[過去ログ] 悟りを開いたことあるけど何か質問ある? (1001レス)
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529
(3): ama 2011/09/19(月)14:59 ID:9q4VyyD+(3/4) AAS
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
でも、自分の生活に起こるドラマには無頓着でした。
思考に引っ張られることに対して、
「別にいいじゃないか」という開き直りのようなものがありました。
もちろんいいのですが、開き直る必要は無かったわけで、
開き直りを必要とする思考に引っ張られていることには気づいていなかったのですね。
いや、正確には薄々気づきながらも、見てみぬふりをしていたような、
そんな感じです。
OSHOが言っている最後の瞬間というのは、
思考が湧き出たときの瞬間のことを言っているのでしょう。
省3
530
(3): ama 2011/09/19(月)15:02 ID:9q4VyyD+(4/4) AAS
> 幸せに満ちた生を送れるかもしれないが至福は起こらない。
> 至福は原因のない幸福のことだ。

(至福という言葉を使いますか・・・)

幸せは不幸と表裏一体です。
それは快楽ですね。

> 生に同化せず、
> 生が起こる瞬間に目を見張っていられたならば、人は生をも超越するだろう。
> そうしたところに至福はある。原因もなく何の要因もない至福が。
> あなたに至福が起こるのではなくそれがあなた自体なのだ。

ただ観るとき、それは未知の体験です。
省13
531
(1): 2011/09/19(月)15:12 ID:ECcr4aNW(2/2) AAS
>>526
個人的には悟り=TAOだと思ってるんですよ
悟った人や悟っていなくてもいつか悟る人は感覚的に解る
素質のある人はその人の中にTAOっていうものを感じる
みんな独特の雰囲気があるというか毒性が強い人が多い
でも1さんにはなぜかそれを感じない
自我を(一時的に?)捨ててほんわかしてるだけっていう雰囲気がする
悟りって自我を捨てるだけで終わりじゃないって理解してるから
そこの部分でどうも納得がいかない
だから523の質問に答えられるのか知りたかったのです
省3
532: 2011/09/19(月)15:17 ID:XDBvLg6z(1/8) AAS
預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。

外部リンク[html]:www.j-theravada.net

ここに4段階の悟りの段階がかいてあるけど、1さんは今までの話からどれに相当するとみなさんは思いますか?
よく読んでから答えて下さい。
533
(1): 2011/09/19(月)15:25 ID:uSV+yQjc(1) AAS
悟りなんかない
534: 2011/09/19(月)15:51 ID:XDBvLg6z(2/8) AAS
>>533
有りますがな、そんなつまらない事言うんじゃないの
535
(5): 473 2011/09/19(月)16:01 ID:/jET1oDD(2/5) AAS
>>531
でも私の質問は目覚め(中悟?)と全体性(大悟?)についての質問なのである意味それについての
答弁になっているかとは思います。あとは寂滅(光明)があるのみ。
(第5段階への到達と第六段階にとけ去るということについてでもあります)
しかし全体性と寂滅はそんなに違いがないらしいです。目覚めと全体性の隔たりが大きい。
目覚めとは自我の束縛に気付く自我でない意識の目覚めにすぎないので始まりなのです。

目覚めると自我が確立するのです。
他者の影響を一時的に受けるものの基本的に他者から影響を受けない完全な自我の自立があり、
それゆえに何もかもを自我によって理解した気になる危険があります。

≫528
省15
536: 473 2011/09/19(月)16:04 ID:/jET1oDD(3/5) AAS
当人は幸せでかつ他者に悪意を振りまいているわけでなし。
この点光明に近づくほど苦しむタイプの人と違い、光明に近づくほど喜びにあふれるタイプの人は
何回も同じ地点を繰り返す。
まあ、悪いことでもなんでもない。

ただはっきりそれは光明や悟りとは別物であり、わかる人にはわかるので、
悟りという言葉を使うと不評を買うでしょう。
近い概念ではあるので便利なのですがこういった議論になる言葉は避けもっと単純にあなたの事実を表す言葉でよいのではないでしょうか。
あなたはそれで十分に感じます。
もっと単純な事実として日々幸せに、人と衝突なく生きるさまを分かち合ってゆけると素晴らしいですね。
537: 2011/09/19(月)16:12 ID:XDBvLg6z(3/8) AAS
>>473
532で云うと貴方はどこら辺まで悟りが進んでいるんですか?
538: 473 2011/09/19(月)16:15 ID:/jET1oDD(4/5) AAS
そう、OSHOの引用で何が言いたかったかといいますと
あるタイプの人は幸せな自我を道の途中で実現するのです。
あんまり物事深く考えないタイプです。
責めようのない完全な自我というのはそういうタイプの成長において存在するのです。

逆にあまりに多くの事を知っていたり懸念していたりする精神は、意識が増すほどにその懸念を同時にすべて知覚するので
その膨大な精神全体を支えきれないで深い混乱の闇に堕ちます。
今度はこれについて相談させてください。
539: 2011/09/19(月)16:18 ID:XDBvLg6z(4/8) AAS
悟って不のイメージ(マイナス思考)が出てくるのは悟りの道を間違えて進んでる状況だと聞いたことあるが
540
(1): 2011/09/19(月)16:44 ID:XDBvLg6z(5/8) AAS
書いたのが流れてしまったので今一度

預流果、一来果、不還果の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果で完成します。

外部リンク[html]:www.j-theravada.net

ここに4段階の悟りの段階がかいてあるけど、1さんは今までの話からどれに相当するとみなさんは思いますか?
よく読んでから答えて下さい。
541: 473 2011/09/19(月)18:00 ID:/jET1oDD(5/5) AAS
自分以上のレベルを理解することは決してできません。
今の自分の理解できることだけを理解すればよく、わからないことはわからないままにすることが大切です。
悟らなければ他者が悟っているかどうかはわかりません。

また1さんが光明を得ていないように感じるとして、言葉に矛盾があったり、理論と語感に矛盾があったり、
エゴのトリックを具体的に看過できるのでしたらそれをすればいいですが、
彼の実体が見えないのであれば彼は先を行っているのであり、口出しする筋合いのものではありません。
542: 2011/09/19(月)18:21 ID:bl4TViWI(1/2) AAS
>>473
たしかにこの辺でもうやめておいた方がいい
あなた可哀相なくらいまるで相手になってない
543: 2011/09/19(月)18:39 ID:taCRt+CP(1/6) AAS
>>540
ざっと読んでみたが、リンク先の記事は素晴らしいね。
ama氏がどの段階なのかはちょっと判断が難しいが、おそらく煩悩を捨て切れていないという意味で、
初期段階なのだろうとは思う。
いまだに煩悩(欲)を捨て切れてはいないだろう、という推察は>>435の書き込みから。
「〜は好き」「趣味がなくなることは(楽しいことがなくなることは)ありません」と
述べている時点で欲を捨てられない(欲を求めている)状態であることがわかる。
煩悩が消滅した者ならこういった返答はまずしないだろう。
煩悩がない状態の者の予想される返答は「好きなものや趣味は『ある』といえばあるが特定はでき『ない』」。

ただし、初期段階に到達したということは、修行を積むことで最終段階に到達する可能性は充分に有り得るだろう。
省1
544
(1): 2011/09/19(月)18:58 ID:bl4TViWI(2/2) AAS
>>1
473が悟るにはどうしたらいいか
545: 2011/09/19(月)19:52 ID:taCRt+CP(2/6) AAS
俺の考えでは、悟りは二種類あると思ってる。「無(空)の悟り」と「有(色)の悟り」。

無の悟りってのは、煩悩が消滅する悟り、希望も絶望も自我もなくなる悟り。
この悟りは、瞬間的に得ることのできる悟りでもある。なんらかのキッカケで、突然全てが消滅する。
こちらは俺も体験したことがあるのでわかる。
こういう状態になると、恐怖もなくなるので死は怖くなくなるし、趣味の意味もなくなる。
ただし、この状態を維持するのは非常に難しい。
欲が消えるとはいうものの、それは内なる欲が消えるのであって、
外から飛び込んでくる欲(の発生源)については、普通に生活している限りなくならない。
旨いものを食べたいという欲が消えたとしても、目の前に旨いものが差し出されたら、
誰であろうとヨダレを垂らしてしまうだろう。性欲に関しても同じ。
省3
546
(3): 2011/09/19(月)20:05 ID:Feg7bSFb(1/5) AAS
相談があります
悟りはどこまで開くことをいうのですか?

入門はしてませんが法と瞑想で
高次元へ行くことができ
ついに如来の存在を見ました
私が見てる事を気付いてくれました
難しい会話はまだ出来ません

悟りはまだ先ですか?
547: 2011/09/19(月)20:13 ID:taCRt+CP(3/6) AAS
一方、俺がいままで気付かなかったのは「有(色)の悟り」のほう。
悟りというのは一つしかないものと勘違いしてたために、こちらの悟りは全く無視していた。
この悟りは、俺はまだ殆ど体験したことがないため、想像でしか語れない。
簡単に言えば、想像(イメージ)で幸せを極限まで高めること。
想像上の幸せを現実化する(現実の幸せに変える)ということでもある。
これは、瞑想やチャネリング、夢見(明晰夢)の最終段階において得られるものだと思う。

想像の力というものは、極限まで高めると現実とかわらなくなる。
想像の力で(過去に負った)火傷すら再現できるし、全くの健康な者に糖尿病であると暗示をかけて成功すると、
検査上においては糖尿病患者の結果と全く変わらなくなる、ということもわかっている
(糖尿病のことについては詳しく本に書かれていなかったが、おそらくこれも火傷と同様に、
省5
548: 2011/09/19(月)20:15 ID:QlYA/kW2(1) AAS
光明がどうとかヒンズー教くさい悟りイメージで悟りを語っている人がいるがそれは自分の固定観念で相手をはかっているだけの自己満足に過ぎないよ
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