飛鳥時代辺りの神社 古神道 (148レス)
1-

4: 2018/10/22(月)19:02 ID:h1HC3yDg(1/2) AAS
>>3
だよな
5: 2018/10/22(月)19:19 ID:9fBOF0uC(2/2) AAS
飛鳥時代までの土器や金属器や埴輪や文献などに鳥居を刻んだ絵や文様や
鳥居を象ったものや鳥居らしき記述が一切ないし、鳥居の遺物もない。

鳥居が登場するのは8Cの文献からで、当初はウエフカズノミカドという名称だった。

ゆえに奈良時代頃に日本で生まれたものだと考えられる。
6: 2018/10/22(月)19:26 ID:h1HC3yDg(2/2) AAS
神社に社殿が作られるようになる前からあると思うよ
7
(1): 2018/10/23(火)13:41 ID:1qUi1IZx(1/2) AAS
>>3
>鳥居は日本オリジナルだよ。

日本の神社の鳥居と同じものはアジアでは雲南省とタイ山岳民族の稲作集落にしかないしね
つまり、

長江人=弥生人

で間違いない

弥生人は朝鮮人じゃない
省5
8: 2018/10/23(火)18:37 ID:TkStOhVD(1/2) AAS
>>7
弥生人は長江人でも朝鮮人でもなく沿海州人だし、

弥生時代に鳥居があったという証拠は?

.
9
(1): 2018/10/23(火)20:19 ID:1qUi1IZx(2/2) AAS
>弥生人は長江人でも朝鮮人でもなく沿海州人だし、

そんな事、専門家は誰もいってないよ

>弥生時代に鳥居があったという証拠は?

日本でも長江でも、オリジナルな鳥居は柱に鳥の人形が止まってるんだよ
だから鳥居という名前になったんだよ
弥生遺跡から長江と同じものが見つかっている
10: 2018/10/23(火)20:45 ID:e9qOBqHO(1) AAS
なんでそんなに改行すんの?
11
(1): 2018/10/23(火)22:56 ID:TkStOhVD(2/2) AAS
>>9
埴原和郎東京大学名誉教授。

ホンモノはこのようにすぐ提唱者の名前が出せます。

鳥居は8Cに登場した当初はウエフカズノミカドと呼ばれていて、鳥居とは呼ばれていない。

鳥居と呼ばれるようになったのはだいぶ後になってから。
12
(7): 2018/10/24(水)04:38 ID:2c3epVG3(1/18) AAS
>>11
>埴原和郎東京大学名誉教授。

埴原和郎は縄文人は古モンゴロイド、弥生人は新モンゴロイド

新モンゴロイドはシベリアに長くいたので寒冷地適応している

と言ってるだけだよ

長江の稲作民は氷河時代にはシベリアにいて、間氷期になってから長江まで南下して稲作を始めたんだよ
だから長江人も弥生人同様に新モンゴロイドだ
13: 2018/10/24(水)04:43 ID:2c3epVG3(2/18) AAS
>鳥居は8Cに登場した当初はウエフカズノミカドと呼ばれていて、鳥居とは呼ばれていない

オリジナルの鳥居は、長江も日本の弥生時代も全く同じで
2本の柱を綱で繋いで、鳥の人形を止まらせたもの
時代が経ってから、柱の上の鳥の人形を省略して、綱を木で代用したんだ
14: 2018/10/24(水)04:46 ID:2c3epVG3(3/18) AAS
タイのアカ族と日本との不思議な共通点

遠い昔にどこかで見たような懐かしい風景が広がっています。

アカ族はこの国の先住民族ではなく、リス族同様に中国やビルマから
この国に移住してきた民族です。この国に入植した歴史は新しく、まだ100年ほどしか経過していないそうです。
この民族は他の民族同様に、中国の雲南省、ビルマ、ラオス、及びタイ北部にまたがって広く分布している。

現在、北部タイの山岳地帯には300余のアカ族の村があり、約5万人が暮らしている。
焼畑農業によって主食の米を作っているのは他の山岳民族と同じです。

伝統的にすべてものに精霊が宿り、精霊が人を幸せにも不幸にもするとしたアニミズムの信仰を続けているが、
近年、キリスト教の布教活動によって改宗した者も多い。
省6
15: 2018/10/24(水)04:48 ID:2c3epVG3(4/18) AAS
アニミズムの信仰を続けているアカ族の村の入口には、上の写真のように必ず
パトォー・ピー(精霊の門)が設置されています。いまでは迷信扱いされ、村人からも忘れ去られようとしている存在のこの門ですが、昔は村を訪れたすべての人がこの門を潜って村に入らなければいけないとされていた。

その人について来た悪霊が村に侵入して悪さをするのを防ぐためである。

アカ族の伝統的な宗教の根幹とも言えるパトォー・ピーには、木製の鳥が数羽止まっていたり、
支柱に幾何学模様が刻まれていたり、竹で作った風車のようなものが取り付けられたりしています。

そして門の脇には、悪霊に対する強力な武器として、鉈や弓矢が置かれていることもあります。
16: 2018/10/24(水)04:51 ID:2c3epVG3(5/18) AAS
パトォー・ピー(精霊の門)
外部リンク[13]:archive.is

Rock54: Caution(BBR-MD5:1322b9cf791dd10729e510ca36a73322)
17: 2018/10/24(水)04:52 ID:2c3epVG3(6/18) AAS
アカ族の風習には日本と不思議な共通点があります。

アカ族では、稲の種まきの始まる毎年4月に、村の出入り口に木造の「門」を作ります。
この「門」は日本人なら誰でも知っている見慣れた「門」です
垂直に立てられた2本の木。その上に水平に乗せた木は垂直の2本の木の間隔よりもやや長く、両端が少し反っています。
これらの門には縄が張られています。

そう、神社で必ず見かける「鳥居」と「しめ縄」にそっくりなのです。
この「門」には、木製の鳥が数羽載せられています。
日本の「鳥居」は「鳥の居る場所」と書きます。現在の日本の鳥居には鳥はみかけませんが、
「鳥居」の文字で分かるように、そのルーツには鳥が関係していることがわかります。

大阪和泉市の弥生時代の遺構から、アカ族の村の門に置く鳥とまったく同じ形の木彫りの鳥が見つかっています。
省9
18: 2018/10/24(水)04:54 ID:2c3epVG3(7/18) AAS
倭族と鳥居

神社にある鳥居の起源って?これは昔から不思議に思っていたのだけれど、どうも東南アジアから東アジアに広がる“倭族”に共通した信仰・風習を起源としているようです。

「鳥居論---ニッポン人の鳥信仰とその出自」

鳥越憲三郎氏は「倭族」という概念で、中国南部や東南アジア、
それから朝鮮南部および日本に共通して残る習俗を括る。

その氏によって、雲南省やそこに隣接する東南アジア北部の山岳地帯に棲む
タイ系諸族(アカ・ハニ族など)に「鳥居」が見出されている。
それは左右二本の柱の上に笠木(横に渡す木)を載せたものだ。
ただし、これは「社(やしろ)の門」ではなく「村の門」(「ロコーン」と言う)だ。
省20
19: 2018/10/24(水)04:59 ID:2c3epVG3(8/18) AAS
中国少数民族には、太陽は鳥が引っ張ってくると言ういい伝えがある。

だから、太陽を引っ張ってもらう鳥に止まってもらうために鳥居がある。
鳥が太陽を引っぱってくれないと朝があけない。

実際に、鳥の模型を止まらせた鳥居もある。
少数民族の鳥居には、鳥の模型を止まらせたものもある。

太陽の船には鳥がとまってるよ

タイの山岳少数部族「アカ族」について
省24
20: 2018/10/24(水)05:00 ID:2c3epVG3(9/18) AAS
『稲と鳥と太陽の道』

 日本の神社には鳥居が立っている。なぜ鳥居というのか。組んだ木のてっぺんに鳥が居るからだ。
この鳥は他界から鳥の姿をした祖霊が幸福や豊饒をもたらすためにやってきたシンボルである。
日本神話では「天の鳥船」といって、そうした祖霊や幸福や豊饒を天空で運ぶ船さえ想定されていた。

 一方、竪穴式住居を脱した古代の家々は、それでも吉野ケ里遺跡や三内円山遺跡に見るごとく
掘っ建て柱に屋根をかぶせたようなもので、つねに柱が目立っている。
そうした家々のある集落では、その入口に1本あるいは2本の柱をゲート状に立てて、
その上に木彫りの鳥を止まらせる風習をもっていた。
いや、最初から鳥を置いたのではなくて、そんな高い柱や組み柱にはたいていどこかから鳥がやってきて止まった。
その鳥の来し方行く末は、古代集落にとっては祖先や未来の国である。
省7
21: 2018/10/24(水)05:02 ID:2c3epVG3(10/18) AAS
ミャオ族は中国江南に居住する民族で、中国では古くから三苗とよばれた。
3つの言語集団がいた。その後はタイ北部にまで広がった。
移動した連中はまとめて「百越」とよばれた集団である。

 民族上は少数山岳民族グループに分類されているが、いまでも150万人か200万人くらいがいる。
しかし古代中世のミャオ族は文字をもっていなかった。移動の記録や歴史の記録は古歌や伝説や習俗にしか残っていない。

 そのミャオ族では、新年になるとジーユイニャオという鳳凰に似た木彫の鳥をとまらせる柱あるいは竿を立てる。
芦笙柱(ろしょうばしら=トン・カー)という。楓香樹であることが多い。
その上のほうに牛の角のような横木をつけた(写真を見るとすぐわかるが、鳥居の原形に近い)。
新年、その芦笙柱を左まわりで踊る。

 なぜそのようになったかという伝説が「跋山渉水」という古歌にあって、
省9
22: 2018/10/24(水)05:03 ID:2c3epVG3(11/18) AAS
太陽は季節や時間とともにコースを動くので、その季節や時間を感じることが大切になる。
そこで暦のようなものが生まれるのだが、文字をもたないミャオ族は、
この季節と時間の“しるし”を鳥の去来で学習していった。また、それを教える者を鳥官といった。

 さらに、このような太陽信仰を支える鳥の存在と去来を忘れないように、
芦笙柱を寿ぐ数々の祭では、男はニワトリの羽根や茅萱(ちがや)の輪を差し、
女は鳥の羽根の衣裳で身を飾った。これが鳥装である。
いいかえれば、村のシャーマンたちは鳥装によって鳥霊になり、太陽の行方と合体するわけである。
たちまち日本の鷺舞や鶴の舞といった各地の祭りがおもいあわされよう。

太陽と鳥と弓はひとつのものなのだ。
23: 2018/10/24(水)05:04 ID:2c3epVG3(12/18) AAS
ミャオ族は稲刈りした稲を高倉に収める。梯子は丸太を刻んだもので日本の弥生時代のものに酷似している。
 ミャオ族にはイネ文化もモチ文化もトウモロコシ文化も雑穀文化もある。
しかし、そのうちのいくつかは日本の社会文化によく似たものをもっている。
稲を保存する高倉、高床式の住居、チガヤを稲に見立てる田植え行事、正月のモチ月、羽根つき、竹馬、おこわ、
チマキ(粽)、なれズシ、糯稲の麹でつくる酒、鯉や鮒の水田飼育、鵜飼いなどである。

 そのほか、正月料理を男主人がつくり、最初の3日間は女性は家事をしない風習、
その料理を家の者たちが10日ほど食べつづけること、新年の辰の日(元旦)に2個の丸餅を台状の脚の低い椅子にのせて大地に酒をそそぐ儀礼なども、どこか日本の正月に通じるものがある。

 萩原さんはこうしたミャオ族の儀礼や生活をつぶさに観察して、
しだいに中国原産のジャポニカを日本に運んだのはミャオ族ではないかと考えるようになった。

おそらく中国江南地方の稲作の技能をもったミャオ族の一部が、なんらかの事情で長江から山東半島と朝鮮半島をへて
省1
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