用」はその通りで、
安国論も含めて、日蓮の主張は「自分の予言」ではなく「経文の予言」、つまり「仏の予言」です。
「三災七難のうち、他は既に起きただろう。残りも必ず起きるぞ!」というのが一貫した趣旨です。
突っ込みを入れるなら、そこではなく、たとえば「元寇は"四方の"怨賊じゃないでしょ」でしょうか。
本当に経文通りというのなら、台湾・ハワイ・ロシア(アイヌ)からも一斉に侵攻されることになりますね。
531(1): 2015/02/12(木)21:25 ID:r83kZhAk(3/4) AAS
日蓮のいうことがよくわかりませんね。
爾前経での釈迦の説法は末法の予言外だったはずじゃなかったのかな?
他国侵逼難にしたって日蓮からしたら、彼等は敵国ではなく隣国の聖人だと説いたんじゃなかったかな。
「天の御計ひとして、隣国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ」・・・撰時抄
ほか、下山御消息にもそれらしきこと言っているような。
結果的には蒙古襲来がなかったのでしょうから、そこんところの見解は日蓮としては無視していたのかな。
日蓮の敗北のようにも思いますが。
532(1): 2015/02/12(木)21:38 ID:r83kZhAk(4/4) AAS
>>528山椒島さん
身延にて白厚綿の小袖を頂戴したとの書は>>490での兵衛志殿御返事ですね、やっぱり。
コロコロと話が変わってすみませんが、
“身延”っていう字は、日蓮が当てた字だったとつい最近知ったのですが、詳しく御存知でいますでしょうか?
元々は、「蓑夫(みのぶ)」だったようですが。
533(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/12(木)23:14 ID:H9uiaEax(3/4) AAS
>>531 さん
一部の過ぎた表現は日蓮の責任ですが、"法華経に反しない限りは"諸経もOK、ですね。
「四十余年未顕真実」「正直捨方便」などといっても、爾前経の内容すべてが方便・無益ではない。
0か100か、ではなく、いわば純度(法華経だけが100%)のような捉え方なのだろうと思います。
> いまにしもみよ 大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本をせめば 上一人より下万民にいたるまで
> 一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて 各各声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱え
> 掌を合せて たすけ給え日蓮の御房日蓮の御房とさけび候はんずるにや (撰時抄)
>>510で触れた、肝心かなめの最終結論です。後世の門下が予言だというのなら、ここまでが予言です。
ですから、後に蒙古撃退の報を受けて、日蓮はかなりみっともない真似を重ねています。食事中に聞いて
箸を落としてみたり、自分を貶めようとするデマだと決め付けてみたり、小学生も顔負けの反問を指示したり、
省1
534(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/12(木)23:15 ID:H9uiaEax(4/4) AAS
>>532 さん
佐渡へも小袖は届けられていたと記憶しますが、同様の感想を述べた書があったかどうか・・・。
身延期は、日蓮嫌いの人達からは、もうほとんど「死ぬ死ぬ詐欺」と言われかねないほどの記述で、
滞在期間の差を考慮しても、内容・記述量ともに、佐渡期のそれとは大きな差がありますね。
「身延」については詳しく知りません。日蓮宗の人と話したことはありますけれども。
日仙(仙代問答の僧。巨漢で戒壇板曼荼羅を背負った運んだとの伝承)を「百貫(デブ)房」と呼び、
極楽寺が二度の?火災に遭った良観を「両火房」と揶揄、経典を置き忘れて帰った富木常忍には
「日本第一の好く忘るるの仁」とイジった日蓮が、愛着や感謝を込めて当てたのだろうと考えています。
「両火房」はともかく、私は好きですけどね。御書講義などでは滅多に使われませんね。
535: 2015/02/13(金)06:41 ID:mqT10R1f(1) AAS
結局、511さんの言うように初めから結論ありきで、仏典からネタ漁りをしただけじゃないの?
我が強くて修行も何事も中途半端でいい加減だからどこの寺でも相手にされなかったのだろう。
536: 2015/02/13(金)08:08 ID:Rfr3DMeV(1/2) AAS
そもそも経典にいう自界叛逆難とか他国侵逼難というのは古代インドで多くの部族国家がせめぎあっていた状況での現実的な戒めだ。
山椒島さんが510で「そりゃ起きるわ」と言っているが、まさにその通りで、オカルトチックな「大予言」の類ではない。
それを日蓮が時代性を無視して当時の時事問題にこじつけて自説の補強にしようとした。真面目に考えるほどの問題ではない。
537(2): 大乗非仏説 2015/02/13(金)17:41 ID:CAa1QZck(1) AAS
ソースは忘れたのですが、文永の役の前には元の使者を斬首したと言うことが
世間に結構知られていたそうで、攻めてくるのは時間の問題という認識があったそうですね。
別に日蓮上人が蒙古襲来を予言したわけでもなんでもないとのこと。
538(1): 2015/02/13(金)20:56 ID:Rfr3DMeV(2/2) AAS
どうも今まで、確実な史実に基づいて論評すると、日蓮に不利な結論しか導かれないようなところがある。
これがこのスレのバイアスなのか、そうでないのかを検証するため、ひとつ視点を変えてみよう。
つまり、各々の立場はさて置き、確実なソースについて、意図的に日蓮の「いいところ」をさがしてみよう。
そうは言っても、自分は日蓮に詳しくないので、思い浮かばないので、詳しい方にお願いして口火としたい。
539(1): 2015/02/13(金)23:30 ID:uq27TTFF(1) AAS
>>533山椒島さん
>"法華経に反しない限りは"
日蓮の振る舞いで気になるのが一つありまして、安楽行品での
『菩薩摩訶薩、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ』
と、菩薩摩訶薩は国王・王子・大臣・官長に親近してはいけないと書かれていますに、どこまで法華経に忠実だったのかと疑問にも思うのです。
『又亦諸法を戯論して諍競する所あるべからず』・・・とも。
他にもあるような気がしますが、どうでしょう。
>いわば純度(法華経だけが100%)のような捉え方なのだろうと思います。
日蓮自身も法華経の矛盾を察していたかのような自問自答が撰時抄にあり、それを火と水に例え、結論は天台の論を根拠にあげられています。
やはり、安楽行品ではありますが、
省5
540: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/14(土)07:47 ID:TWaJFfpN(1/2) AAS
>>537 大乗非仏説 さん
そういうことです。使者斬首云々は詳しく知りませんが、そうでなくても、どんなに遅くとも宋が南遷する頃には
外交や貿易などにも支障が出たでしょうし、在留邦人の引き揚げ、留学僧の帰還、使者や難民の渡来など、
後の高麗侵攻・服属に至るまでもなく、既に民間レベルにまで広く伝わっていたというのが普通の考え方です。
ですから、日蓮にしてみても、あくまで現実的・科学的な(と、当時は信じられてた)仏典に基づいた現状分析と
原因究明、そして対策提言だったのだろうと思います。なので、結果が外れても、まぁ仕方無いか、となります。
日蓮本人は煩悶したかもしれませんが、祈願・祈祷などに対する考え方は、当時からそういうものだったようです。
それを後から「御本仏の未曾有の大予言!」などと言い出すから、かえって色々とおかしくなるんですね。
>>538 さん
以前、別スレでそのようなレスを書いたところ、即パクられてあちこちに貼られ、大迷惑を蒙ったことがありますよ。
省1
541(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/14(土)07:48 ID:TWaJFfpN(2/2) AAS
>>539 さん
いわゆる「摂受・折伏」論などとの絡みで語られますが、これは涅槃経の存在が大きいと思います。
そして、一般によく知られる日蓮の印象も、文書中の記述も、法華経より涅槃経に多く拠っています。
皆さんの方がよく御存知かと思いますが、法華経と涅槃経とでは、その内容にはかなり違いがあります。
が、順番的に爾前経と斬って捨てることもならず、一方で法華最勝である(と法華経に書いてある)ために、
天台では「法華経の助経」(部分的再説版)と、矛盾に対して強引に蓋をして押し込めてしまいました。
撰時抄でも延々と称賛している通り、日蓮もその教判を全面的に受容していますから、その結果として、
安楽行品は譬喩品や法師品などとともに摂受の、常不軽品を涅槃経で補強して強説・折伏の依拠とし、
その使い分けは「時によるべし」と主張します。日蓮正宗系教団が後者一辺倒だったのは御存知の通り。
幹部や高僧らの怠惰を突っ込まれて慌てて言い訳しだしましたが、日蓮宗系では古来議論が盛んです。
省2
542: 2015/02/14(土)20:17 ID:ATKZNvI3(1) AAS
>>537
>文永の役の前には元の使者を斬首
元の使者を斬首したのは文永の役の後じゃなかったかな?
蘭渓道隆が建長年間(1249年 - 1255年)にモンゴルの密偵と疑われて修善寺に避難のために来住
とあるので、その頃にはすでに日本は警戒態勢に入っていたんじゃないのかな。
外部リンク:ja.wikipedia.org
543: 2015/02/14(土)23:30 ID:X02y9Psn(1/2) AAS
元の使者が斬首されたって話は文永の役直後の建治元年の杜世忠のことかな。
蒙古云々前から、高麗との問題が結構あったんじゃないのかな。
安貞元年には九州の悪徒住民が高麗で紛争し、鎮西奉行から処罰されていたようです。
幕府にとってはこれが外交問題の初めてなようで、後にその高麗が蒙古帝国の征服に遭ってからも、
蒙古の使者仲介役として日本に来日してたようです。
また、向こう(蒙古側)は日本に対して表向きの通交を求めていたらしいようです。
こうなりますと、もはや幕府ではなく朝廷の管轄になっていくでしょうし、九州鎮西奉行だけでの話しでは済まされないようで、
段々と焦げ臭くなっていく情勢には、日蓮が予言でなくても誰でもが予想はしてたと思いますね。
雲行きを見て「雨がふるだろう!」・・・とぐらいは誰でもいえるし。
危うくば、蒙古の転輪聖王VS日本の八幡大菩薩というバトルに、日蓮はどっち寄りになったのだろうかと考えてみたいものです。
544(1): 2015/02/14(土)23:38 ID:X02y9Psn(2/2) AAS
>>541山椒島さん
ボンクラの私でも、
“やはり最初から無理があったのかな”って思うようになってきました。
坊主にせよ、教学部のエリートさんでも、大変に勉強されておられるはずの御方さん達でありますからして、
あれこれの矛盾にはとっくに気づいているものなのでしょうか?w、
545(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/15(日)00:27 ID:sfnEuZ17(1/2) AAS
>>544 さん
気付いてますよ。とっくに。
ですから自分達は専ら煽り専門で、のんびり宴会三昧出来るんです。
妻帯肉食もすれば、他門と通用もあり、河辺メモだって出てきたでしょう。
戒壇の板曼荼羅が"何代目"かも、知っていると思いますよ。
546(1): 2015/02/15(日)01:40 ID:jwnFPIjf(1) AAS
>>545
>戒壇の板曼荼羅が"何代目"かも、知っていると思いますよ。
少なくとも4代目以降ではあるよね。
547(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2015/02/15(日)08:07 ID:sfnEuZ17(2/2) AAS
>>546 さん
資料から読み取れる範囲だけで、そうなりますね。
個人的には、少なくとも更にもう一代は重ねているだろうと思っていますが。
40年ほど前に(笑
548(1): 2015/02/15(日)08:34 ID:mZyQcBZx(1/2) AAS
>>509
全文検索すれば、一秒で結果わかる。
この三つの御書にはないみたいね、
てゆーか、自界叛逆難と他国侵逼難は、薬師経の警告なんだけど、
この災難を防ぐためには、薬師瑠璃光如来を心に念じなさいと、
薬師経に書いてあって、でも安国論は法華経(実乗の一善)を拝めと
話がすり替わってる。だれでもすぐわかるムジュンと思うけど・・。
で、安国論は、文応元年の八年後になる文永五年1268年から御書に
とつぜん大量に記述が現われはじめるんだけど、それ以前には安国論の
表書きである文応元年1260年の、たった一つしかないみたいなのだ。
省12
549(2): 2015/02/15(日)08:52 ID:mZyQcBZx(2/2) AAS
>>524
これは法華玄義で、対句になってんだね。
(法華玄義)
法華折伏破權門理
涅槃攝受更許權門
ここにある權門理というのは、権実相対の権経ではなく、
むしろその逆の意味で、權門理は究極のリクツ = 真理、てことでしょ。
法華経は、押しつけがましいワリには、真理が書かれてなく、
逆に涅槃経はソフト路線だけど、真理を書くことが許容されている。
法華経はシロート向け、涅槃経はクロート向け。
省11
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