[過去ログ] 悟りを開いたことあるけど何か質問ある? (1001レス)
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509: 2011/09/18(日)14:36 ID:lr1phVay(1) AAS
新世紀エヴァンゲリオンは仏教を元に作られたのでしょうか?
最終回が仏教に通ずるものがあると感じたので
動画リンク[YouTube]
510: 2011/09/18(日)14:38 ID:xQO/VPz4(7/11) AAS
素粒子の連合体も実在しないですよ
遺伝子も空です。
仮に成立しているだけです。
遺伝子が絶対的実在なら進化はありえない
素粒子も分析していくと更なる微細な粒子が一時的に集まって出来たもので空でしょう
511: 2011/09/18(日)14:40 ID:wYaG5INR(3/5) AAS
何でも仏教に結びつけるのは
やめたほうがいい
思考が一元過ぎる
512(1): 2011/09/18(日)14:41 ID:xQO/VPz4(8/11) AAS
そもそも素粒子というのはその実在を確認しようとすると姿を変えたり
観測器から消えたりするもので、存在するとも存在しないとも言えない
よくわからないものであるらしい
我々が意識するとそこにあるが意識しないと消えてしまうということが
実験的に証明されてもいるようです<二重スリット実験
超ミクロの世界も空な訳です
513: 2011/09/18(日)14:53 ID:wYaG5INR(4/5) AAS
未来に解明されるかめ知れない
514: 2011/09/18(日)15:32 ID:dMP4Blgw(2/2) AAS
>>512
>「肉体」も観念なんだから「肉体」も本来はない
このあたりが妙な印象なんですが、
「肉体も観念」と した(している) のは何でしょうか
もしその認識を遡及していきその最終的な基礎土台のところに「思考」があるのならば、なぜ、
その先にその「思考ベース」において存在した(「肉体」も観念なんだから「肉体」も本来はない)という地点において、
唐突にその意見にOKの太鼓判が押されたのか が分からないのですが
【差し当たり「肉体」として指し示すしかない「思考による認識によらない肉体」】と
思考によって描き出された【「肉体」という「観念」】とを 混同されていませんか
515: 2011/09/18(日)15:39 ID:FgA9yR1n(2/4) AAS
自我がないとなるのは、純粋観照者から見た場合のみなんじゃないの?
自我を持ってして、自我がないってのは、
言葉でこれは、言葉じゃないって書いてる様なもん
自我ってのは、記憶によって作られるんだけど、じゃあ、記憶も無いのかってなる
ここの、主さんも、その悟ったと言う記憶を、語ってると思うんだけど、どうだろう?
もし、自分の記憶は、特別で、自我ではないって言うなら、それもまた自我なんではないかな?
516: 2011/09/18(日)15:51 ID:xQO/VPz4(9/11) AAS
514
混同してない。
ある観念を否定するときに別の観念をもってくる必要があるが
その観念も本来は否定しなくてはならないが
その辺はわかってる人が多いと思うので省略した。
要するに言いたいことは貴方が指摘している事と同じである
517: 2011/09/18(日)15:58 ID:xQO/VPz4(10/11) AAS
515
我々が今このスレでやってる事は饅頭(悟り)の批評会みたいなもので、それは饅頭じゃないといえばその通りだが
批評会なのでまぁいいんじゃないかということではなかろうか
批評を通して、饅頭とはこういうものだったのか
と饅頭の認識が深まる事もあろう
しかし食べなきゃ饅頭の味もわからないのも事実
しかし単に食べただけでは饅頭ではなくて
饅頭の観念を食べている事もありえる
饅頭批評を通して、真の饅頭の味わい方を学んでいると考えたらどうか
518: 2011/09/18(日)16:29 ID:FgA9yR1n(3/4) AAS
多くの覚者が言う様に、悟ったと思ったら、それを、捨てなければならない
なぜなら、それを大事に持ち続ける事は、
悟りという観念を持つということに他ならない
結局、それは、他のくだらない観念と変わらず、くだらない
519: 2011/09/18(日)17:17 ID:wYaG5INR(5/5) AAS
どこかに これ以上ない
どんな苦しみもなくしてくれる体験があるとする
それを世界中に探しに行く
そのうち 何のために旅をしているのかわからなくなる
520(3): 2011/09/18(日)17:27 ID:xQO/VPz4(11/11) AAS
518
それも観念ではないか?
悟りというのはどこかにあるのではなく
今、目の前の現実をよく見る事だとすると
どこか遠くに行く必要はない
目の前の現実をよく見ればいいだけの事だからだ
521: 2011/09/18(日)18:33 ID:FgA9yR1n(4/4) AAS
>>520
そーだね
522: 2011/09/18(日)23:33 ID:oGuQLKMN(1) AAS
>>520
ところで結局あなたは何をしているの?
あなたには「悟った人 というのは OSHOや苫米地の言葉の通りでなければならない」という何らかの理由があり
1のレスに、前述の二人の提示した型にそぐわない箇所があると納得いかなくなる傾向があるようだが、、、
OSHOの言葉 というものに相当の固執があると見受けられるが
あなたの提示する制約にパスした人というのが 悟っている人 となる?
あなたにとってOSHOは悟っている人?
だとすればなぜそういえる?
523(1): 2011/09/19(月)00:35 ID:ECcr4aNW(1/2) AAS
>>1さんにお聞きします
小悟に関しては「自我を捨てる」ということで納得しています
問題はその後の中悟、大悟、光明、解脱の違いについてだと思います
この部分をきちんと説明していただけないでしょうか
それと子供の頃からの宇宙や存在に対する疑問はどの程度のものだったのでしょうか
524: 2011/09/19(月)01:35 ID:FcTuJeu4(1) AAS
>>520
思うになぜかはじめに
「OSHOは悟った」という公理があり、そこから「悟っているならOSHOと同じ」が引き出されていませんか
「OSHOが悟っているかどうか」はさておき、確認したいのは「それを判断したのは何か」です
というのも、そもそも「その何か」が成立するのは間違いないとできるもの がなければ、
「その何か」含む、「それが生み出した、以降のもの全て」、つまり「何か自体」and「その何かの思考一切」
今回の例→ 公理「OSHOは悟った」を敷いたもの、又それにより基づかれたもの(「悟っているならOSHOと同じ」等、以降すべて)
は成立する根拠をもてない と思いますがどうでしょうか
要するに、「問いの発生」を成立させたもとになっていると思われるもの自体 の根拠が無いように思われるのですが
つまりまず 公理を敷いた「その何か」が成立するのは間違いないかどうか
省2
525: 2011/09/19(月)12:16 ID:9f/UffFG(1/2) AAS
OSHOは悟っていない、口のうまいタダのペテン師。
526(1): 473 2011/09/19(月)14:11 ID:/jET1oDD(1/5) AAS
少なくともOSHO、ラマナマハリシ、ラーマクリシュナ、グルジェフ
順に、放射線で体全体と歯の持病でひどい苦痛、癌、のど癌、交通事故の後遺症やとてつもない量の腹水
と4者ともものすごい体の苦痛があったわけですが、それに巻き込まれていなかったようです。
520さんはOSHOについて最初に出した私とは別人です。
そもそも悟りという概念自体基本的に仏教のものであり、仏陀がペテン師でない保障はありません。
474でOSHOが述べたことがであるなら真実自分の体験から説明できるし、
偽りだった場合でもやはりの自分体験から真実と偽りの微妙な差を説明できます。
また起こっていない、かつこれがだと無意味いえるような体験が自分に起きているわけでないなら素直にわからないといえばいいだけのこと。
結局これをもとに1さん自身と対話しようとしているだけです。
省5
527(1): ama 2011/09/19(月)14:53 ID:9q4VyyD+(1/4) AAS
>>474
それでは、私なりの言葉で、私の体験を書いてみますね。
ただ、もう10年以上前のことも含まれるので、
あやふやだったり前後したりすることはご勘弁ください。
> 死が起こりその中で目覚めを失わなかった。
> 今までにない目覚めの質とともにあり、また生命エネルギーは滞りなく流れる。
> あなたはまったく自由だ。
目を覚ますと私はいませんでした。
そして、目を覚ましているときだけ完全な自由でいられることが分かりました。
> しかしここにも2つの可能性がある。
省5
528(4): ama 2011/09/19(月)14:58 ID:9q4VyyD+(2/4) AAS
> あなたは家の近くまで来たがもう達成したと思い込む。
> 最後の瞬間にあなたは生と同化してしまった。
> だれが死などと同化したがるだろう。
そのころたしか、自分がいないという感覚に色んな意味付けとか判断といったものをしていたと思います。
それがまた私を混乱させていたのでしょう。
その感覚によって幸せになれると思い、それを追い求めました。
ところが追いかければ追いかけるほどそれは手に入りませんでした。
そのころの私にとってそれは、面白い感覚、程度のものでした。
数年後、道を歩いていて、その感覚の中にいながらも、意味付けや判断を行わず、ただ未知の中にい続けたとき、
それまで疑問に思っていたことが、突然、分かってしまいました。
省19
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