[過去ログ] 【歴史街道】皇国の興廃を賭けたマリアナ沖海戦 最大の敗因は小沢中将のアウトレンジ戦法にあったか ★4 [みの★] (622レス)
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1(12): みの ★ 2021/08/13(金)17:35 ID:8N5aOW7U9(1) AAS
太平洋戦争の最後の決戦といっても過言ではない「マリアナ沖海戦」。日本海軍はなぜ敗れたのか。そしてこの戦いは、その後の日米戦争にどんな影響を与えたのか─。
※本稿は、歴史街道編集部編『日本陸海軍、失敗の研究』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
■「アメリカに勝つ」という意識が薄くなっていた
昭和18年(1943)9月30日の御前会議で、「今後採るべき戦争指導の大綱」が定められ、千島からマリアナ諸島、ビルマに至るラインが「絶対国防圏」とされた。
これには、「勝ちにいく」よりも「守らなければならない」という認識が表われている。
実際、昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦以降、勝ち目のない戦闘が続いており、軍部には「アメリカに勝つ」という意識が薄くなっていたと見ることができるだろう。
この「大綱」のもとで、マリアナ諸島のサイパンを中心とする防衛体制を、日本は強化した。
サイパンを押さえていれば、トラック、ラバウルの航空基地を強化することも可能になる。それによって、再び米豪遮断を試みて、ソロモン、オーストラリア方面の戦力を回復・維持する――。
これが実現できれば、米軍の本格的反攻を抑制して、対米戦争を仕切り直せるというわけである。
それとともに、機会を捉えて決戦を行ない、米軍を一撃してから講和に入ることを模索していたと思われる。
一方、アメリカは、トラック、ラバウルのラインを制圧して、米豪が連携できる状況を整え、フィリピンを奪還して拠点とし、日本本土に侵攻することが基本的な戦略だった。
これに加えて、新戦力である長距離爆撃機B-29 を有効に使い、日本を圧迫することも考えられていた。サイパンを足場にすることで、B-29 による日本の本土攻撃が可能になる。それによって、日本を屈服させようとした。
かくして、日米両国の戦略においてはサイパンの攻防が焦点となり、昭和19年(1944)6月、マリアナ沖海戦に至るのである。
…続きはソースで。
外部リンク:news.yahoo.co.jp
2021年8月11日 11時54分
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