[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう  Part5 (770レス)
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751: 2014/10/19(日)06:25 ID:KNJyRymw0(1/20) AAS
し。是を以て邪師存生の昔は永く罪条に沈み、滅後の今は亦屍骨を刎らる其の徒・住蓮と安楽とは死を原野に賜い成覚と薩生とは刑を遠流に蒙りぬ此の現
罰を以て其の後報を察す可し、方に今且は釈尊の遺法を護らんが為且は衆生の塗炭を救わんが為に宜く諸国の末寺・荘園・神人・寄人等に仰せて重ねて彼の邪法を禁断
すべし縦い片時と雖も彼の凶類を寄宿せしむ可からず縦い一言と雖も其の邪説を聴受す可からず、若し又山門所部の内に専修興行の輩有らば永く重科に処して寛宥有ること勿れ、
者れば三千衆徒の僉議に依つて仰す所件の如し。延応二年山門申状近来二つの妖怪有り人の耳目を驚かす所謂達磨の邪法と念仏の哀音となり。
顕密の法門に属せず王臣の祈請を致さず誠に端拱にして世を蔑り暗証にして人を軽んず小生の浅識を崇めて見性成仏の仁と為し耆年の宿老を笑うて螻蟻〓〓の類に
擬す論談を致さざれば才の長短を表さず決択に交らざれば智の賢愚を測らず、唯牆壁に向うて独り道を得たりと謂い三依纔に紆い七慢専ら盛なり長く舒巻を抛つ附仏法の外
道吾が朝に既に出現す、妖怪の至り慎まずんばあるべからず何ぞ強ちに亡国流浪の僧を撰んで伽藍伝持の主と為さんや。  
752: 2014/10/19(日)06:26 ID:KNJyRymw0(2/20) AAS
御式目に云く右大将家以後・代代の将軍並に二位殿の御時に於ての事・一向に御沙汰を改ること無きか、追加の状に云く嘉禄元年より仁治に至るまで御成敗の事・正嘉二
年二月十日評定、右自今以後に於ては三代の将軍並に二位家の御成敗に準じて御沙汰を改むるに及ばずと云云。
念仏停廃の事、宣旨御教書の趣き南都北嶺の状粗此くの如し、日蓮〓弱為りと雖も勅宣並に御下知の旨を守りて偏に南北明哲の賢懐を述ぶ猶此の義を棄置せらるるに
非ずんば綸言徳政を故らる可きか将た御下知を仰せらるる可きか、称名念仏の行者又賞翫せらると雖も既に違勅の者なり関東の御勘気未だ御免許をも蒙らず何ぞ恣に関東の近
住を企てんや、就中武蔵前司殿の御下知に至りては三代の将軍並に二位家の御沙汰に準じて御沙汰を改むること有る可からずと云云。
然るに今念仏者何の威勢に依つてか宣旨に背くのみに非ず御下知を軽蔑して重ねて称名念仏の専修を結構せん人に依つて事異なりと云う此の謂在るか、何ぞ恣に華夷縦横の経回を致さんや。
勘文篇念仏者追放宣旨御教書の事念仏無間地獄抄 /建長七年 三十四歳御作
念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり早く浄土宗    
753: 2014/10/19(日)06:27 ID:KNJyRymw0(3/20) AAS
を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可き事法華経第二譬喩品に云く「
若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫
に至らん」云云 此の文の如くんば方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は無間地獄に堕つ可きなり念仏者云く我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり毀謗する
事はなし何の科に地獄に堕つ可きか、法華宗云く信ぜざる条は承伏なるか、次に毀謗と云うは即不信なり信は道の源功徳の母と云へり菩薩の五十二位には十信を本と為し十信の位に
は信心を始と為し諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云、然ば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり今の念仏門は不信と云い誹謗と云い争か入阿鼻獄の句を遁れんや、其の上浄
土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て他人たる阿弥陀仏を信ずる故に五逆罪の咎に依つて必ず無間大城に堕つ可きなり、経に今此の三界は皆是我有なりと説き給うは主君の義なり其の
中の衆生悉く是れ吾子と云うは父子の義なり而るに今此の処は諸の患難多し、唯我一人能く救護を為すと説き給うは師匠の義なり而して   
754: 2014/10/19(日)07:04 ID:KNJyRymw0(4/20) AAS
釈尊付属の文に此法華経をば付属有在と云云何れの機か漏る可き誰人か信ぜざらんや、而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き他人たる西方極楽世界の阿
弥陀如来を憑む故に主に背けり八逆罪の凶徒なり違勅の咎遁れ難し即ち朝敵なり争か咎無けんや、次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり豈無間地獄に堕ちざる
可けんや、次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり争か悪道に堕ちざらんや此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す此の仏を
捨て他方の仏を信じ弥陀薬師大日等を憑み奉る人は
二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり、浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内第三方等部の内より出でたり、此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず三世
諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり譬えば塔をくむに足代をゆふが如し念仏は足代なり法華は宝塔なり法華を説給までの方便なり法華の塔を説給て後は
念仏の足代をば切り捨べきなり、然るに法華経を説き給うて後念仏に執著するは塔をくみ立て後足代に著して塔を用ざる人の如し豈違背の咎無からんや、然れば法華の序分
                     
755: 2014/10/19(日)07:04 ID:KNJyRymw0(5/20) AAS
・無量義経には四十余年未顕真実と説給て念仏の法門を打破り給う、正宗法華経には正直捨方便・但説無上道と宣べ給て念仏三昧を捨て給う之に依て阿弥陀経の対告
衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ、四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛て法華経を受持して山海慧自在通王仏
と成り畢んぬ、阿弥陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞・閻浮提第一の大智者なり肩を並ぶる人なし、阿難尊者は多聞第一の極聖・釈
尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり、かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望を遂げず仏在世の祖師此くの如し祖師の跡を踏む可くば三部経を抛ちて法華経を
信じ無上菩提を成ず可き者なり仏の滅後に於ては祖師先徳多しと雖も大唐楊州の善導和尚にまさる人なし唐土第一の高祖なり云云、始は楊州の明勝と云える聖人を師と
為して法華経を習たりしが道綽禅師に値つて浄土宗に移り法華経を捨て念仏者と成れり一代聖教に於て聖道浄土の二門を立てたり法華経等の諸大乗経をば聖道門と名く自力
の行と嫌えり聖道門を修行して成仏を願わん人は百人にまれに一人二人千人にまれに三人五人得道する
756: 2014/10/19(日)07:05 ID:KNJyRymw0(6/20) AAS
者や有んずらん乃至千人に一人も得道なき事も有るべし観経等の三部
経を浄土門と名け此の浄土門を修行して他力本願を憑んで往生を願わん者は十即十生百即百生とて十人は十人百人は百人決定往生す可しとすすめたり、観無量寿経を所依
と為して四巻の疏を作る玄義分・序分義・定善義・散善義是なり、其の外法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経此等を九帖の疏と名けた
り、善導念仏し給へば口より仏の出給うと云つて称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出給けりと伝へたり、毎日の所作には阿弥陀経六十巻・念仏十万遍
是を欠く事なし、諸の戒品を持つて一戒も破らず三依は身の皮の如く脱ぐ事なく鉢〓は両眼の如く身を離さず精進潔斎す女人を見ずして一期生不眠三十年なりと自
歎す、凡そ善導の行儀法則を云へば酒肉五辛を制止して口に齧まず手に取らず未来の諸の比丘も是くの如く行ずべしと定めたり、一度酒を飲み肉を食い五辛等を食い
念仏申さん者は三百万劫が間地獄に堕す可しと禁しめたり、善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり、法然房が起請文にも書載たり、一天四海善導和尚を以て善知識
と仰ぎ貴賤上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の大王・   
757: 2014/10/19(日)08:01 ID:KNJyRymw0(7/20) AAS
三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、善導は法華経を行
ぜん者は千人に一人も得道の者有る可からずと定む何れの説に付く可きか、無量義経には念仏をば未顕真実とて実に非ずと言ふ法華経には正直捨方便但説無上道とて正直
に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つ可しと言ふ此の両説水火なり何れの辺に付く可きや善導が言を信じて法華経を捨つ可きか法華経を信じて善導の義を捨つ可きか
如何、夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜんの妙典善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ平等大慧
の巨益は虚妄と成り多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ぬ、三世諸仏の大怨敵と為り十方如来成仏の種子を失う大謗
法の科甚重し大罪報の至り無間大城の業因なり、之に依つて忽に物狂いにや成けん所居の寺の前の柳の木に登りて自ら頚をくくりて身を投げ死し畢んぬ邪法のたたり踵を回
さず冥罰爰に見たり、最後臨終の言に云く此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無しと即ち所居の寺の前の柳の木に登り西に向い願       
758: 2014/10/19(日)08:02 ID:KNJyRymw0(8/20) AAS
つて曰く仏の威神以て我を取り観音勢至来つて又我を扶けたまえと唱え畢つて青柳の上より身を投げて自絶す云云、三月十七日くびをくくりて飛たりける程にくくり縄や切れけん柳の枝や折れけん大旱魃の堅土
の上に落て腰骨を打折て、二十四日に至るまで七日七夜の間悶絶躄地しておめきさけびて死し畢ぬ、さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ此事全く余宗の誹謗に非ず法華宗の妄語にも
非ず善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云、而も流を酌む者は其の源を忘れず法を行ずる者は其の師の跡を踏む可し云云浄土門に入つて師の跡を踏む可くば臨終の時善導が如く自害有る可きか、念仏者として
頚をくくらずんば師に背く咎有る可きか如何。
日本国には法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云、然るに天魔や其の身に
入にけん広学多聞の智慧も空く諸宗の頂上たる天台宗を打捨て八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し、選択集と申す文を作つて一代五時の聖教を難破し念仏往生の
         
759: 2014/10/19(日)08:37 ID:KNJyRymw0(9/20) AAS
一門を立てたり、仏説法滅尽経に云く五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く善人甚だ少くして若は一人若は二人ならん云云即ち法然房是なりと山門の状に書かれ
たり、我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり、観経等の浄土の三部経の外・一代顕密の諸大乗経・大般若
経を始と為して終り法常住経に至るまで貞元録に載する所の六百三十七部・二千八百八十三巻は皆是千中無一の徒物なり永く得道有る可からず、難行・聖道門をば門を閉じ之を抛ち之を閣き之を捨て・浄土
門に入る可しと勧めたり、一天の貴賤首を傾け四海の道俗掌を合せ或は勢至の化身と号し或は善導の再誕と仰ぎ一天四海になびかぬ木草なし、智慧は日月の如く世間を照して肩を並ぶる人なし名徳は一天に
充ちて善導に超え曇鸞・道綽にも勝れたり貴賤・上下・皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思い道俗・男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ、然りと雖も恭敬供養する者は愚癡迷惑の在俗の人・帰依渇仰する人は無智放逸の
邪見の輩なり、権者に於ては之を用いず賢哲又之に随うこと無し。 
760: 2014/10/19(日)08:38 ID:KNJyRymw0(10/20) AAS
然る間斗賀尾の明慧房は天下無雙の智人・広学多聞の明匠なり、摧邪輪三巻を造つて選択の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤
大僧正は希代の学者・名誉の才人なり浄土決疑集三巻を作つて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は天下無雙の学匠・山門探題の棟梁なり弾選択上下を造つて法然房が邪義
を責む、しかのみならず南都・山門・三井より度度奏聞を経て法然が選択の邪義亡国の基為るの旨訴え申すに依つて人王八十三代・土御門院の御宇・承元元年二月上旬に専修念仏の張本たる安楽・
住蓮等を捕縛え忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ、法然房源空は遠流の重科に沈み畢んぬ、其の時・摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり此の事は皇代記に見えたり誰か之を疑わん。
しかのみならず法然房死去の後も又重ねて山門より訴え申すに依つて人皇八十五代・後堀河院の御宇嘉禄三年京都六箇所の本所より法然房が選択集・並に印版を責め出して大講堂の庭に取り上げて
三千の大衆会合し三世の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けて之れを掘り出して鴨河に流され畢んぬ。
宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿・七道に成し下さ      
761: 2014/10/19(日)09:02 ID:KNJyRymw0(11/20) AAS
れて、六十六箇国に念仏の行者・一日片時も之れを置く可からず対馬の島に追い遣る可きの旨諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ、此等の
次第・両六波羅の注進状・関東相模守の請文等明鏡なる者なり。嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云く。専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、〓に因つて代代の御門・頻に厳旨を降
され殊に禁遏を加うる所なり、而るを頃年又興行を構へ山門訴え申さしむるの間・先符に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ、其の上且は仏法の
陵夷を禁ぜんが為且は衆徒の欝訴を優に依つて其の根本と謂うを以て隆寛・成覚・空阿弥陀仏等其の身を遠流に処せしむ可きの由・不日に宣下せらるる所なり、余党に於ては其の在所を
尋ね捜して帝土を追却す可きなり、此の上は早く愁訴を慰じて蜂起を停止す可きの旨・時刻を回さず御下知有る可く候、者綸言此の如し頼隆・誠恐・頓首謹言。
七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる進上天台座主大僧正御房政所同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く。専修念仏興行の輩を停止す可きの由・五畿七道に宣下せられ畢
んぬ、且御存知有る可く候綸言此の如く之を悉にす・頼隆・誠恐・頓首謹言。七月十三日 右中弁頼隆奉わる進上天台  
762: 2014/10/19(日)09:03 ID:KNJyRymw0(12/20) AAS
座主大僧正御房政所殿下御教書
専修念仏の事、五畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るを諸国に尚其の聞え有り云云、宣旨の状を守つて沙汰致す可きの由・地頭守護所等に仰せ付
けらる可きの旨・山門訴え申し候、御存知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色候所なり、仍て執達件の如し。嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判
武 蔵 守 殿永尊竪者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下之を止め置く可か
らず、仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げて三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ畢んぬ、又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。
嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く専修念仏は亡国の本為る可き旨文理之有りと。
山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み滅後の今は且死骨を刎ねられ、其の邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い成覚・薩生は刑を遠流に蒙る
殆ど此の現罰を以て其の後報を察す可し云云。
嗚呼世法の方を云えば違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り今に御赦     
763: 2014/10/19(日)10:03 ID:KNJyRymw0(13/20) AAS
免の天気之れ無し心有る臣下万民・誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶ可きや、仏法の方を云えば正法
誹謗の罪人為り無間地獄の業類なり何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致す可きや、庶幾くば末代今の浄土宗・仏在世の祖師・舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛つて法華経を持
ち菩提の素懐を遂ぐ可き者か。日 蓮 花 押当世念仏者無間地獄事安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、文永元年甲子九月二十二日。
問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、問うて云く其の選択の意如何、答えて曰く後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国に一の
彗星出でたり名けて源空法然と曰う選択一巻を記して六十余紙に及べり、科段を十六に分つ第一段の意は道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の名目を立つ、其の聖道門とは浄土の三部
経等を除いて自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の
名目之を挙げて聖道門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入    
764: 2014/10/19(日)10:04 ID:KNJyRymw0(14/20) AAS
つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可からずと云云、又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立
つ第二段の意は善導和尚の五部九巻の書に依つて正雑二行を立つ、其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中に一も無きなり、下の十
四段には或は聖道・難行・雑行をば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根・随自意・無上功徳等と名けて、念仏に対して末代の凡夫此れを捨てよ此の門を閉じよ之を
閣けよ之を抛てよ等の四字を以て之を制止す、而て日本国中の無智の道俗を始めて大風に草木の従うが如く皆此の義に随つて忽に法華真言等に随喜の意を止め建立の思を廃す、而る間人
毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱え或は毎日三万遍・六万遍・十万遍・四十八万遍・百万遍等唱る間又他の善根も無く念仏堂を造ること稲麻竹葦の如く、結句は法華真言
等の智者とおぼしき人人も皆或は帰依を受けんが為に或は往生極楽の為に皆本宗を捨てて念仏者と成り或は本宗にして念仏の法門を仰げるなり。
今云く日本国中の四衆の人人は形は異り替ると雖も意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す、仏法繁昌の国       
765: 2014/10/19(日)10:24 ID:KNJyRymw0(15/20) AAS
と見えたる処に一の大なる疑を発する事は念仏宗の亀鏡と仰ぐ可き智
者達・念仏宗の大檀那と為る大名・小名並びに有徳の者多分は臨終思う如くならざるの由之を聞き之を見る、而るに善導和尚・十即十生と定め十遍乃至一生の間・念仏者は一人も漏れ
ず往生を遂ぐ可しと見えたり人の臨終と善導の釈とは水火なり。
爰に念仏者会して云く往生に四つ有り、一には意念往生・般舟三昧経に出でたり、二には正念往生・阿弥陀経に出でたり、三には無記往生・群疑論に出でたり、四には狂乱往生・観経の下
品下生に出でたり、詰つて曰く此の中の意・正の二は且く之を置く無記往生は何れの経論に依つて懐感禅師・之を書けるや、経論に之無くば信用取り難し、第四の狂乱往生とは引証は観経
の下品下生の文なり、第一に悪人臨終の時妙法を覚れる善知識に値つて覚る所の諸法実相を説かしめて之を聞く者正念存し難く十悪・五逆・具諸不善の苦に逼め被れて覚ることを得ざれ
ば善知識実相の初門と為る故に称名して阿弥陀仏を念ぜよと云うに音を揚げて唱え了んぬ、此れは苦痛に堪え難くして正念を失う狂乱の者に非るか狂乱の者争か十念を唱う可き、例せば
正念往生の所摂なり全く    
766: 2014/10/19(日)10:25 ID:KNJyRymw0(16/20) AAS
狂乱の往生には例す可からず、而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は此の文を受けて転教口称とは云えども狂乱往生とは云わず、其の上汝等が昼夜十二時
に祈る所の願文に云く願くは弟子等命終の時に臨んで心顛倒せず心錯乱せず心失念せず身心諸の苦痛無く身心快楽禅定に入るが如し等云云、此の中に錯乱とは狂乱か而るに十悪五
逆を作らざる当世の念仏の上人達並に大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病並に臨終の狂乱は意を得ざる事なり、而るに善導和尚の十即十生と定め又定得往生等の釈の如きは疑
無きの処に十人に九人往生すと雖も一人往生せざれば猶不審発る可し、何に況や念仏宗の長者為る善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等・皆悪瘡等の重病を受けて臨終に
狂乱して死するの由之を聞き又之を知る、其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず、善導和尚の定むる所の十即十生は闕けて嫌える所の千中無一と成んぬ、千中無一と定
められし法華・真言の行者は粗ぼ臨終の正念なる由之を聞けり、念仏の法門に於ては正像末の中には末法に殊に流布す可し、利根・鈍根・善人・悪人・持戒破戒等の中には鈍根・悪
人・破戒等殊に往生す可しと見えたり、故に道綽禅師は   
767: 2014/10/19(日)10:55 ID:KNJyRymw0(17/20) AAS
唯有浄土一門と書かれ、善導和尚は十即十生と定め往生要集には濁世末代の目足と云えり、念仏は時機已に叶えり行ぜん者空しかる可からざるの処に是くの如きの
相違は大なる疑なり、若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ進退惟谷れり此の疑を以て念仏宗の先達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無
し、念仏者救うて云く、汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗法と過むるか汝が小智の及ばざる所なり、故に上人此の四字を私に之を書くと思えるか、源曇鸞・道綽・善導の三師
の釈より之を出したり、三師の釈又私に非ず、源浄土の三部経・竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出ず、雙観経の上巻に云く設い我仏を得乃至十念等と云云、第十九の願に云く設い
我仏を得て諸の功徳を修め菩提心を発す等と云云、下巻に云く乃至一念等と云云、第十八の願成就の文なり、又下巻に云く「其の上輩者○一向専念・其中輩者○一向専念・其下
輩者○一向専念」と云云、此れは十九願成就の文なり、観無量寿経に云く「仏阿難に告ぐ汝好く是の語を持て是の語を持つ者は即ち是れ無量寿仏の名を持つ」等と云云、阿弥陀
経に云く小善根を以てす可からず乃至一日七日等と云云、   
768: 2014/10/19(日)10:56 ID:KNJyRymw0(18/20) AAS
先ず雙観経の意は念仏往生・諸行往生と説けども一向専念と云つて諸行往生を捨て了んぬ、故に弥勒の付属には一向
に念仏を付属し了んぬ、観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往生、下輩一観の三品は念仏往生なり、仏・阿難尊者に念仏を付属するは諸行を捨つる意なり、阿弥陀経に
は雙観経の諸行・観無量寿経の前十五観を束ねて小善根と名け往生を得ざるの法と定め畢んぬ、雙観経の念仏をば無上功徳と名けて弥勒に付属し、観経念仏をば
芬陀利華と名けて阿難に付属し、阿弥陀経の念仏をば大善根と名けて舎利弗に付属す、終の付属は一経の肝心を付属するなり又一経の名を付属するなり、三部経には諸
の善根多しと雖も其の中に念仏最なり、故に題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云えり、釈摩訶衍論・法華論等の論を以て之れを勘うるに一切経の初には必ず
南無の二字有り、梵本を以て之を言わば三部経の題目には南無之れ有り、雙観経の修諸の二字に念仏より外の八万聖教残る可からず、観無量寿経の三福九品等の読誦
大乗の一句に一切経残る可からず、阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根の語に法華経等漏る可きや、総じて浄土の三部経の意         
769: 2014/10/19(日)11:31 ID:KNJyRymw0(19/20) AAS
は行者の意楽に随わんが為に暫く諸行を挙ぐと雖も、再び念仏に対する時は諸行の門を閉じて捨閉閣抛する事顕然なり、例せば法華経を説かんが為に無量義経を説くの時に四十
余年の経を捨てて法華の門を開くが如し、竜樹菩薩十住毘婆沙論を造つて一代聖教を難易の二道に分てり、難行道とは三部経の外の諸行なり易行道とは念仏なり、経論此くの如
く分明なりと雖も震旦の人師此の義を知らず唯善導一師のみ此の義を発得せり、所以に雙観経の三輩を観念法門に書いて云く「一切衆生・根性不同にして上中下有り其の根性に随つ
て仏皆無量寿仏の名を専念することを勧む」等云云、此の文の意は発菩提心・修諸功徳等の諸行は他力本願の念仏に値わざりし以前に修する事よと有りけるを忽に之を捨てよと云うとも
行者用ゆ可からず故に暫く諸行を許すなり、実には念仏を離れて諸行を以て往生を遂ぐる者之無しと書きしなり、観無量寿経の仏告阿難等の文を善導の疏の四に之れを受けて曰く「上来
に定散両門を説くと雖も仏の本願に望めば意衆生の一向に専ら阿弥陀の名を称するに在り」云云、定散とは八万の権実・顕密の諸経を尽して之を摂して念仏に対して之れを捨つるなり、
      
770: 2014/10/19(日)11:31 ID:KNJyRymw0(20/20) AAS
善導の法事讃に阿弥陀経の大小善根の故を釈して云く「極楽は無為涅槃界なり随縁の雑善恐らくは生じ難し故に如来要法を選んで教えて弥陀専修を念ぜしむ」等と云云、諸師の中
に三部経の意を得たる人は但導一人のみ、如来の三部経に於ては是くの
如く有れども正法像法の時は根機猶利根の故に諸行往生の機も之有りけるか。
然るに機根衰えて末法と成る間・諸行の機漸く失い念仏の機と成れり、更に阿弥陀如来・善導和尚と生れて震旦に此の義を顕し、和尚日本に生れて初は叡山に入つて
修行し後には叡山を出でて一向に専修念仏して三部経の意を顕し給いしなり、汝捨閉閣抛の四字を謗法と咎むる事未だ導和尚の釈並びに三部経の文を窺わざるか、狗の雷を齧む
が如く地獄の業を増す汝知らずんば浄土家の智者に問え。
不審して云く上の所立の義を以て法然の捨閉閣抛の謗言を救うか実に浄土の三師並に竜樹菩薩・仏説により此の三部経の文を開くに念仏に対して諸行を傍と為す事粗経文に之見
えたり、経文に嫌われし程の諸行念仏に対して之を嫌わんこと過む可きに非ず、但不審なる処は雙観経の念仏已外の諸行・観無量寿経の念仏以外の定散・阿弥陀経の念仏の外の小善
根の
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