[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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395(3): 2015/01/14(水)03:16 ID:hhVWzOTB(1/4) AAS
ちょっとすみませんが、こちらの場所をすこしだけお借りします。
2chスレ:koumei
>「南無」の発音が「nan」と「nam」と「namU」とではどういう違いがあるか?
これについて当方の貧しい実験の結果をそのまま記し、関連する検討を加えてみます。
結果から言うと「nam」「namU」は「nan」の場合と全く異なり、これらで行うとそれ以降
の音節分解はほぼ不可能でした。「有声」でも「無声」でも何回もトライしてみましたが、
「nan」の場合のようなスムーズな音節分解は容易にできませんでした。
これは「南無」を「ナm」あるいは「ナム」のように文字の読み通りにすると「m」や「ム」
のところで実質的に呼気が抜けず、呼吸が自然に行えなくなるためであろうことが一つと、
もう一つは、「nan」=ナンの場合に起きていた「口腔から鼻腔、そして鼻の奥へと息を
省9
397(3): 2015/01/14(水)03:19 ID:hhVWzOTB(2/4) AAS
>>395(つづき)
それを「連続唱え」でも行うと、
B.始めはこの「アファメーション」として「ナム・みょうほう・れんげーきょう」
の発音でゆっくり唱え始め、これを繰り返していったが、
それがそのうち「息遣いの関係(呼吸法上)」で、
C.途中で「ナmみょう、ほうれん、げーきょう」に変化し始め、
D.それがやがて、「ナンミョウ・ホウレンゲーキョウ」の繰り返しに移行して行った
この変化を辿っていくことで、「意味認識」が薄れて、むしろ「呼吸が自然に行える
ように唱える」ことだけが自己目的化して行き、それがつまりは「マントラ」として
の唱え方となりました。つまり、
省11
398(4): 2015/01/14(水)03:20 ID:hhVWzOTB(3/4) AAS
>>397(つづき)
次に別法でも試みてみました。「nam」を一音節として唱えようとすると、先のように
呼吸が詰まったようになり、苦しくなって身体に悪影響を及ぼすとさえ感じるほどでした。
「大安般守意経」(アナパーナ・サチ)という「お釈迦様の実習された呼吸法について
説かれているとされるお経」の本にも息を不自然に止める呼吸法の害が書かれていました。
そこでこれを「有声」ではなく、完全な「無声」で「観念」だけで行えばよいかもしれない
との発想が生まれました。それで呼吸を超越して行えば可能かもしれないとの考えでしたが、
これは「ナン」のときのように、どんな姿勢でもとか、気楽にとか、そういう無造作な体勢
では行えそうもなく、まず軽くでもストレッチして、呼吸も整えた上で、座禅のような作法
で心をしっかり静めないと無理そうでしたので、そのような準備をして行いました。
省10
399(3): 2015/01/14(水)03:26 ID:hhVWzOTB(4/4) AAS
>>398(つづき)
この後の音節分解した部分の「無声観念」は「ミョウ」「ホウ」まではなんとかできました。
それも唱えてから「待つ」ことで「ナン」で始めた場合とは異なるさらに精妙な感覚が得られ
ました。しかしその後の「レン」以降は、集中が途切れてしまい、実行できませんでした。
この経験は何を意味するでしょうか、これは前準備としての「ンア(ゥ)ーン」の唱えによって、
事前に脳下垂体への刺激がジワージワーとなされていたことが効いていたのだと思います。
これは「namU」でも同じような感じでした。
で、そこから、開祖日蓮上人の発想の原点として推測されたことは、開祖の日蓮上人は、
密教修行も修されていたであろうことから、真言密教で行う「阿字観瞑想法」などの座禅も
当然実習されていて、そのときにすでにこの脳下垂体への刺激が体感された状態でおられた
省11
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