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92: 2024/06/11(火)19:50 ID:6by8G9Lfh(24/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・16

 元々はテムズ河畔の港を目標とした爆撃を行う予定だった、のであるが、予定の飛行
ルートを外れてしまいこの誤爆を引き起こした。果たしてこの誤爆はドイツ側が想定し
た通りの反応を、イギリス首相チャーチルに決断させ、イギリス国民に決意を立てさせ
た。つまり、イギリス国内のドイツ人スパイの検挙と逮捕、更に、アメリカ軍の本格的
介入を招いた。この報復としてドイツの首都ベルリンを、スイス航路でのイギリスが、
夜襲爆撃する結果をもたらしたのである。こうして、ベルリンへの爆撃を被ったことで
、ヒトラーは、もう然と、イギリスに対する爆撃を、それまでの軍事目標からロンドン
への、無差別都市爆撃へと変更する命令を下した。実は、連合国自体は、それまで意志
の統一化は図っていない。というのも、北アフリカで枢軸軍を破った後、連合国の間で
省11
93: 2024/06/11(火)19:51 ID:6by8G9Lfh(25/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・17

 「オーバーロード作戦」すなわち、ノルマンディー上陸作戦である。アメリカ諜報部
は、既に完ぺきな、大西洋の壁が完成に近づいていて、真っ向から上陸するのは、既に
困難である。との報告を受けるに至っていた。実はアメリカは、日本の参戦によって、
太平洋に於いての思いの外日本軍が強い事に、欧州戦線に参戦する理由でのチョッカイ
が、藪蛇と化して、苦悩していたのであった。こうした作戦は、イタリア戦線において
、シチリア島上陸作戦に続いて行われたものであるが、二次世界大戦における連合国軍
のイタリア侵攻は、1943年になって、9月にハロルド・アレキサンダー大将率いる第15
軍集団(マーク・クラークのアメリカ第5軍、バーナード・モントゴメリーのイギリス
第8軍から構成)でイタリア半島本土に侵攻を行った作戦となった。つまりモンゴメリ
省14
94: 2024/06/11(火)19:51 ID:6by8G9Lfh(26/37) AAS
 実は中立国スイスは、中立国であるが故に、連合国軍から空爆を受けて居る。
 都市、シャフハウゼン
1944年4月1日、アメリカ陸軍航空軍による シャフハウゼンへの昼間爆撃は、すべての
事案の中で、最も深刻な物だった。約50機の、B-24リベレーターの大編隊が、シャフハ
ウゼンの北に 235キロ離れた本来の標的であるマンハイム近郊の ルートヴィヒスハー
フェン・アム・ラインと、誤認しての、60トンの爆弾を、投下した。シャフハウゼンで
は、空襲警報が、鳴ってはいたが、いつもの事で、これまで何度も鳴っていた。にも関
わらず、通行用の領空侵犯で、攻撃がなかったため、地元住民は、安心していた。多く
の人が避難せず、通常の日常行動をしていた。しかしその為に、合計40人の死者が出て
、約270人の 負傷者を出し、街の大部分が破壊されたのである。スイス政府から説明を
省11
95: 2024/06/11(火)19:52 ID:6by8G9Lfh(27/37) AAS
都市 チューリッヒと 都市 バーゼル
1945年3月4日、アメリカ陸軍航空軍の、B-24H爆撃機6機がチューリッヒに12.5トンの、
高性能爆薬と、12トンの焼夷弾を投下し、5人が焼かれて死亡した。本来の標的は、チ
ューリッヒの北の 290キロに位置するフランクフルト・アム・マイン近郊の、ドイツの
アシャッフェンブルクであった。と言う。コースを外れた6機の爆撃機の乗組員たちは
、フライブルク・イム・ブライスガウを 爆撃していると思い込んでいた。ほぼ同時刻
には、他の爆撃機がバーゼルに、12.5トンの高性能爆弾と5トンの焼夷弾を投下した。
その他の都市の 小都市攻撃
1940年を通じて、イギリス空軍によってジュネーブ、レネンス、バーゼル、チューリッ
ヒ、などへの小規模な攻撃が行われた。1943年10月1日、 米軍機がサメーダン上空で、
省10
96: 2024/06/11(火)20:45 ID:6by8G9Lfh(28/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・20

 中立国の歴史に3つの国がある。3国とは、スペイン、スウェーデン、そして、永世
中立国として有名なスイスである。他にも中立国は多いのに、なぜこの3国が代表的な
のでしょうか? それはこれらの国が、第二次世界大戦の最中すら中立政策を貫いて、
成功した国。とされているからだ、そこには、大きな苦労と、隠された秘密があるから
だ。中立といっても色々な形と歴史がある、問題にしている第二次世界大戦の戦時中立
であった歴史である。日本人が甘い偶像としている、戦時中立は、戦争をしてた両陣営
の、どちらにも味方せず、公平に接することが、果たして出来ていたのだろうか。中立
国は、中立と言う条件の義務を果たさねばいけない。事案中立国は戦争に参加しては、
ならず、また、交戦当事国のいずれにも 援助を行ってはならず、平等に接しなければ
省13
97: 2024/06/11(火)20:46 ID:6by8G9Lfh(29/37) AAS
「中立を保つことは、あまり有効な選択肢ではない」
98: 2024/06/11(火)20:47 ID:6by8G9Lfh(30/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・21

 中立国は、どちらの陣営にも公平に接して、誰の味方にもならない、という事を常に
心掛けた政権が要る。公平と言えば、聞こえはいいものの、邪な国に、その為の恨みを
買う可能性も多い。中立国スウェーデンの例では顕著に現出した。プロイセンが、デン
マークに侵攻した時の事である。スウェーデンにとって、デンマークは大事な友好国で
あった。そのデンマークが、攻められるのをスウェーデンは、ずっーと中立を保つ事を
芯にした。つまり、手助けせず、見捨てる他ありませんでした。当然ナチスはそれを、
見越して進軍し、虐殺の限りに及び、大敗を喫したデンマーク人がスウェーデンに対し
失望し、落胆は大きかった。「中立であること」は、戦乱への介入の拒否でもあるが、
友好関係にあった周辺国の、無支援、不介入(見殺し)にもなりかねない。事も判って
省13
99: 2024/06/11(火)20:47 ID:6by8G9Lfh(31/37) AAS
中立宣言をしても攻め込まれたケース
100: 2024/06/11(火)20:49 ID:6by8G9Lfh(32/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・22

 第二次大戦時、ドイツは、中立国のノルウェー・デンマークを侵略し、占領していく
。その時の言い分は、中立緩衝地帯としての見方以外は、何物とも思っていない。ドイ
ツのリッペントロップ外相は、「中立国の ノルウェー、デンマークの地域を、英仏の
侵攻から守るために『保護占領』を行う。」旨を発表したのだ。北欧侵攻「ヴェーゼル
川演習」の実施である。以後、中立宣言国に対する、武力侵攻の際には、洋の東西を問
わず、この便利で こぎれいな偽りの用語が、使われる。またドイツは厳正中立を貫い
た、低地の諸国も侵略していく。オランダとベルギーである。仏国占領の通過国と言え
、領土内を蹂躙されて、大きな被害を出した。両国は中立国として、ドイツ側にもイギ
リス側にも、味方しませんでした。その為、双方に対して領空侵犯対処を行ない、厳正
省11
101: 2024/06/11(火)20:50 ID:6by8G9Lfh(33/37) AAS
アンリ・ギザン将軍「自らの運命を手放すことなく」 リュトリの誓い
102: 2024/06/11(火)20:51 ID:6by8G9Lfh(34/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・23

 この第二次世界大戦の終結後、オランダ・ベルギーは、この経過から中立政策を放棄
した。このような過酷な状況で、よりによってドイツに隣接していたのに、中立に成功
したのがスイスであった。そこには、他の国と違った成功要因があったのでしょうか。
ドイツの脅威は、スイスにも迫った。そんな1940年の夏に、スイス軍の幹部がリュトリ
草原に集められました。リュトリは、かつてスイス建国の盟約が行われた誓いの聖地で
あった。彼らを招集したのは、スイス全軍の指揮をとる、アンリ・ギザン将軍である。
そこでギザン将軍は各員に断固たる決意を伝えます。「国境の向こう側には歴史的にも
稀なほどの、強力で優秀な軍隊が迫っており、以降数週間のうちに予想もしなかった、
大きな事態に直面しないとも限らない状況にある。」「スイス軍は全正面からの攻撃を
省11
103: 2024/06/11(火)20:52 ID:6by8G9Lfh(35/37) AAS
いざとなれば主要路のトンネルを爆破する 鎖国も覚悟で山に立て籠もる
104: 2024/06/11(火)20:53 ID:6by8G9Lfh(36/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・24

 このスイス軍の防衛努力に加え、スイスに、もう一つの決意が、ドイツに侵略をため
らわせた。と言われる。急峻な土地で、もしドイツに攻められ、占領されそうになれば
、スイスへの通りの道にある、大事なトンネルを自ら爆破する、という予告と宣言であ
る。ドイツがスイスを占領するメリットは、交通の要衝路として使う為にあった。なの
に占領前に、ほぼ小さな橋は、既に爆破させられ、侵攻して行軍でトンネルが爆破され
たのでは、「スイス占領」の、目的の根幹に関わる大問題となった。これを受けての、
スイス占領を計画していたドイツ軍は、「武力侵攻すれば占領は困難ではないだろうが
輸送路や、鉄道の喪失は、避けられそうにない。」と見積ったといわれる。スイスは、
こうして、鉄道爆破の予告により、ドイツによる侵略のメリットの数々を減らして対策
省13
105: 2024/06/11(火)20:55 ID:6by8G9Lfh(37/37) AAS
 スイスは「拒否的抑止」に成功し、時間が彼らに味方した。
106: 2024/06/12(水)01:57 ID:xGGOIpCDF(1/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・25

 「損害は予想外に拡大し、長期戦への突入と、戦争継続能力に響く消耗は避けられな
い。これが、スイス侵攻が避けられ、占領で得られる成果が 見合わないであろう。」
と言う、侵攻側の占領コストを上げ、メリットを減らす。というスイスの防衛努力が、
実った結果である。スイスの、軍事力はドイツに比べれば弱小で、この弱小なスイスの
軍事力でも力を尽くすことで、ドイツの侵略を抑止し、国を守ることができた。という
歴史の真実である。こうした軍事力をもって、相手に侵攻を思いとどまらせることを、
「抑止」や「抑止力」といいます。ドイツの軍事力はスイスを占領可能なものでした。
ですが、たとえ、侵略側より弱い軍事力しか持たなくとも、戦争を抑止する術はある。
たとえ勝てないにしても、相手が、許容できないほど損害を与えられるだけの軍事力が
省11
107: 2024/06/12(水)01:59 ID:xGGOIpCDF(2/14) AAS
 姿勢は、ナチズムの恐喝、現実は 欧米からの敵視
108: 2024/06/12(水)01:59 ID:xGGOIpCDF(3/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・26

 しかし、スイスはこのような堂々たる努力だけでは済んではいない。恥ずべき努力も
行っている。当時、ドイツはユダヤ人への差別、迫害、そして虐殺政策をとっていた。
スイスは、そこまではしなかったものの、ドイツから逃れるユダヤ難民に冷淡な態度を
とった。1938年以降、ある意味属国化した。9月から、逃げてきたユダヤ人の入国者の
ビザに、赤いJマークを刻印するとともに、入国制限を強めた。これはナチスのユダヤ
人摘発に、供する以外何ものでもなく忖度したのだ。赤いJマーク付き旅券所持者は、
スイス国外に出て行っても、ナチスの摘発から逃れられなくなって行くのだ。なぜナチ
ス協力にも類するようなことが行われたのか。その最大の理由は幾つかある。一つは、
「ドイツとの貿易関係の維持が、中立の継続にも直結したということ」である。スイス
省12
109: 2024/06/12(水)02:00 ID:xGGOIpCDF(4/14) AAS
 欧州大陸は かつて反ユダヤ主義で 一致していたのに
110: 2024/06/12(水)02:00 ID:xGGOIpCDF(5/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・27

 このように中立は簡単な政策ではない。ある一時だけの中立ならともかく、ずっーと
中立を国是として貫くのは、至難の技といっても良いでしょう。中立国は戦争に勝手に
巻き込まれることもない代わりに、他国に守ってもらうこともできない。時には友好国
を見捨てる事になり、恨みを買う。同盟国を持たないため、単独で国防をせねばならな
い。自主防衛どころか、これでは孤立防衛である。この中立を守るに、マキャベリズム
の「狐の知恵と獅子の勇気」にとどまらず、そのうえさらに「貝の辛抱」が求められた
のである。別の言い方によると「(中立政策とは)氷のように冷血で、利己的、かつ、
生存のための可能性の政策」とされる。これが試されたのが、スペインである。スペイ
ンは第一次世界大戦でも出遅れた国とされた。かつて大国だったスペインは、まだまだ
省11
111: 2024/06/12(水)02:01 ID:xGGOIpCDF(6/14) AAS
 世界は金に飢えていたのか
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