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日蓮って ver.30 (737レス)
日蓮って ver.30 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/
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1: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2014/09/29(月) 00:51:20.43 ID:IiW/Mf90 日蓮って ver.29 http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/ 「日蓮って」過去ログ http://hyakkimaru.nukenin.jp/ 創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。 創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。 コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。 スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。 スレ違いの話題はほどほどにして下さい。 初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/1
718: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/05(木) 23:40:22.16 ID:7VKoCjiR >>715 レスありがとうございます!考えてみまするに、要するに、自利ご利益のための 人間革命とやらの志向そのものが矛盾の原点ではないかとも。 つまり、誰も彼もが自分の欲得のために真言呪術的に祈祷するなら、つねにそれらが バッティングし合って互いに戦いと争いになり、祈祷と祈祷が叩き合うことになるわけで、 そもそもが成り立たないはずで、 そういう矛盾を助長する「戦いの祈祷呪術としての真言的題目信仰」が「正しいのだ」 とずっと思わされてきたのが、現代の創価学会の信者たちだろうと思うわけです。 そこには人間の普通に持っている知性の片鱗も持てなくされるカルト教の悪果だけが 渦巻いていく様相となるはずでした。その通りになってしまっている、ということ なんでしょうね。 で、それを「指導」したというのが、かの方だったというワケでしたから、まさに その人の悪因悪業をそのまま埋め込まれて志向されたカルト教だったのですね。 それもこれも、やはり日蓮の教えがそうしたものをもたらしてしまう間違いがあった のに相違ないと感じざるを得ない次第。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/718
719: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/06(金) 00:05:12.29 ID:7wrkQDI3 >>718のつづき で、そういう欠陥がなんらかの形で補われて、真言呪術教的題目唱えになって悪果を 生み出すことにならないようにする防犯装置としての教義が、たまたま宗門であった 日蓮正宗側の教えには整えられていたのではないかとも思われたのでした。 それが、「日蓮を本佛」ということに祭り上げてしまうことで、そこから逆に、その 「本佛」の「法報応三身」の現れすべてを信じてその一つが「たったひとつのご本尊」 なのだという、ある意味では「狭い信仰」の中に「拡大発散しがちな信仰」を押し込める ことで、その信仰が浄土系の「弥陀の本願」的な信仰に匹敵する信じ方に治まって、 「自己啓発セミナー的な自己能力拡大志向信仰=超人志向の真言題目」ではない 「自分とは別に存在する佛を信じる信仰による救い」としての「成佛」を目的とする 信仰にまとめられていたのではないかとも感じられたのでした。 この志向であれば、己の願望と利己的ご利益のために戦う真言呪術的祈祷はむしろ忌避 され、「実在としての佛さま」に身を預けて任せる他力的で矛盾のない調和の中で六根清浄 が成就する信仰になれると感じる次第で、これは伝統的な狭い道と受け取られがちではある ものの、創価学会的叩き合いで戦う真言呪術的題目祈祷ではない預ける信仰となって結果 として正しい信仰になっているということではなかったか、と感じるのでした。 これは「日蓮自身の教え」というより、「その弟子の開発した信仰」だったからある意味 で無矛盾に成立したのかもしれず「本尊の真贋」よりも「信じ方の主旨」として、悪道に 落ちない防犯装置が組み込まれていたのではないか、と感じたのでした。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/719
720: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/06(金) 08:45:46.85 ID:BiFCkDkh >>709 まず念のため予めことわっておきますが、私の見解は、初期経典に大乗的要素が萌芽的にあった(697参照)というものです。 これらが後の大乗思想に明確な形で発展していったものと考えます。したがって用語そのものより、思想に注目してください。 「全ての人が仏になる」という思想 ・汝らはこの道を実践せよ。これこそ悪魔を迷わして(打ちひしぐ)ものである。汝らがこの道を行くならば苦しみをなくすことができる。 そのために私はこの道を説いたのだ。(ダンマパダ274、275) ・ことばを慎み、心を落ち着けて慎み、身に悪を為してはならない。これら三つの行いの道を清く保つならば仙人(=仏)の説きたもうた 道を克ち得るであろう(同281) なお「仙人(=仏)」というのはは中村元博士の訳)。 「ブッダは一人ではないという思想」 やはり同じダンマパダの194、195に「もろもろのみ仏の現れたまうのは楽しい」「拝むにふさわしいそのような人々、もろもろのブッダまたは その弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でもそれを計ることはできない」との記述がみられます。 またスッタニパータの149、150には「一切の生きとし生けるものども」や「全世界」にたいし「無量の慈しみの心を起こすべし」とあり、 大乗で強調される利他の精神が既に原始仏典にあったことがわかります。 初期経典では、釈尊は菩提樹下で悟りを開いてから、説法したものかどうか決しかねているところに諸天の勧めで説法することにしたとの設定ですが、 このこと自体、釈尊の教説はすべての人々を済度するためにすべての人々に向けて説かれたという意味を含んでいると思います。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/720
721: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/06(金) 09:23:57.61 ID:b5YAmDHt うわあ、ほんとになにもわかってない人だ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/721
722: 627 [sage] 2015/03/06(金) 20:59:55.04 ID:s6fEH8X5 >>716山椒島さん その該当箇所御義口伝の “功徳とは六根清浄の果報なり” また “南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり” と・・・ 所謂、「南無妙法蓮華経と唱うるは果報なり!」ってことですよね? そこで、この題目とは下種益の法との見解がされているかとも思いますが、 そうなりますと、「六根清浄の因」とも解釈されてもよかろうと思いますが、どうでしょうか? http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/722
723: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2015/03/06(金) 21:02:59.93 ID:2dWSZBO4 前スレ http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/718-719 さん 「弟子達の開発した信仰」は、まさにその通りです。と言いますか、それが当たり前ですよね。 それを「宗祖以来まったく変わっていない」などと言うから、色々とおかしくなるのだと思います。 ただ、「防犯装置」はどうでしょう。教義というよりも、在りようの違いではないでしょうか。 現在の日蓮正宗の教義その他諸々は、実はほとんどが創価学会と組んで以降の急ごしらえです。 マイナーな異端派らしく、その歴史には変な人や事件なども登場しますけど、まずまず普通です。 地方の古い末寺(系列寺院)や、先祖代々の信者さんなどに話を聞くなどするとよく分かりますよ。 名は同じ日蓮正宗であっても、創価学会以前と以後とでは、ほぼ別の教団と考えた方が正確です。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/723
724: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2015/03/06(金) 21:37:20.74 ID:2dWSZBO4 ※上のレス(>>723)は、>>718-719さん宛てです。 >>722 627 さん 六根清浄とか、即身成仏とか、そういうことになるのでしょうね。 御義口伝は、かつて某教団では、いわゆる最終奥義書みたいな扱いをされていまして。 何とか先生直々の御書講義も行われたりしていましたけど、内容以前にとにかく読みづらかったです。 その文節ひとつ取ってもそうですが、文書全体が、日蓮や日興のそれとは明らかに違いますから。 あえて当時の門下で例えるなら、ですけど、もし「筆者は三位坊だ」と言われたら納得がいきます。 逆の例では、「富士一跡門徒存知事」は実に日興らしいと思えるのですが、多分そうではないのでしょう。 奥が深いですね(棒読み http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/724
725: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/06(金) 21:42:26.65 ID:7wrkQDI3 >>723 >現在の日蓮正宗の教義その他諸々は、実はほとんどが創価学会と組んで以降の急ごしらえです そうだったのですか、その辺の歴史的変遷があれば知っておかなければなりませんね。 どこかにまとまった書物になっているといいのですが、調べてみたいです。 基本的に、日蓮は「真言亡国」との批判をしていたにも関わらず、創価学会の教義は 根本的に真言密教的なものになってしまっていて、それをもっとはっきりと教義論争として テーマにして議論されていてもおかしくなったと思うのですが、水面下ではあちこちの Web上にはその解説はされていて、当事者たちには普通に認識されていたことだったのだ とは感じています。 それが、創価学会以前と以後で変わったからそうなったのか、それともそれとは関わりなく その部分はもともと創価学会流とことなる点として存在していたのか、そこを確認したいと 思います。ご解説ありがとうございました!! http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/725
726: 627 [sage] 2015/03/06(金) 22:30:29.22 ID:s6fEH8X5 >>724山椒島さん はい、あまりにも奥が深すぎて釈迦も樹海で迷ってしまうのではないかと思います。 ただ、彼らが解釈には“如是我聞”の話ではないようで、 阿難も、文底とやらの釈迦の深層までは聞こえてこなかったのかと思ったりします。w 嗚呼、池田先生のお話を是非聞いてみたいです。 ver31スレ立て有難うございます。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/726
727: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/06(金) 23:06:47.19 ID:MANGcoV+ 熱原法難と戒壇本尊を結びつけたのも近年だしな。弥四郎国重は波木井の長男って昔は書いてたようだし。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/727
728: 山椒島 ◆AUtVVr2znk [sage] 2015/03/07(土) 01:09:28.17 ID:R+1/jh46 > 「何を本尊にすべきか」と虚空蔵菩薩に祈っていたら、老僧が「お前を本尊にしろ。その池を見てみろ」と。 > そこで明星の池を覗きこんでみると、池面に映る日蓮自身の姿が、今の大曼荼羅の形そのままだった。 こういうことを、日蓮正宗はもちろん、創価学会でも盛んに信者達に言い聞かせていましたね。 「代々の聖人悉く日蓮也」で有名な「御本尊七箇相承」の文ですが、今では滅多に聞かなくなりました。 >>726 627 さん 会員のみならず、少々のアンチであっても幻滅しますよ(笑 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/728
729: 627 [sage] 2015/03/07(土) 07:13:40.10 ID:+AUj6evk 普通に起ってたら角度的に見えとは思わないですが、 マイケルジャクソンのように、 よほど体を前のめりにして、自身の姿を見たってことなんだろうねw http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/729
730: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/07(土) 07:47:42.55 ID:A91B1Eto >>709 (720の補足) >ボーディーサットバ(菩薩)は原始仏教においては釈尊がさとりをひらくまでの 期間をさしています。 >原始仏教においてはアルハット(阿羅漢)になるのが最上であり仏というのは釈尊一人です。 かならずしも間違いではありませんが正確でもありません。 それらは仏教最初期の観念ではないからです。 一行目はジャータカを念頭におかれているのだと思いますが、菩薩という語が見られ始めたのは前一世紀ほどからです。 二行目についても同様です。元々は個人としてのゴータマ・ブッダと普通名詞としてのブッダ(覚者)を区別したものでしょう。 確かにarhatは最上で涅槃を得た者という意味です。最上という観念はさらに上位を否定しますから、これは本来はブッダと同等です。 一方、ジャイナ教ではarhatはsiddha(成就者)の一歩前の段階とされ、区別されていたようですが、原始仏教にはそうではなかった。 しかし仏教が広まり、教団組織が大きくなるにつれ、釈尊に対する位階という観念が教義的にも生じ、次第に権威主義的、官僚主義的になってきた。 こうした変質に対する反発や疑問が、大乗仏教運動が興起する契機になったと思われます。 ブッダという語は釈尊以前からあったわけだし、そうなると過去仏や未来仏の思想も当然あったはずです。 つまり大乗経典で強調されることになる主要なモチーフは既に初期経典にあったと私がいうのはそういう意味です。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/730
731: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2015/03/07(土) 08:34:13.50 ID:7I6OQs5B >>657(私も大嫌いだ)まで読んだ・・。 >>665 天台はべつに極めんでも、天台大師の原文が カンタンに読めるから、比叡山や日蓮教の田舎解釈は、 かん違いなのがすぐわかるし、もう必要ないおじゃま虫と思うよ・・。 >>672 中尾せんせーの安国論の考証は、これか。(立正安国論に触れて) http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nakao_001.html 安国論別状の「正本」は、中山法華経寺にある、 国宝指定の1269年版しか真筆が現存してないからな。 北条時頼が目を通したとか、幕府から返却された、 とかは御書にないから、考証とは言えなくて、 日蓮学者さんたちの願望みたいなもんよね・・。 >>675 謡曲は琵琶法師が語る平家物語で、ほぼ史実とおもうが、 なにが気に入らないのかわからん・・。 でも、平盛久は、東寺の灌頂堂を修復した人物ともあるから、 やっぱ日蓮さまが知ってたのは間違いないとおもうね。 東寺に対する敵がい心は、ちょっと異常なもんがあるよな・・。 http://mokuou.blogspot.jp/2009/12/1.html http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/731
732: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2015/03/07(土) 08:49:32.09 ID:7I6OQs5B 龍の口のひかりものに関しては、すい星の記録なら、たとえば、 ハレーすい星が、龍の口より50年前の1222年に地球に接近して 吾妻鏡に記録が残ってんだけど、この年に日蓮さまお生まれになって、 聖人さまがこの世に誕生された吉兆である、とか日蓮教では宣伝してる・・。 1222年2月16日 日蓮 安房国長狭郡東条郷片海に誕生 (千葉県、九十九里の海水浴場・・) 同年8月2日 彗星出現 吾妻鏡「彗星見戌方、軸星大如半月。色白光芒赤、長一丈七尺餘。」 彗星戌方に見ゆ。軸星の大きさ半月の如く、色白く光芒赤し。長一丈七尺余 吾妻鏡には、ズバリ光物の記述も・・、 1247年1月30日 越後入道勝圓の佐介亭の後山に光物飛行す。仍って祈祷を致すと。 同5月18日 今夕光物有り。西方より東天に亘る。その光暫く消えず。 時に秋田城の介義景の甘縄の家に白旗一流出現す。人これを観ると。 けっこーあって、吉凶それぞれに、加持祈祷がセットでついてきたり、 まー、そんなよーな時代感覚というか・・ http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/732
733: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/07(土) 08:49:35.19 ID:zvzH9xxO >>730 >ブッダという語は釈尊以前からあったわけだし、そうなると過去仏や未来仏の思想も当然あったはずです。 >つまり大乗経典で強調されることになる主要なモチーフは既に初期経典にあったと私がいうのはそういう意味です。 過去七佛や未来佛と大乗の間に何の関係があるのやら。 意味不明にもほどがあるだろ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/733
734: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2015/03/07(土) 09:05:02.01 ID:7I6OQs5B 平盛久が修復した東寺の灌頂院は、龍の口から7年前の1264年の年表にも すい星があらわれた記述といっしょに、こんなのがある・・。 1264年(弘長4年、2月28日改元 文永元年甲子) 6月22日 乙丑 [続史愚抄] 神泉苑に於いて祈雨御読経有り。阿闍梨長者僧正道勝。 6月26日 己巳 [続史愚抄] 彗星有り。東北に見ゆ。 6月29日 壬申 [続史愚抄] 祈雨の為、東寺灌頂院に於いて孔雀経法を修せらる。阿闍梨長者僧正道勝。 7月4日 丙子 [続史愚抄] 東寺孔雀経法結願。昨日雷雨に依って今日これを遂ぐ。賞として後日阿闍梨二口を高 野山に寄せらる。今暁、彗星東に見ゆ。光芒三尺の所。 7月5日 [北條九代記] 寅の刻彗星寅方に見ゆ。芒気丈余。旬月に及ぶの間、半天に及び未曾有の例なり。 ※※京都、東寺での、真言の雨乞い祈祷の成功と前後して、彗星が現われる。 このできごとを日蓮さまも鎌倉で伝え聞いて、加持祈祷の同業者として、 対抗心がメラメラと燃え上がった、・・かどうかは知らんけど、 このあと7月29日の日付で、法華真言勝劣事、という真言批判の御書を さっそく書きあげてて、このあたりも、龍の口のひかりものの 下敷きって感じだな・・。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/734
735: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/07(土) 09:11:01.46 ID:08VJWC3K しかし、日蓮とは、どうしようもないパクりイカサマ坊主だな http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/735
736: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/07(土) 16:38:10.74 ID:VQmRE5Pn カルトというのはそうしたものだよw http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/736
737: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2015/03/08(日) 11:42:02.08 ID:2zKUsHOg >>710 >空海の大日如来による真言密教も、本覚思想も、みな現世肯定で何やっても仏のワザであり表われだから >創価学会のような空海的ご利益がすべてみたいな >>711 >呪術呪法としての真言的呪術題目を大々的に >>718 >つまり、誰も彼もが自分の欲得のために真言呪術的に祈祷するなら >戦いの祈祷呪術としての真言的題目信仰 >>719 >真言呪術教的題目唱えになって >己の願望と利己的ご利益のために戦う真言呪術的祈祷は >>725 >創価学会の教義は根本的に真言密教的なものになってしまっていて 上のカキコ主は「真言=呪術」という、日蓮同様に根本的な無知・無理解が露骨に出ている。 密教における真言(マントラ)は呪法ではない。般若心経などにみられる「呪」という文字はマントラの漢訳語だ。 たしかに鎮護国家など様々な目的で高位の密教僧が法要や祈祷の儀式を行ってきたし、そのように敬われてきた歴史はある。 空海が正系の密教を招来する以前から、山岳修行者が断片的な真言を唱えたりしていた歴史もある。 また密教僧侶が修法を行うさまが、外見的には呪術のようにいかにも見えるのも事実だ。 しかしながら密教における修法は呪術ではなく、本質的には禅宗における禅と同じく、瞑想修行というべきものである。 いわば禅が静的ヨガとすれば、密教は動的ヨガと言ってもよい。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1411919480/737
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