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241: 2024/06/30(日)20:18 ID:F0Y3MoAkg(5/8) AAS
 中立のリアル・・・・・・・148

 ツングースの名は、欧州の呼び名で、ツンドラのグース、つまり森の野鳥の雁などの
住む森と言う意味である。ツンドラ地帯は、日本では、凍原(とうげん)、寒地荒原(
かんちこうげん)などに訳される。所謂、永久凍土地帯を示すものだ。北極海の傍で、
寒帯でも唯一人間が居住できてた地域で、トナカイの遊牧でチェコト族などが、狩猟・
海洋漁業・鉱業が営まれていた。自然の地理学や地政学上、ツンドラは、低温で植物の
生長可能期間が、最も短いために、草木の樹木が生長できない地域である。ツンドラと
いう言葉は、木のない平原を意味するサーミ語に由来する。サーミ―族こそツンドラの
中で生きて来た人達で、南極ツンドラ、北極ツンドラ、高山ツンドラの3種類があり、
いずれにおいても主たる植生は草本類、蘚類、地衣類である。この中でも、遊牧民生活
省11
242: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(6/8) AAS
 中立のリアル・・・・・・・149

 すでに述べたように,ツングース系民族は、歴史的には古い諸族だと思われるが、主
に中国の北方地域とロシアのシベリア地域に分布して、国の形成にまで至っていない。
その地域環境の影響を受けての、独特な自然と融合した、物質文化と精神文化を形成し
ているのは、モンゴル人生活でもわかる。ツングース系民族の居住地域は森林,川・海
などの沿岸地域や平原であった。森林は禽獣など、川や海には魚類などの自然資源が、
自由に獲れた。平原では農耕の自然環境を提供していた。ツングース系民族を生業形態
を4種類のタイプに分類してよく論じられ、これらの社会は、近年まで、密接に関わり
あいがあっても、非常に干渉しない仲であった。第一形態の川・海での漁労,第二形態
の原始森林での狩猟生活。第三は、ツンドラの森林生活でのトナカイの飼養という牧畜
省10
243: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(7/8) AAS
 中立のリアル・・・・・・・150

この、ウラルや天山などの山岳地帯の漁撈の歴史は長い。7万年前から4万年前まで、
松花江畔は旧石器時代の末期から人類が生活していた足跡があり、楡樹(ゆうじゅ)県
周家明月鎮の石門山の「安図人」の洞穴の遺物より、この時期の人びとはすでに石板・
野獣の骨を使っての、簡易な道具を作り,その道具を使って魚など動物を獲っていた。
永吉県の星星哨(地名)と扶余県の監視塔で出土した新石器時代の遺物からも骨製釣り
針と網などが発見されている。長白山岳地帯の各河川の沿岸に居住していた満族の祖先
は粛慎時代から漁撈を行っていた。寧安県の東康遺跡と林口県の三道通遺跡の出土遺物
の中から釣り針,銛などの漁撈道具が出土している。第二の原始林での狩猟とは人間が
自然界の動物に依存して生きてゆくことである。アジア大陸の東北部の満族などのツン
省13
244: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(8/8) AAS
 中立のリアル・・・・・・・151

 第三のツンドラのトナカイの飼養は、新石器時代のツングース系民族は北半球の厳寒
地域で生活し、トナカイを飼養し主な食糧としていた様だが、冬には、アザラシや北極
熊なども獲り、凍った川を道にして、ソリを引き往来し、トナカイを飼った。ツンドラ
で生息する動物で、ほかの動物とは違って性格がおとなしく飼育しやすい特徴がある。
トナカイの食はコケであり、栄養が少なく始終食べ歩きして体力を保持し、魚の様に、
群から離れない。トナカイは衣食の材料のほか交通手段としても使われ、トナカイの、
ミルクはチーズに加工され、皮は寒さを防ぐ衣服として使われていた。また、トナカイ
は人と神霊の間の媒介者と考えられ、現在にいたるまでツングース系民族の物質文化と
精神文化の護り神で、クリスマスは重要な北方民の季節によるラマダンの始まりの儀式
省11
245: 2024/07/01(月)15:53 ID:xhiP4xucm(1/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・152

 日本の古墳時代の頃から、狩猟と採集のほかに農耕を始めて、女真族時代が出来て、
生産力がいっそう高くなった。人口増加と食糧の増加に従い、彼らは豚を飼育していた
。前に言ったように、農耕は家畜との共生で始まった。ツングース系民族の主な、生業
形態となった家畜は、農耕での貯蔵・保管の出来ない、余剰食糧、つまり残飯は一つの
保存食糧だったのだ。しかし、土地が必要だったで、女真人は山と平原に居住するよう
になった。とされる。狩猟と農耕と採集の三種の生業を組み合わせて行って、物品にも
余裕が出来、そのうち女真人は主に農耕に依存していくが、交易のパザールの、本来は
農耕馬や牛や羊の売り買いが、豚や豚肉、布や皮や毛皮や金までも 市場の商品となっ
た徒満族の祖先である粛慎は秦の時代に農耕を行っていた記録がある。農具は鋤と斧を
省8
246: 2024/07/01(月)15:54 ID:xhiP4xucm(2/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・153

 ハザール・カガン国は、ハのザイル、つまり尊大なザイル人である。7世紀の中頃、
西突厥の衰退と共に、ハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成した。日本語
的には、財要る。座に居る。会員制市場人、つまりこれが、ハザールや、市場可汗人の
国を形成していたのだ。ハザール人の歴史は、とても不思議である。特に ハザールの
寡頭制が、バビロニアの錬金術展開に変形したものとして、世界最大の組織犯罪シンジ
ケート団のハザールマフィア(KM)を作った、中国の龍頭と蛇頭の闘いは熾烈だった。
白龍党と黒龍党、蛇頭集団の名は、印度カースト制の成立と共にあった。ここでザイル
とは、バアル神の信仰信者の意味である。バール信仰が古くからの、カナン地域を中心
に各所で崇められたと言われる。「嵐と慈雨」の神である。その語源はセム語で「主」
省14
247: 2024/07/01(月)15:56 ID:xhiP4xucm(3/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・154

 紀元前千年前とされる、ウガリット神話で、最高神イル(エール)はアーシラト(海
の女神)や、アスタルト(豊穣多産の女神)の夫であらゆる神々の、父と呼ばれてた。
後に、バアルの妹で、妻とされたアナト(愛と戦いの女神)も元々は、エルの娘だが妻
の位置づけだった。と言われる。神聖で力ある最高神にして創造神であるイルは、一般
的には、王権を象徴する角のついた冠を頂き玉座に座った男性の姿で表される。イルは
レルと呼ばれる平野にある8つの入口と7つの部屋を持つ宮殿に住んでいる。イルが、
若い頃に、彼が海に出るとアーシラトと彼女の親友の女神たちが洗濯をしていた。イル
は彼女たちを観察してその善業を認め、鳥を焼いてアーシラトとアスタルトを招待し、
自分の妻か娘になるよう選ばせた。すると2人は妻となることを選んだ。イルと彼女達
省14
248: 2024/07/01(月)15:56 ID:xhiP4xucm(4/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・155

、ハザール=カガン国(ハン国、王国)は、無秩序な帝国として、トルコ系の遊牧国家
として生まれた。ユダヤ教を受容し、厳密にはユダヤ人ではないが、自らをユダヤ人と
称して、自覚するようになったユダヤ国家である。といえる。ハザール帝国が、ビザン
ツ帝国との国境を持っていたが、基本的に遊牧民フン族と、豚飼い住民の南方スラブ民
とは、商売上、当初は敵対する事は無かった。養豚の歴史からは、猪が原種とされるの
で、猪種のいる大陸では、何処でもいたもの。と推測される。アメリカ大陸では、南米
原産とされる。デュロック種は有名な赤毛種である。また肉質がよいとされる黒毛種の
バークシャー種は、鹿児島六白、鹿児島黒豚、として英国から薩摩が輸入した豚である
。ところが、最初に日本で豚飼いしたのは、台湾や支那との交易のあった琉球であった
省11
249: 2024/07/02(火)13:17 ID:jiqxFpkBN(1/6) AAS
 中立のリアル・・・・・・・152

 日本の古墳時代の頃から、狩猟と採集のほかに農耕を始めて、女真族時代が出来て、
生産力がいっそう高くなった。人口増加と食糧の増加に従い、彼らは豚を飼育していた
。前に言ったように、農耕は家畜との共生で始まった。ツングース系民族の主な、生業
形態となった家畜は、農耕での貯蔵・保管の出来ない、余剰食糧、つまり残飯は一つの
保存食糧だったのだ。しかし、土地が必要だったで、女真人は山と平原に居住するよう
になった。とされる。狩猟と農耕と採集の三種の生業を組み合わせて行って、物品にも
余裕が出来、そのうち女真人は主に農耕に依存していくが、交易のパザールの、本来は
農耕馬や牛や羊の売り買いが、豚や豚肉、布や皮や毛皮や金までも 市場の商品となっ
た徒満族の祖先である粛慎は秦の時代に農耕を行っていた記録がある。農具は鋤と斧を
省8
250: 2024/07/02(火)13:18 ID:jiqxFpkBN(2/6) AAS
説明によると
「ベラルーシ」の国名の由来は明らかではないが、ルーシの人々は13世紀から16世紀に
かけてモンゴルの支配を受けた。「モンゴルのルーシ侵攻」と「タタールのくびき」で
ある、ベラルーシの国名の由来である、白ルーシの名前の由来をモンゴルに関連付ける
説がいくつか挙げられている。その際に、モンゴル人が、中国から学んだ文化である「
方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」を、ルーシに持ち込んだため、「赤ルーシ」(南部
ルーシすなわち現在のウクライナ西部)、「白ルーシ」(西部ルーシ、すなわち現在の
ベラルーシ)、「黒ルーシ」(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)という名称が
生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残った。と常識的に語られて
いる。モンゴル系の国家で用いられたテュルク系の言語の影響を受けて、生まれた「自
省2
251: 2024/07/02(火)18:57 ID:jiqxFpkBN(3/6) AAS
 中立のリアル・・・・・・・153

 ハザール・カガン国は、ハのザイル、つまり尊大なザール人である。7世紀の中頃、
西突厥の衰退と共に、ハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成した。日本語
的には、財要る。座に居る。会員制市場人、つまりこれが、ハザールや、市場可汗人の
国を形成していたのだ。ハザール人の歴史は、とても不思議である。特に ハザールの
寡頭制が、バビロニアの錬金術展開に変形したものとして、世界最大の組織犯罪シンジ
ケート団のハザールマフィア(KM)を作った、中国の黒龍と蛇頭の闘いは熾烈だった。
白龍党と黒龍党、蛇頭集団の名は、印度カースト制の成立と共にあった。ここでザイル
とは、バアル神の信仰信者の意味である。バール信仰が古くからの、カナン地域を中心
に各所で崇められたと言われる。「嵐と慈雨」の神である。その語源はセム語で「主」
省14
252: 2024/07/02(火)18:57 ID:jiqxFpkBN(4/6) AAS
 中立のリアル・・・・・・・154

 ザールとは、日本語言う所のザル。 抜け穴とか洞穴あるいは掘ると言う意味。ここ
で、偉大な洞穴となると、いわゆる罠や仕掛け、トラップと言う事になる。この商人達
は、今でいう罠と違って、常に価格に値引きされる吹っ掛け値商売をやっていたので、
掛値商売の人間をさした ハザール。「(物の)値段の決まる場所」が原意でバザール
は、“定価”はない、というのが一般的である。つまり、商品ごとや取引ごとに、売り
手と買い手が価格交渉して、買い手ごとに異なった値段が決まる。一物多価の世界だ。
アラビア語では同様のもの(おおむね同様のもの)を「スーク」という。、中東諸国・
中央アジア・インドなどの市場でイスラーム世界の市場「スーク」のこと。日本語では
「バザール」という表記をすると特価、値引きと理解されることもある。「バザール」
省15
253: 2024/07/02(火)18:58 ID:jiqxFpkBN(5/6) AAS
 中立のリアル・・・・・・・155

 紀元前千年前とされる、ウガリット神話で、最高神イル(エール)はアーシラト(海
の女神)や、アスタルト(豊穣多産の女神)の夫であらゆる神々の、父と呼ばれてた。
後に、バアルの妹で、妻とされたアナト(愛と戦いの女神)も元々は、エルの娘だが妻
の位置づけだった。と言われる。神聖で力ある最高神にして創造神であるイルは、一般
的には、王権を象徴する角のついた冠を頂き玉座に座った男性の姿で表される。イルは
レルと呼ばれる平野にある8つの入口と7つの部屋を持つ宮殿に住んでいる。イルが、
若い頃に、彼が海に出るとアーシラトと彼女の親友の女神たちが洗濯をしていた。イル
は彼女たちを観察してその善業を認め、鳥を焼いてアーシラトとアスタルトを招待し、
自分の妻か娘になるよう選ばせた。すると2人は妻となることを選んだ。イルと彼女達
省14
254: 2024/07/02(火)18:58 ID:jiqxFpkBN(6/6) AAS
 中立のリアル・・・・・・・156

、ハザール=カガン国(ハン国、王国)は、無秩序な帝国として、トルコ系の遊牧国家
として生まれた。ユダヤ教を受容し、厳密にはユダヤ人ではないが、自らをユダヤ人と
称して、自覚するようになったユダヤ国家である。といえる。ハザール帝国が、ビザン
ツ帝国との国境を持っていたが、基本的に遊牧民フン族と、豚飼い住民の南方スラブ民
とは、商売上、当初は敵対する事は無かった。養豚の歴史からは、猪が原種とされるの
で、猪種のいる大陸では、何処でもいたもの。と推測される。アメリカ大陸では、南米
原産とされる。デュロック種は有名な赤毛種である。また肉質がよいとされる黒毛種の
バークシャー種は、鹿児島六白、鹿児島黒豚、として英国から薩摩が輸入した豚である
。ところが、最初に日本で豚飼いしたのは、台湾や支那との交易のあった琉球であった
省11
255: 2024/07/03(水)09:02 ID:xEt4mu+AE(1/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・157

 黒海とカスピ海の間に出来た、このハザール帝国は、コーカサス山脈で解れていた。
アッテラ大王の死後には、フン族の押さえが効かず、帝国が崩壊する。東ヨーロッパに
ここで権力の空白地が生じた。そこを通っていくつもの遊牧民が波が打ち寄せるように
次々と東から西から押し寄せてきたのである。アッテラ大王は ブルグント族などの、
ゲルマン系の諸族を征服して、パンノニアに本拠を置いて東ローマ帝国への侵入を繰り
返して、短期間でライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る大帝国を築き上げていた。ロシ
ア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国であった。だが、フン族は、ヴォルガ川以東から現れ、
 370年に、ヨーロッパへ移住して強大な帝国を建設したとされるが、これらはウラル人
と思われる。ユーラシア遊牧民の集団であるフン族も。彼らの主な軍事技術は騎馬弓射
省11
256: 2024/07/03(水)09:03 ID:xEt4mu+AE(2/22) AAS
410年頃にフン族はドナウ川中流域を制圧し、433年には、西ローマ帝国の将軍アエティ
ウスと取り引きして、兵力提供の見返りとして パンノニアとイリュリクムの、一部の
支配権を認められた。「トラキアにいる野蛮なフン族はとても強大になり、数百の都市
が奪われ、コンスタンティノープルも危険になり、多くの人々が逃げ出した……そして
たくさんの人々が殺され、血が流されて、死者の数を数えることもできない。」ああ、
彼らは教会と修道院を奪い、大勢の修道士や修道女たちが虐殺された。(カリニコス著
『聖ヒュパティオスの生涯』)共同王位のアッテラの遠征を欧州側で見た声である。
257: 2024/07/03(水)09:04 ID:xEt4mu+AE(3/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・158

 アッテラの父親ムンズクは、フン族の共同統治者であった、ルーアが王になった時、
フン族はバルカン半島に進出しドナウ川中流域を制圧していた。ルーア王は、弟のムン
ズクの働きに、その内政を任せていた。フン族の脅威に晒された東ローマ皇帝テオドシ
ウス2世は、430年頃に年に、350ローマ・ポンド(125 kg)の、貢納金の支払いを同意
して、手を打った。しかしこの納税は、庶民の不評どころか反感まで買った。テオドシ
ウス2世は「能書家」というあだ名の通り、書に優れていた教養人でもあった。神学や
学問の方面に熱中して、政治を顧みなかったと言われ、政治は重臣が行ない、その在位
中に「テオドシウスの城壁」と呼ばれる難攻不落の大城壁建造を度々やった。首都コン
スタンティノポリスの防衛強化、『テオドシウス法典』の整備など、後の東ローマ帝国
省12
258: 2024/07/03(水)09:05 ID:xEt4mu+AE(4/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・159

 このサーサーン朝ペルシアは、ヨーロッパとアジアの中世美術の形成に大きな影響を
与えた。ペルシャ文化はイスラム文化の多くの基礎となり、イスラム世界全体の芸術、
建築、音楽、文学、哲学にも、多大な影響を与えている。サーサーン朝支配の時代は、
イラン歴史の最高点で、イスラム教徒の征服前にいながら古代イラン文化の最盛期でも
あった。アフガン戦争前のアフガニスタンに於いて、その匂い香が残った、平和な山奥
の多人種社会に、1950年代から多くの欧州観光客が、感銘を受けたと伝えている。
だがしかし、世界大戦と同時に、イスラエル建国運動、つまりシオニズム運動と共に、
ユダヤの財政基盤を、バクー以外の油において、当時世界最大のイラン原油のパイプラ
イン構想で、ソ連の侵攻が始まったのである。ともあれ古代ペルシアのサーサーン朝の
省12
259: 2024/07/03(水)09:05 ID:xEt4mu+AE(5/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・160

 四匹の子豚の物語がある。狼に襲われる中で、最初は弟の子豚は、簡単な藁の家に住
み、寒い冬の嵐に吹き飛ばされ、逃げて兄の家に居候する。しかし狼に燃やされてしま
い、そこで兄弟達は、働き者の長男のレンガの家に住み着いた。所が、勢いやって来る
狼の群に易々と乗っ取られてしまう。そこで仕方なく妹の嫁入り先の石の王の下で住ん
だ。ここで石作りを学んだ兄弟は、今度は王の討伐に加わり、狼退治に参加した。次男
の豚は戦士したが、長男と三男の豚は、新しく石の家を作り、末っ子の妹豚と、平和に
暮らした。と言う豚物語だが、この前後にも物語があるが、あまり意味が解らないので
割愛するが、この最後砦となった石の家というのが、パヴィアを首都とした、ランゴ・
バルド王国であるらしい。6世紀に東ローマ帝国の、ユスティニアヌス大帝が 次々と
省11
260: 2024/07/03(水)09:08 ID:xEt4mu+AE(6/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・161

 しかし、その支配が774年まで続く間に、ランゴバルド人はローマ人と混血して、
ランゴバルド語は消えた。ここで4匹の子豚は、ゲルマン人、ゴート人=フランク人、
スラブ人が、ローマ人=イオニア人になった話で、狼は中東人つまりブルガール人と言
う事になる話である。忘れ去られてしまったランゴバルド語と共に、イタリアの統一は
の夢は終わりを遂げ、長い東西分裂の時代にはいるが、古代以来の都市は、混血浸透が
永続し存続し、むしろ、この時代に次の自治都市の発展が準備された。東ローマ帝国・
ローマ教皇・フランク王国との関係は微妙だったが、実は先住民族の、安定期でもあっ
ただろう。ランゴバルド人は、他のゲルマン人と同じようにローマ教会からは、大きく
異端とされていた。アリウス派の信仰や、バール信仰が残っていた。しかし、当初から
省10
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