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7: 2024/04/04(木)18:13 ID:p921etvw3(6/11) AAS
閑話休題x 006
ユダヤ戦争は、開始から3年目にして、4人のユダヤ人側の指導者が現れた。西暦68
年の事だ、すなわち、ギスカラのヨハネ(以下はヨハネ)、エルアザル・ベン・シモン
、ヨセフス・ベン・マタティア(フラウィウス・ヨセフス)、そして、シモン・バル・
ギオラ(ギオラ)である。エドム人であったシモン・バル・ギオラは「改宗者の息子」
を意味する愛称であった。シモンにとって、ヨハネ(使徒=選ばれし子)は最大のライ
バルであった。ギオラは司令官となり、約4万人ものローマ軍を釘付けにした、非常に
有能な司令官であったとされる。実際に、この年の6月9日にローマ皇帝ネロが自殺し、
70年までの2年間で4人のローマ人が、相次いで皇帝の地位を争う内戦時代にに突入し
、中央政府が、かなりに弱体化し、ユダヤ戦争への対応が棚上げとなったことがプラス
に働いている。ギオラ達は、「奴隷の為の、自由と自由のための報酬。」を公約して、
フラウィウス・ヨセフスらと政治的な路線で、対立した。やがて、ヨセフスはローマ軍
へ降伏することとなった。フラウィウス・ヨセフスは、『ユダヤ戦記』を著しこの顛末
を記した著者である。紀元37年〜100年頃 に、生き、帝政ローマ期のユダヤ貴族で政治
家となり、著述家になった。66年に勃発したユダヤ戦争で、当初ユダヤ軍の指揮官とし
て戦った。が、ローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚となり通訳官として、エルサレム
陥落にいたる一部始終を目撃した。本名ヨセフ・ベン・マタティアフでマタティア族長
のハスモン王朝の息子ヨセフとされる。ヨセフスは、エルサレム(ユダヤ属州州都)の
祭司の家系に生まれていて、彼自身の言葉によれば、青年時代にサドカイ派やエッセネ
派など、当時のユダヤ教の並みいる諸派を経て、最終的にファリサイ派を選んだ。とい
う敬虔なユダヤ信徒であった。64年に、ユダヤ人の陳情使節の一員として、ローマ市内
へ赴いて、ネロ帝妃のポッパエア・サビナの知己を得た。ユダヤ戦争の初期(66年)、
ヨセフスは、防衛のためのエルサレムから、ガリラヤへ派遣され、ガリラヤの町ヨタパ
タを守ってローマ軍と戦っって敗れている。
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