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261: 2024/07/03(水)09:12 ID:xEt4mu+AE(7/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・162

 この放棄によって、東ローマ帝国は、イタリア半島を放棄した後の バルカン半島の
、スラヴに移りスラブ人からの領地獲得攻勢に転じてゆき、ビザンツ帝国としての性格
を、スラブ仕様に強めることとなった。こうなるとランゴバルド王国の勢いは、ローマ
教会をも、圧迫するようになった。ランゴバルド王国との関係が、悪化したローマ教皇
は、もはや東ローマ帝国には依存できなくなり、新たな保護者として目をつけたのが、
フランク王国であったのだ。568年にパヴィアを都に成立したランゴバルド王国は、
歴史上は、この成立をもって、イタリアにおける伝統的古代が、終わって中世時代が、
始まったと言うことが出来る。全くローマの継承は自意識によるもので、政府や王朝に
その香りすら無かったのだ。ランゴバルド王国の支配以来、その主要な支配地となった
省11
262: 2024/07/03(水)09:14 ID:xEt4mu+AE(8/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・162                α

 古代イランのアーリヤ人。サーサン朝ペルシアでは、ゾロアスター教が国教となった
。これまでも、さまざまな神々を祀っていた。その一つがミトラ神で、友情・契約など
を司る太陽神である、非常に人気が高く。特に、宇宙の秩序を維持する神は、地上での
神官階級の役割を、投影したもので進められた。イラン高原でゾロアスター教の善悪の
二元論的指向の世界観が主流の中で、この宇宙審判論の機能神は、目立たない位置に、
追いやられた。それでも、ゾロアスター教の影響を受けない周辺部の古代アーリヤ人の
間では、秘密裏の儀式で、かなり広がり人気で、後世まで生き残り続けた。ローマ帝国
におけるミトラ教は、中央アジアにおける弥勒菩薩信仰などに形象されたと言われる。
サーサン朝より前の、アルサケス朝パルティアには全盛期で前2世紀ミトラダテス1世
省10
263: 2024/07/03(水)09:16 ID:xEt4mu+AE(9/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・163

 前14世紀のエジプト新王国の、アメンホテプ4世が、それまでの、多神教である、
アメン神信仰をすて、本来の太陽神であるラーを唯一神として復活させ、あらたな神の
観念としてアトン神を創出して万物の創造主であるとした。アメン・ラーである。だが
この言葉はアテン=王座 ラー=神=御徒ラーなのである。更に南米の古代遺跡にも、
太陽神に捧げる、犠牲牛の儀式を持ち、地球上の共通の意識がそこに存在していた様だ
。前1世紀にローマのポンペイウスが小アジアを征服しことを機にローマに伝えられた
といわれるが、それは逆で、恐らくローマ宗教旧約聖書が、ここで伝えられ、ミトラ教
が地下に潜ったのである。共和政ローマから帝政ローマ時代の価値の混乱した時代に、
キリスト教布教で下層民の宗教が広がって行く事に対し、上層部ではローマの国家神と
省10
264: 2024/07/03(水)22:38 ID:xEt4mu+AE(10/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・164

 この太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神とされ、ローマで盛んに祝われ
るようになり、やがてミトラ教に代わり、キリスト教が公認され、教会は、この日を、
イエスの誕生日として祝うことによってキリスト教の勝利を表明した。この日付に敗れ
たミトラ教がある。インドのミトラと同源とされ、ミトラはサンスクリット語で「計量
者」を意味し、歳月の計量者,すなわち太陽神である。多くはペルシア神ミトラの信奉
においての密儀宗教とされ、古代ペルシアで信奉されたが,ゾロアスター教に押されて
後退した。宇宙起源の神で終末論において、ローマ民衆をひきつけ、一時期国教化され
、その秘密めいた教義は2世紀ごろローマ帝国に伝わり,軍人を中心に信仰されたが,
キリスト教が盛んになるにつれて衰退した。光明神ミトラを崇拝する密儀宗教は、それ
省12
265: 2024/07/03(水)22:40 ID:xEt4mu+AE(11/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・165

 ミタンニ王国(前1700〜前1270)時代、イラン系民族の一つミタンニ人がシリアから
イラク北部にかけての地域につくった王国ですら、ミタンニという国名が、ミトラから
きていて、ミトラ信仰のミトラ教は国教とされるなど、ミトラ神信仰が定着していた。
ただ、ミトラ教では、密儀宗教であって、古代インドや古代イラン系民族の神話などで
、少し知られるのみでその全貌は、知ることができない。しかも、時代によって、神々
の地位や特性が、数々変更され、新しい考え方が導入されたりと流動的で、統一的な、
教義が確立されていた。とは言い難い物のようだ。ミトラ神崇拝のミトラ教と一口に言
っても、ミトラ神は、一神教的な、唯一絶対神でなく、特に原始ミトラ教の信仰形態は
、ミトラ(至高神)、ヴァルナ(原人)、アリヤマンの三柱に、四柱の神々を加えて、
省11
266: 2024/07/03(水)22:41 ID:xEt4mu+AE(12/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・166

 ところが、時代が進むにつれ、あるいは西洋に伝承されるにつれ、この神は、宇宙の
統治者・全能の神、唯一神的な、属性を付与される。この意味において、原始ミトラ教
が発展的ミトラ教に姿を変えた。ヴァルナはミトラの天地創造を手伝う共同創造者で、
ミトラ教の、別の神学的な見解の中で、神々のヒエラルキー(階層)の頂点に立ったの
だ。つまり、人間との契約の外に、宇宙を構成する四大元素である火・水・地(土)・
風(空気)を統制する、万物の根源的な神の登場である。性別や情念も持たない存在と
されて、体に蛇を巻きつけた獅子頭の怪人という象徴的な、半獣半人の姿で、最初に表
される。ズルワーンが登場する。永続的時間神とされるズルワーンは、万物の創生と、
破壊を司った。つまり蛇の尾っぽに、獅子の頭、時間を司どる。つまりエジプトで言う
省12
267: 2024/07/03(水)22:41 ID:xEt4mu+AE(13/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・168

 オフルミズドは、ヴァルナの子、またはヴァルナの化身とされ、人間の原像となった
母神的存在である。ゾロアスター教の主神アフラ=マズダに相当するとの見方もある。
いわゆる人間の最高能力神=超人善行神である。つまり月を時間とし、金星を、人間や
動物の生命とした様だ。従って、金星をビーナスとして女神像にした理由がそこにある
。不思議な事に、月=太陰暦で、世界中で地球の片隅まで、月を時間の神としてる事は
確定された、伝統の様だ。古来より月読み姫伝説と、金星の女神伝記は、定番でもある
。しかし、紀元前6世紀半ばに、イランにアケメネス朝ペルシア(BC555〜BC330)が、
興隆し、メディア王国とカルデア王国は滅ぼされ、西アジアを統一。この時代に、ゾロ
アスター教に、創始者ゾロアスターによる一種の「宗教改革」が興り、最高神として、
省12
268: 2024/07/03(水)22:45 ID:xEt4mu+AE(14/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・169

 ミトラ教における赦しの思想は、マズダー教にとっては、根本教義の「絶対二元論」
そのものを崩壊させてしまう。勧善懲悪論は、完全超悪でなくては、受け入れられなか
ったのだ。まあ悪者を次々に許して、一般人や一般行動を悪としたら、物語は始まらな
い。と言って、この勧善懲悪論も、善悪二元論で、切り捨て断罪出来る程、世の中が古
代であっても、単純な訳はないし、悪を作りすぎるので、ゾロアスター教は、次第に、
ミトラ教や古代の多神教的要素が入り込み、折衷的な宗教に変質していく。ミトラ=神
は、アフラ・ミトラという名に変化、地上の統治権を得て、「最後の審判」で、死後の
冥府での、死者の生前の行状を裁く審判者(裁判の神)としての役割を担うようにした
。つまり、時間の神ズルワーン=スフインクスの、生命の死だけを切り取ってエジプト
省12
269: 2024/07/03(水)22:45 ID:xEt4mu+AE(15/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・170

 前334年のアレクサンダー大王の東征から、226年のパルティア王国の滅亡までの間の
約550年間は、ヘレニズム時代と呼ばれている。アレクサンダー大王(356-323 B. C.)
は、ギリシャを統一した後に、東方遠征を開始した。前331年 アケメネス朝ペルシアを
滅ぼすと、アケメネス朝を象徴したゾロアスター教(三アフラ教)を厳しく弾圧した。
アレクサンダー軍は、ゾロアスター教の司祭を、多数殺害し、教典「アヴェスタ教本」
も焼くなど、折衷宗教ゾロアスター教を徹底的に破壊した。この頃にこのゾロアスター
教から、旧約聖書が産まれようとしていた様だ。つまり、インドラの持つバビロン伝説
を移し替える宗教団体が、死海教本など作っていた。ミトラ教は、アケメネス朝ペルシ
ア帝国の時代には、すでにアナトリア半島にまで広がり、ギリシャ語化した「ミトラス
省12
270: 2024/07/03(水)22:47 ID:xEt4mu+AE(16/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・171

 この大王の死後、アレクサンダー帝国を継承したセレウコス朝シリアも興きイラン系
のアルサケス朝パルティア(B.C.247〜A.D.228)では、ミトラ神は至高の最高神(主神
)とまでなった。「戦争の勝利の神」として民衆や支配階層から厚い信仰を受け、この
王朝の守護神になった。とされる。パルティアで、ミトラ崇拝が進んだことを受けて、
パルティア周辺には、バクトリア王国、アルメニア王国、カッパドキア王国といった、
ミトラ教国家が次々と誕生していった。月氏は「トクァル(トカラ)人」で、中国音写
説では古代中国語で「月」は「トクァル」ないし「トグァル」であり、バクトリア語に
おける「トクァル・トゥクァル」に一致し、古代中国語で中世西トカラ語の民族名を、
「月氏」又は「大月氏・小月氏」とした。「トクァル人」の音写で月氏(トカラ人)は
省10
271: 2024/07/03(水)22:48 ID:xEt4mu+AE(17/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・172

 ようやく平定に成功したアレクサンドロスは、ソグディアナの豪族の娘、ロクサネを
正妃に迎えて和解し、遠征の達成を祝った。しかし、アレクサンドロスが、この地に、
ギリシア人を入植させたのに加え、1万5千の歩兵、3500の騎兵を残留させたこと
は、いかにこの地の支配が不安定であったかを示していた。各地のアレクサンドリアの
建設に見られるギリシア人入植政策は、実態はギリシア人隔離政策とも言えるもので、
大王の死後、不満を持ったバクトリアを含む東方諸属州のギリシア人2万3千人は蜂起
して、祖国に帰ろうとした。この反乱は鎮圧されたが、決して平和的な融合策では、無
かったのである。しかし、実は、このアレクサンドロスの目的は、実はミロス信仰心で
、キリスト教の排除であった。基本的には、密教穴蔵集団、カッパドキア王国の聖書の
省13
272: 2024/07/03(水)22:48 ID:xEt4mu+AE(18/22) AAS
AA省
273: 2024/07/03(水)22:49 ID:xEt4mu+AE(19/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・174

 この仏教内 ミトラ教は、三昧耶形(さんまやぎょう)のサンスクリットで「約束」
「契約」などを意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、その上に蓮の花の蓮華八花
16花弁上の塔に載る。この蓮の花弁こそ、ミトラ教の生命の水、つまり慈雨を表す物
で三昧耶形は、、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)を持つと言う、一つの形とされている
。又大日如来と四如来を合わせて胎蔵五仏と呼ぶ。天鼓雷音如来は金剛界五佛での不空
成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)と同体とされる。開敷華王如来は、「開花した
蓮の花の王」の意味で、修行の努力によって、蓮の花が開くように菩提心が開花(開転
)し、大悲利他の心を起すことを表す開運如来とも言える。この一柱八神に、眷属と言
われる仲間の集団がその外を護るのが曼荼羅と言う作風である。ここでも、三昧耶形(
省10
274: 2024/07/03(水)22:50 ID:xEt4mu+AE(20/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・175

 その後、パルティア王国を滅ぼして成立したサーサン朝ペルシャ(226-642)では、
ゾロアスター教が、国教となって復権した。ゾロアスター教は、とても簡単に善悪二元
の唯一神を生み出した。ここで悪い事する奴は常にいる。だが善い事する奴も常にいる
。何故善い事をするか、生きて善行を行えば、輪廻で善き天国に行けるからだ。とした
。ゾロアスター、つまり、ザラス・シュトラは、太陽崇拝から光源崇拝に変えて、常に
炎があれば、何処でも礼拝できる。とした。つまり火焔崇拝である。更に「女と寝る様
に男と寝る男、男と寝る様に女と寝る女は、悪魔崇拝者である。」とした。つまり、同
性愛者を悪魔としたのだ。そして、基本的に四つ足の牛や豚に似たものの肉は食べては
ならない。とした。更に、各個の人の魂(ウルバン)には、各個の精霊(ウラワシ)が
省12
275: 2024/07/03(水)22:52 ID:xEt4mu+AE(21/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・176

 サーサン朝ペルシア帝国内では、250年頃に マニ教も興隆した。東方ミトラ教とも呼
ばれる。そこでは、ミトラ神は、太陽神にして宇宙の創造者であり、救済神として崇敬
を集めていた。一方で、アルメニアや、シリアで、完全にギリシャ化したミトラ教も、
生まれていく。こちらは西方ミトラ教と呼ばれた(ヘレニズム時代のミトラ教を含めて
西方ミトラという場合もある。)西方ミトラ教は、ローマ帝国全域に急速に広がって、
ついにはローマ帝国の国教になっていく。こうして、ルーア王時代には、契約に守護神
ミトラ教が軍神としてあったようだ。ルーア王は、432年に 更に内戦に敗れた西ローマ
帝国の、将軍アエティウスが、フン族の元へ亡命するのを追認若しくは容認した。アエ
ティウスは少年時代に、人質としてフン族の下で、生活した経験を持ち、ルーア王との
省10
276: 2024/07/03(水)22:53 ID:xEt4mu+AE(22/22) AAS
 中立のリアル・・・・・・・177

 東ローマ帝国は戦争の恐怖に恐れ慄くが、返答の使節を送る前にルーアは急死したの
であった(434年春)。ルーア王の死を、東ローマ帝国の国民は大いに歓喜して 神に祈
りを捧げ、総主教プロクロスは『エゼキエル書』の一節を引用した説教を行い、人々は
ルーアが神の怒りの雷によって殺されたと信じた。ルーアの跡は弟ムンズクの息子ブレ
ダとアッティラが引き継いだ。アッティラの元でフン族は全盛期を迎えるが、ルーアは
その重要な先駆者としての役割を果たしていて、その後のアッテラ王の快進撃が続く。
 アッテラ王は 406年頃、フン族の王ルーアの弟、ムンズクの息子として生まれた。と
している。中央アジアのステップから現代のドイツ、ドナウ川からバルト海にまで広が
るフン帝国を築き上げた。434年 ルーア王が死去して、フン族全体を統べる者として、
省12
277: 2024/07/04(木)01:26 ID:qxKkC/Jfa(1/2) AAS
 中立のリアル・・・・・・・178

 それは何故か、既にローマ帝国とは言え、敗けていて、戦争回避が至上命題だった。
からだ。しかし、この送還された逃亡者達は、不幸にも、2人の王族の少年と共に十字
架にかけられて処刑されたのであった。フン族は、条約に満足して東ローマ領から立ち
去り、自らの帝国固めの強化する為に、ハンガリー平原へ戻る。テオドシウス帝はこの
機会を逃さず、コンスタンティノープルの、城壁の強化を指示し、最初の海上城壁の、
建設をした。その上に、ドナウ川沿いの国境陣地を構築した。がそれでも、フン族は、
436年には ブルグント王国に侵攻し、グンダハールのブルグント軍を壊滅に追い込んだ
。ブルグントとは、今のフランスブルゴーニュ地方の初期の王なので、北欧的人種らし
い。フン族が戦っていたのはサーサーン朝ペルシアであって、その後数年間は、サーサ
省12
278: 2024/07/04(木)01:27 ID:qxKkC/Jfa(2/2) AAS
 中立のリアル・・・・・・・179

 しかし、此処には不可解な、バンダル人と言う言語の通じない、他国から移住者も数
多くいた。現在では、ヴァンダル人は全体としてプシェヴォルスク文化に属することが
判明した。また、リュージイ族(ル―シー族)との関係も議論されており、リュージイ
族(ルギイ族)が後にヴァンダル人と呼ばれるようになった。ともいわれる、後にヴァ
ンダル人と呼ばれるようになったか、もしくはヴァンダル人は、複数部族の連合体で、
リュージイ族はその一つであるスラヴ系部族だったとするなど諸説ある。スカンジナビ
ア起源説によれば、のちにヴァンダル人の内の一部を構成することになる部族は、紀元
前2世紀にバルト海を渡って現在のポーランド地域に到着し、紀元前の 120年頃から、
シレジアに定住するようになったとされる。ポーランドのシレジアの街は東欧中央部で
省11
279: 2024/07/05(金)04:42 ID:YQI7+bkmb(1/5) AAS
 中立のリアル・・・・・・・180

 テオドシウス帝は敗北を認め、講和交渉をした。講話条件は以前の条約よりも厳しい
ものになり、皇帝は侵略時の条約不遵守の賠償として金6,000ローマ・ポンド (2000 kg
) の支払いを認め、貢税の年額は3倍にされ、金 2,100ローマ・ポンド (700 kg) とも
なった。さらにローマ人捕虜の身代金は、一人12ソリドゥス金貨に引き上げられたのだ
。この要求は、金額が8ソリドゥスだったので5割、人数にして3倍、なのでほぼ4倍
の身代金で、その賠償金も、6000ポンドと法外ならば、年間貢ぎ支払いの納税も 700か
ら2100と言う、7倍で、金貨にして、250s から700s と鋳造し悪貨にしてたとは言え
3倍以上で、人口比で住民が1.5倍の中では、ほぼ同じ3倍の税収が必要となったのだ。
しかし、それでも、これらの威嚇・恫喝の外交に屈するしか無く、この上納は、当分の
省9
280: 2024/07/05(金)04:42 ID:YQI7+bkmb(2/5) AAS
 中立のリアル・・・・・・・181

 翌年戦い続け、449年に 東ローマ皇帝はアッティラの元へ使節を送った。歴史家プリ
スクスが、その中でいたが、プリスクスは使節をもてなす豪華な饗宴の中、アッティラ
王の食器だけが、非常に質素で、彼の振る舞いが清廉だったことを記録していた。ろー
マのテオドシウス帝は、使節の中に刺客を潜ませて、暗殺を凶行していたが、失敗に終
わった。と言う。アッティラは東ローマの使節の全体を罰することなく、丁重に送り返
したと言う。ここで、450年7月に、東ローマ皇帝テオドシウス2世は崩御した。その後
、マルキアヌスが後を継いだが、軍人出身の新帝は強硬策に出て、貢税の支払いを停止
したのである。此処に欧州全域のガリア大戦が行われたのであった。フランス南部から
イベリア半島にあたる地域を、ギリシャ帝国の様に支配したゲルマン系王国があった。
省11
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