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185: 2024/06/17(月)23:46 ID:b0ir0TCYY(4/5) AAS
  中立のリアル・・・・・・・97

 スペインから命からがら逃げて来た彼らが、ポルトガルでも安穏とはしていられなく
なった。継いだジョアンも、ポルトガルで同様の方針をとり、厳しいユダヤ人政策を、
展開した。江戸期の禁教令の全くの真逆が、ここで行われた。ギロチンになったのであ
る。この流れで欧州に、魔女狩りが蔓延った。1536年ジョアンも又、異端審問所を導入
した。当初の異端審問は、主な対象は上述のコンベルソ用だった。だが旧来のキリスト
教徒の、異端的行為も次第に対象になっていった。マリア像を崇めず、キリストを崇め
よ。と言う事でバチカンの権威に、すなおに従ったのだが、1540年に、異端の罪で火刑
が執行される行き過ぎが起こる。さらに1547年に、禁書目録制度を設立。これもまた、
ローマ教皇庁の制度とは別個だった。そもそも、教皇庁の最初の禁書目録が設立される
のは1557年になってから、つまり10年も後の事である。同時にポルトガルの異端審問
所は、スペインの異端審問所と同様の特徴をもっていた。すなわち、王権を国内で伸長
し、中央集権を確立する道具として利用されたのである。その背景には、どちらの国に
も、まだまだ各地方の豪族が、貴族として、王権に対抗する勢力を保持していたのだ。
そのため、異端審問所は、彼らを王権に服従させて、国内を分権的な状態から中央集権
に至らせる手段として、重宝され利用された。又ポルトガルの異端審問官の任命権は、
ローマ教皇にではなくポルトガル王が持っていた。つまり教会の人事権を持っていた事
で、神権を持つ王となった。この事は大きくスペイン・ポルトガルを海洋帝国に、のし
上げるのだ。つまり、黒人の奴隷貿易や奴隷市場をローマ教皇庁は、認可斡旋する側に
立ったのだ。司教曰く、黒人は異教徒である為「物を言う家畜」「喋る野獣」である。
との位置付けを、傲慢に行ったのだ。だがこの傲慢な論法に、更に傲慢を被せたのが、
その家畜を飼って、育てているの国は、スペインである。従って勝手に襲撃し、運ぶ事
はスペイン・ポルトガルに対する、盗みであり、冒涜である。との論理となったのだ。
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