[過去ログ]
あとはよろしく (380レス)
あとはよろしく http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
92: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 19:50:52.49 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・16 元々はテムズ河畔の港を目標とした爆撃を行う予定だった、のであるが、予定の飛行 ルートを外れてしまいこの誤爆を引き起こした。果たしてこの誤爆はドイツ側が想定し た通りの反応を、イギリス首相チャーチルに決断させ、イギリス国民に決意を立てさせ た。つまり、イギリス国内のドイツ人スパイの検挙と逮捕、更に、アメリカ軍の本格的 介入を招いた。この報復としてドイツの首都ベルリンを、スイス航路でのイギリスが、 夜襲爆撃する結果をもたらしたのである。こうして、ベルリンへの爆撃を被ったことで 、ヒトラーは、もう然と、イギリスに対する爆撃を、それまでの軍事目標からロンドン への、無差別都市爆撃へと変更する命令を下した。実は、連合国自体は、それまで意志 の統一化は図っていない。というのも、北アフリカで枢軸軍を破った後、連合国の間で 次に、どこを攻めるべきか意見が一致していなかったのだ。ウィンストン・チャーチル 英国首相は、イタリアを「ヨーロッパの下腹部」と呼んで上陸侵攻を、提唱していた。 しかし、戦争中のイタリアの支援は、次第に減少し、チャーチルは侵攻によりイタリア と、地中海のイタリア海軍の影響の削除を望んでいた。しかし、連合国の輸送経路は既 に開けられ中東における、連合国軍への補給は容易で、アメリカからソビエトへの支援 を増加させることになる。しかし、アメリカ軍自体が、ソ連との繋がりに意見は分断さ れていた。ここにジョージ・C・マーシャル大将や、アメリカの上層部はフランス上陸 を遅らすような作戦を、望んでいなかったのだ。しかし、1943年中に「オーバーロード 作戦」を実行することが、不可能であることが明確になった時に、その後の作戦の計画 なしに、北アフリカにおける戦力を用いる範囲でのシチリア島上陸作戦に同意したのだ 。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/92
93: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 19:51:16.79 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・17 「オーバーロード作戦」すなわち、ノルマンディー上陸作戦である。アメリカ諜報部 は、既に完ぺきな、大西洋の壁が完成に近づいていて、真っ向から上陸するのは、既に 困難である。との報告を受けるに至っていた。実はアメリカは、日本の参戦によって、 太平洋に於いての思いの外日本軍が強い事に、欧州戦線に参戦する理由でのチョッカイ が、藪蛇と化して、苦悩していたのであった。こうした作戦は、イタリア戦線において 、シチリア島上陸作戦に続いて行われたものであるが、二次世界大戦における連合国軍 のイタリア侵攻は、1943年になって、9月にハロルド・アレキサンダー大将率いる第15 軍集団(マーク・クラークのアメリカ第5軍、バーナード・モントゴメリーのイギリス 第8軍から構成)でイタリア半島本土に侵攻を行った作戦となった。つまりモンゴメリ ーが砂漠のキツネ作戦で、やっと生き延びたイギリス軍に、尻を叩いた作戦となってい た。このイタリア侵攻作戦によって、第二次世界大戦中、連合軍はスイスを敵とみなし 連合国機が、約70回にわたって爆撃し、84人が死亡した。これらの爆撃は誤爆とされて いるが、歴史家には、連合国がドイツに対し、敵協力したスイスに警告を送りたかった 。と確信する者もいる。つまり、ドイツはレニングラード攻防戦に敗け、イギリスには 欺瞞作戦に乗り、イタリア攻防戦にも兵を振り向ける事になっていく。この時連合国は 、それでも、大西洋の壁を築いた海からの、ノルマンディー上陸作戦には、失敗もあり 得ると踏んで慎重にあったのだ。既にマンハッタン計画は、参加する科学者達リーダー の物理学者のロバート・オッペンハイマーからニューメキシコ州ロスアラモス(後の国 立研究所)に置かれることが1942年11月に決定し、開発は順調である。との報告を受け 、本来はノルマンディー上陸作戦を行う気は無かった。しかし、1944年9月のベルギー のウッファリーズ近くに発射基地を設営したV2ロケットによってロンドンは、連日の 攻撃に多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であり、チャーチルは悲鳴を上げて いた。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/93
94: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 19:51:43.15 ID:6by8G9Lfh 実は中立国スイスは、中立国であるが故に、連合国軍から空爆を受けて居る。 都市、シャフハウゼン 1944年4月1日、アメリカ陸軍航空軍による シャフハウゼンへの昼間爆撃は、すべての 事案の中で、最も深刻な物だった。約50機の、B-24リベレーターの大編隊が、シャフハ ウゼンの北に 235キロ離れた本来の標的であるマンハイム近郊の ルートヴィヒスハー フェン・アム・ラインと、誤認しての、60トンの爆弾を、投下した。シャフハウゼンで は、空襲警報が、鳴ってはいたが、いつもの事で、これまで何度も鳴っていた。にも関 わらず、通行用の領空侵犯で、攻撃がなかったため、地元住民は、安心していた。多く の人が避難せず、通常の日常行動をしていた。しかしその為に、合計40人の死者が出て 、約270人の 負傷者を出し、街の大部分が破壊されたのである。スイス政府から説明を 求められた連合国側の調査では、フランス上空で、悪天候によってアメリカ軍の編隊が 乱れ、爆撃機の対地速度の、倍近くの強風が 航法士を混乱させた事などが、理由とし て判明した。他にも、ドイツとフランスに散在する二つの都市もこの作戦で誤爆された 。シャフハウゼンを ルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインと、誤認した要因は、 ライン川の右岸(北側)に位置していた為であった。1944年10月までに、米国から 400 万米ドルの賠償金が支払われた。 都市 シュタイン・アム・ライン 1945年2月22日、アメリカ陸軍航空軍によって、13度にもわたる スイスへの空襲が行わ れた。最大の被害を受けたのは、シュタイン・アム・ラインで、他にテーガーヴィレン 、ラフツ、ヴァルスなどの、森林のある村々が被害を受けた。これらの攻撃で21人が、 死亡した。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/94
95: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 19:52:12.09 ID:6by8G9Lfh 都市 チューリッヒと 都市 バーゼル 1945年3月4日、アメリカ陸軍航空軍の、B-24H爆撃機6機がチューリッヒに12.5トンの、 高性能爆薬と、12トンの焼夷弾を投下し、5人が焼かれて死亡した。本来の標的は、チ ューリッヒの北の 290キロに位置するフランクフルト・アム・マイン近郊の、ドイツの アシャッフェンブルクであった。と言う。コースを外れた6機の爆撃機の乗組員たちは 、フライブルク・イム・ブライスガウを 爆撃していると思い込んでいた。ほぼ同時刻 には、他の爆撃機がバーゼルに、12.5トンの高性能爆弾と5トンの焼夷弾を投下した。 その他の都市の 小都市攻撃 1940年を通じて、イギリス空軍によってジュネーブ、レネンス、バーゼル、チューリッ ヒ、などへの小規模な攻撃が行われた。1943年10月1日、 米軍機がサメーダン上空で、 爆弾を投下し、物的損害を与えた。1944年にはコブレンツ、コルノル、ニーダーヴェニ ンゲン、タインゲンなどが攻撃された。 1945年には、キアッソなどが 2度の攻撃を受 けた。バーゼルは、1945年3月4日に爆撃された。1945年4月16日に ブルージオが大戦中 最後の空爆を受けた。1944年4月28日から 29日にかけて、ドイツ軍メッサーシュミット Bf 110 G-4 が スイス領空で、イギリスの爆撃機を追跡していたが、エンジントラブル によってドイツ軍パイロットは スイスへの着陸を余儀なくされ、拘束された。Bf110 には、最新鋭の FuG220 レーダーが、搭載されていた。ドイツは、スイス側の技術者が FuG220 レーダー を破壊する代償として、12機の Bf109 G-6 をスイスに売却したのだ 。しかし、これらの G-6 には、戦時下の製造条件が悪く、重大な欠陥がある事が判明 した。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/95
96: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:45:07.49 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・20 中立国の歴史に3つの国がある。3国とは、スペイン、スウェーデン、そして、永世 中立国として有名なスイスである。他にも中立国は多いのに、なぜこの3国が代表的な のでしょうか? それはこれらの国が、第二次世界大戦の最中すら中立政策を貫いて、 成功した国。とされているからだ、そこには、大きな苦労と、隠された秘密があるから だ。中立といっても色々な形と歴史がある、問題にしている第二次世界大戦の戦時中立 であった歴史である。日本人が甘い偶像としている、戦時中立は、戦争をしてた両陣営 の、どちらにも味方せず、公平に接することが、果たして出来ていたのだろうか。中立 国は、中立と言う条件の義務を果たさねばいけない。事案中立国は戦争に参加しては、 ならず、また、交戦当事国のいずれにも 援助を行ってはならず、平等に接しなければ ならない。と言う条件の義務を負ったのだ。一般に、この3国に分類されるだろう。こ 回避の義務と、直接、間接を問わず交戦当事国に、付き添わない。援助を行わない。更 に誰にも中立政策の義務として、戦闘防止の義務や自国の領域を、交戦国に利用させな い責任も負う。黙認の義務は、中立国の心境を曇らせる。交戦国が行う戦争遂行の過程 において、ある一定の範囲で、不利益を被っても 黙認する義務となるからだ。この点 について、外交的保護権や自衛権を、行使することができない。戦時国際法において、 これらの義務を果たすには「わが国は中立政策をとります」と宣言するだけではダメで あって、特に「交戦国が、自国の領域を蹂躙し、利用する行為」をやめさせないといけ ない。この義務を果たすには一定の実力が必要となる。この分かり易い、具体例が軍板 常見問題となる。今日的に例えば、イスラエルが中立で安全地帯の病院や学校を空爆を するが、当然ながら、中立で平和な民も、自衛の権利を持ち得る。つまり、如何にイス ラエルがハマスと間違えて空爆や殺戮しようとも、やはり住民には、対峙しあがない闘 うべき兵器を使うのは 至極まっとうな対処法なのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/96
97: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:46:48.49 ID:6by8G9Lfh 「中立を保つことは、あまり有効な選択肢ではない」 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/97
98: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:47:18.52 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・21 中立国は、どちらの陣営にも公平に接して、誰の味方にもならない、という事を常に 心掛けた政権が要る。公平と言えば、聞こえはいいものの、邪な国に、その為の恨みを 買う可能性も多い。中立国スウェーデンの例では顕著に現出した。プロイセンが、デン マークに侵攻した時の事である。スウェーデンにとって、デンマークは大事な友好国で あった。そのデンマークが、攻められるのをスウェーデンは、ずっーと中立を保つ事を 芯にした。つまり、手助けせず、見捨てる他ありませんでした。当然ナチスはそれを、 見越して進軍し、虐殺の限りに及び、大敗を喫したデンマーク人がスウェーデンに対し 失望し、落胆は大きかった。「中立であること」は、戦乱への介入の拒否でもあるが、 友好関係にあった周辺国の、無支援、不介入(見殺し)にもなりかねない。事も判って いた。このようなデメリットを指し、マキャベリは中立政策を、批判していたし、米国 のモンロー主義が叩かれる論旨になった。中立を保つことは、和平の存続にあまり有効 な選択肢ではない。特に、仮想にしろ現実にしろ、敵国が存在し、欲望や野望を持った 敵に、より自分が弱体である場合には、効果が無いどころか、より有害なものとなって 襲う。即ち中立でいると、勝者にとっては、次の犠牲牛の「貢ぎ物」「敵」になるだけ で、敗者の同じ立場の仲間にとっても「助けてくれなかった」ということで、敵視され るのが、オチであるのだ。実際、マキャベリの本書「中立国の戦い」では、中立国が、 勝者に狙われ、敗者に恨まれて苦労する様が多く出てくるという結果を語る。そこでは 、両陣営の間を、うまく泳ぎまわる外交力努力が、大きく必要となり、隣国との協力の 必要性をも説いている。中立国は自ら戦争に介入し、他国に攻め込むことはありません でしょう。しかし、他国の側から中立国に攻めてくる、ということは多々有り得るのだ 。事実、第一次、第二次世界大戦においては中立を宣言した国々は、交戦国からの軍事 行動を受けて、戦禍が免れない事態に陥ることになっている。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/98
99: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:47:50.75 ID:6by8G9Lfh 中立宣言をしても攻め込まれたケース http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/99
100: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:49:20.34 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・22 第二次大戦時、ドイツは、中立国のノルウェー・デンマークを侵略し、占領していく 。その時の言い分は、中立緩衝地帯としての見方以外は、何物とも思っていない。ドイ ツのリッペントロップ外相は、「中立国の ノルウェー、デンマークの地域を、英仏の 侵攻から守るために『保護占領』を行う。」旨を発表したのだ。北欧侵攻「ヴェーゼル 川演習」の実施である。以後、中立宣言国に対する、武力侵攻の際には、洋の東西を問 わず、この便利で こぎれいな偽りの用語が、使われる。またドイツは厳正中立を貫い た、低地の諸国も侵略していく。オランダとベルギーである。仏国占領の通過国と言え 、領土内を蹂躙されて、大きな被害を出した。両国は中立国として、ドイツ側にもイギ リス側にも、味方しませんでした。その為、双方に対して領空侵犯対処を行ない、厳正 な中立を守っていた。つまり、アルプスが無いだけで、ほぼスイスの様な政策であった 。しかし、一九四〇年冬に、ドイツ軍が、突然、電撃のような勢いで両国に攻め込み、 占領したのである。両国は中立政策の為の鎖に自ら縛られた。国力に応じた軍隊は保有 していたものの軽くあしらわれた。特にベルギーはドイツの侵攻に備えての「エバン・ エマール要塞」という、難攻不落の防御施設を造って防備していた。しかし、所詮は、 小国の軍事力に過ぎません。その上大国ドイツの国防軍には、新たなテルミット火薬が 開発され、この化学力と軍事力、機械化力で、到底かなわず、あっという間に敗北して しまったのだ。このように世界大戦では、多くの中立宣言した中立国が、お構いなしに 蹂躙・占領されてしまいました。つまり、もとより中立宣言は、関係各国(特に有事の 際の交戦国)から、中立的立場を尊重してもらわなければ、意味は無い上に、宣言した 側も、外交に偏りがあっては反対側からの非難(悪くすると軍事制裁)が免れない。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/100
101: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:50:19.90 ID:6by8G9Lfh アンリ・ギザン将軍「自らの運命を手放すことなく」 リュトリの誓い http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/101
102: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:51:16.07 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・23 この第二次世界大戦の終結後、オランダ・ベルギーは、この経過から中立政策を放棄 した。このような過酷な状況で、よりによってドイツに隣接していたのに、中立に成功 したのがスイスであった。そこには、他の国と違った成功要因があったのでしょうか。 ドイツの脅威は、スイスにも迫った。そんな1940年の夏に、スイス軍の幹部がリュトリ 草原に集められました。リュトリは、かつてスイス建国の盟約が行われた誓いの聖地で あった。彼らを招集したのは、スイス全軍の指揮をとる、アンリ・ギザン将軍である。 そこでギザン将軍は各員に断固たる決意を伝えます。「国境の向こう側には歴史的にも 稀なほどの、強力で優秀な軍隊が迫っており、以降数週間のうちに予想もしなかった、 大きな事態に直面しないとも限らない状況にある。」「スイス軍は全正面からの攻撃を 可能な限り、防御陣地に敷いて着く。これにより、国土防衛という歴史的使命を、達成 するつもりである…。…今、造営している、新陣地が真価を発揮するなら、我々は自分 達の運命を手放すことなく、掌中にしていられるであろう。敗北主義の流言に惑わされ る事なく、自らの力を信じて鉄の意志を持てるならば、精強な外敵に対する抵抗も成し 遂げられるであろう。」と通達声明を出した。ギザン将軍の戦略は、陵峻なスイスの山 の地形を生かした、防御陣地に立て籠る事であった訳だ。ドイツ軍に、数でも質でも、 大きく劣るスイス軍が、唯一対抗出来る手段は、厳しい山の土地にしかなかった。将軍 はその戦法を説明すると共に、いざとなれば、徹底抗戦する覚悟を示し、軍を鼓舞した のであった。スイスは、防衛努力によって、ドイツによるスイス侵略を不可能では無い にしても、コストが高くつくようにし、わが国に攻め込むと、最終的に勝てたとしても 、痛い目を見る。というメッセージを示した、プロパガンダを敷いたのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/102
103: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:52:54.51 ID:6by8G9Lfh いざとなれば主要路のトンネルを爆破する 鎖国も覚悟で山に立て籠もる http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/103
104: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:53:43.75 ID:6by8G9Lfh 中立のリアル・・・・・・・24 このスイス軍の防衛努力に加え、スイスに、もう一つの決意が、ドイツに侵略をため らわせた。と言われる。急峻な土地で、もしドイツに攻められ、占領されそうになれば 、スイスへの通りの道にある、大事なトンネルを自ら爆破する、という予告と宣言であ る。ドイツがスイスを占領するメリットは、交通の要衝路として使う為にあった。なの に占領前に、ほぼ小さな橋は、既に爆破させられ、侵攻して行軍でトンネルが爆破され たのでは、「スイス占領」の、目的の根幹に関わる大問題となった。これを受けての、 スイス占領を計画していたドイツ軍は、「武力侵攻すれば占領は困難ではないだろうが 輸送路や、鉄道の喪失は、避けられそうにない。」と見積ったといわれる。スイスは、 こうして、鉄道爆破の予告により、ドイツによる侵略のメリットの数々を減らして対策 を打ったのである。わが国に攻め込んでもウマ味は少ない。と、示したのでアル。ここ に「スイス侵攻は得られる成果が見合わないだろう」と言う、ドイツ将校達の共通認識 が次第に出来上がった。こうした努力によって、ドイツはスイス侵攻を、一度は思うが 、数回思いとどまる事に至ったようだ。しかし、アメリカ・ソ連らの連合国がドイツ軍 を破り、ドイツが 本土の守りに入ると、またしても、スイスに危険が訪れます。劣勢 になったドイツは スイスを、連合国よりも早く「予防占領」して、防衛線を敷くこと を計画したのだ。スイスの山々を生かして、連合軍を押しとどめ、「一気に挽回できる はずの原子爆弾が、完成するまで要塞戦を続けよう。」という計画を持ったのだ。が、 この計画も、連合国側の スイス爆撃で撤回され、スイスは国土を守りきる。スイスへ の「侵攻作戦を踏みとどまらせたのは、やはり ギザン将軍が敷いたスイスの国防軍の 防衛体制だった。駐スイス・ドイツ公使のキュッヘルは、本国からスイスの抵抗能力に ついて尋ねられても、スイス占領を希望した戦争指導者が、望むような返答はできなか った。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/104
105: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/11(火) 20:55:04.63 ID:6by8G9Lfh スイスは「拒否的抑止」に成功し、時間が彼らに味方した。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/105
106: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 01:57:41.06 ID:xGGOIpCDF 中立のリアル・・・・・・・25 「損害は予想外に拡大し、長期戦への突入と、戦争継続能力に響く消耗は避けられな い。これが、スイス侵攻が避けられ、占領で得られる成果が 見合わないであろう。」 と言う、侵攻側の占領コストを上げ、メリットを減らす。というスイスの防衛努力が、 実った結果である。スイスの、軍事力はドイツに比べれば弱小で、この弱小なスイスの 軍事力でも力を尽くすことで、ドイツの侵略を抑止し、国を守ることができた。という 歴史の真実である。こうした軍事力をもって、相手に侵攻を思いとどまらせることを、 「抑止」や「抑止力」といいます。ドイツの軍事力はスイスを占領可能なものでした。 ですが、たとえ、侵略側より弱い軍事力しか持たなくとも、戦争を抑止する術はある。 たとえ勝てないにしても、相手が、許容できないほど損害を与えられるだけの軍事力が あれば、抑止効果が期待できます。相手にとって侵略のメリットが、戦争の占領コスト (損害)が尋常でない損失であれば、相手は勝てるにしても、侵略をためらうのである 。勝てたとしても、損害が大きく、通行路のトンネルが使えないのでは 通過国家とし ての、戦争目的を達成できません。よって侵略を思いとどまることが、期待できたので ある。これを「拒否的抑止」という。侵略側の戦争目的を拒否する力「拒否能力」を、 持つことの意義で、侵略を抑止する訳である。これに対して、相手に報復できる戦力を もって戦争を防ぐのが「懲罰的抑止」です。「もし攻めてきたら、逆襲するぞ」という やり方です。スイスは鉄道爆破予告で侵略メリットを減らし、防衛努力で侵略コストを 上げ、その結果、「スイス侵攻は得られる成果が見合わない」とドイツに判断させた。 ここに記述されている このような事実を抑止論の言葉で説明すると、拒否的抑止に、 成功した、といってよい。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/106
107: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 01:59:25.56 ID:xGGOIpCDF 姿勢は、ナチズムの恐喝、現実は 欧米からの敵視 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/107
108: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 01:59:48.45 ID:xGGOIpCDF 中立のリアル・・・・・・・26 しかし、スイスはこのような堂々たる努力だけでは済んではいない。恥ずべき努力も 行っている。当時、ドイツはユダヤ人への差別、迫害、そして虐殺政策をとっていた。 スイスは、そこまではしなかったものの、ドイツから逃れるユダヤ難民に冷淡な態度を とった。1938年以降、ある意味属国化した。9月から、逃げてきたユダヤ人の入国者の ビザに、赤いJマークを刻印するとともに、入国制限を強めた。これはナチスのユダヤ 人摘発に、供する以外何ものでもなく忖度したのだ。赤いJマーク付き旅券所持者は、 スイス国外に出て行っても、ナチスの摘発から逃れられなくなって行くのだ。なぜナチ ス協力にも類するようなことが行われたのか。その最大の理由は幾つかある。一つは、 「ドイツとの貿易関係の維持が、中立の継続にも直結したということ」である。スイス の戦闘機がドイツのメッサーシュミットであった様に、経済上はドイツやベルギーとは 切っても切れない物があった。特にルール地方がドイツに盗られてからは、石炭火力は スイス人の暖房に欠かせないものだった。更にスイスが自国を防衛するために、必要な 物資や兵器も、新鋭の技術は、ドイツから買ったものであった。ゆえにドイツとの関係 が悪化して 輸入が止まれば、中立を守るための防衛力が弱まっていってしまいます。 よって人道に背を向けても、ナチスよりの政策をとった。更にユダヤの詐欺に近い商法 は、欧州全土に嫌われた商売摂理であった。ただ、前例にスウェーデンもスイスと同様 に、主要な物資をドイツからの輸入に頼っていた。そこで、さまざまな面でドイツ寄り の政策や態度を取った為、中立義務違反を問われて連合国側から非難されていた。中立 政策を保つには、時に、危険な外交取引が必要になる。中立義務違反の すれすれの処 で、一方に肩入れしなければ、中立政策を保てない、というケースも現実に多々起るの だ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/108
109: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 02:00:22.94 ID:xGGOIpCDF 欧州大陸は かつて反ユダヤ主義で 一致していたのに http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/109
110: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 02:00:44.18 ID:xGGOIpCDF 中立のリアル・・・・・・・27 このように中立は簡単な政策ではない。ある一時だけの中立ならともかく、ずっーと 中立を国是として貫くのは、至難の技といっても良いでしょう。中立国は戦争に勝手に 巻き込まれることもない代わりに、他国に守ってもらうこともできない。時には友好国 を見捨てる事になり、恨みを買う。同盟国を持たないため、単独で国防をせねばならな い。自主防衛どころか、これでは孤立防衛である。この中立を守るに、マキャベリズム の「狐の知恵と獅子の勇気」にとどまらず、そのうえさらに「貝の辛抱」が求められた のである。別の言い方によると「(中立政策とは)氷のように冷血で、利己的、かつ、 生存のための可能性の政策」とされる。これが試されたのが、スペインである。スペイ ンは第一次世界大戦でも出遅れた国とされた。かつて大国だったスペインは、まだまだ カトリックのローマの護りや露払いの騎士としての、風格や格式を引きずったままで、 植民地主義が破綻したにも関わらず、英国や仏国更に後追いする、米国・独逸・ロシア と競っていた。アメリカが、アラスカを買ったのは、1867年であった。合衆国とロシア 帝国の両政府間で行われた取引であり、その結果としてロシアの植民地であった様な、 ロシア領アメリカが、買い取ることになって、正式にアメリカ合衆国領となって、これ までもめてたメキシコの境界線も、ロシアが手を引き、残るはスペインの南米となった 。1836年に一方的にテキサス共和国の独立を宣言した後、さらに1845年に、アメリカは テキサス共和国を併合した。メキシコの抗議に、アメリカ合衆国はメキシコ戦争に至っ た。メキシコ側が先に領土を侵犯したと口実でメキシコへの侵攻を開始し、1846年5月 、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)となって、その仲裁に、ロシアの懐に、不毛な 領土を高値買い付けで、鉾を収めさせたのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/110
111: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/06/12(水) 02:01:21.48 ID:xGGOIpCDF 世界は金に飢えていたのか http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/111
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 269 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.009s