[過去ログ] 新潟は路車板の荒らし・キチガイが多いのだろうか!! (581レス)
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555: 2014/10/08(水)20:33 ID:hsAv3ERR0(15/22) AAS
上越線高崎〜水上間にて蒸気機関車が復活運転されたのは1989年のこと。国鉄分割民営化からJR東日本として再発足した直後、「地域密着」をスローガンに蒸気機関車復活運転の計画が持ち上がった。
日本全土から静態保存されている蒸気機関車をリストアップした結果、後閑駅前に保存されていたD51 498号機に白羽の矢が立てられた。
日本国内に蒸気機関車は大量に保存された。その数は約500両を超すという。保存場所の募集も将来の復活運転を有望視した上で保存ができることを条件に付けるほど当時の“SLブーム”は白熱を見せた。
マニアでもなんでもないありふれた一般人までもが男女を問わず一時の「鉄ヲタ」に変身した時代だったが、ブームが去るや保存車両たちの管理はたちまち杜撰になっていった。
将来の復活を有望視して―という札付きの条件もとうに忘却の彼方。公園や市民の集会所の真ん中に真っ黒な巨体が佇む光景が各地に散見されるようになった。
次第に腐食が激しくなるにつれ多くは撤去を余儀なくされたが、場所の立地上簡単に解体することが出来ず補修という名の下、無知識な施工業者によって全身を黒ペンキで塗りつぶされた機体も多く存在する。
上越線に蒸気機関車復活計画が上がるだいぶ前、D51 724号機という機体が渋川駅から程近い児童公園に静態保存された。全国各地を闊歩し、末期は酒田機関区に配属され渋川駅にも姿を現したという。
現役で活躍していた線区沿いであることが効いたのかもしれないが、きっとこの機も将来的に復活させることを望まれて線路からも近いこの場所に保存されたのだろう。
『古きものへの憧れ これは人間の基本的な願望であります』という礎の元、民家がひしめく公園の片隅に腰を下ろしていた。整備も行き届き、黒光りしたボイラーに真夏の日差しがあたると艶やかなボディが浮かび上がった。
夏空を背景に佇むその姿は古を偲ぶように微笑んでいるようにも感じられた。
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