[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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484(2): 2015/08/15(土)10:16 ID:ENN6wjS8(1/3) AAS
そんな場で反論しても益がないから。
アベだって慰安婦強制連行はなかったなんて言わなかったじゃん
485: 2015/08/15(土)11:32 ID:7m7lGBe8(1/3) AAS
>>484
要するに安倍が米国に頭が上がらないのと同じく、ドイツもロシアに頭が上がらないってことだよなw
486(2): 2015/08/15(土)16:33 ID:ENN6wjS8(2/3) AAS
なんでそんなアホ結論になるんだよ馬鹿w
487: 2015/08/15(土)16:58 ID:7m7lGBe8(2/3) AAS
>>486
>なんでそんなアホ結論になるんだよ馬鹿w
何故か旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑。左上はソ連兵士、右手前は独ソ戦
で戦勝に寄与した(最初にベルリンに入ったとも言われる?)T-34戦車の実物です(下写真とも)。
ベルリン市民には好かれていないそうですが、ロシアを意識して撤去もできないそうです。
外部リンク[htm]:homepage3.nifty.com
488: 2015/08/15(土)17:01 ID:7m7lGBe8(3/3) AAS
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
省11
489: 2015/08/15(土)18:29 ID:ENN6wjS8(3/3) AAS
例によってなんの反論にもなってないよなぁw
他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って
490: 2015/08/15(土)21:37 ID:Gu7Yxge3(1) AAS
>>484
>そんな場で反論しても益がないから。
反論の余地の無い真実だからでは?
491: 2015/08/15(土)21:40 ID:E9Hf2ix7(1/2) AAS
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
南京に翻る日章旗とベルリンに翻る赤旗。
これが中国抗日戦争とソビエト大祖国戦争の終結の紛れも無い実体。
492(1): 2015/08/15(土)21:43 ID:E9Hf2ix7(2/2) AAS
まず海軍ですが、ナチスのUボートや高性能な攻撃機や誘導爆弾がさも米海軍に大損害を与えたようなイメージがありますが、
それは大きな間違いで、ドイツ軍が第二次世界大戦中沈めた米海軍の軽巡洋艦以上の艦船は、護衛空母ブロックアイランドたった1隻、
駆逐艦にしても10隻程度に過ぎません。ドイツ海軍は通商破壊戦に特化した海軍であり、その象徴ともいえるUボートが大戦初期は、
旧式の英軍艦や丸腰の輸送艦相手に大暴れしました。
しかし、大戦中盤になると米軍や米軍の供与した護衛空母隊と対潜哨戒機隊と駆逐艦にいいようにカモられ1000隻以上も製造した
のにその832隻を撃沈されるという一方的虐殺を食らうことになります。
ドイツ軍の主な相手だった英海軍がいかに旧式で、日米海軍と比較にならないかは、ドイツ軍が歯が立たなかった新鋭戦艦
キングジョージ5世級のプリンスオブウェールズを、日本海軍がほぼ損失なしで撃沈してること、ドイツ軍がよってたかって一隻
も沈められなかった英海軍の重巡も日本軍はほぼ完封勝利で4隻も沈めてることを見れば明らかでしょう。Uボートやドイツ海軍
やドイツ空軍の対艦攻撃は旧式の英海軍相手だから通用したにすぎないのです。
省8
493: 2015/08/15(土)21:50 ID:Tki+bE7j(1) AAS
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
省2
494: 2015/08/15(土)21:54 ID:K8FoEjtX(1) AAS
なんでや
日本軍関係ないやろ
495: 2015/08/16(日)02:07 ID:t6dEBjth(1) AAS
>>480
>総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。
>戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24
1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
省5
496: 2015/08/16(日)09:26 ID:2u2n9HP1(1/4) AAS
例によってなんの反論にもなってないのが笑えるよなぁw
他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って
497(5): 2015/08/16(日)09:40 ID:2u2n9HP1(2/4) AAS
対独戦に展開された兵員
米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む)
39-45年 航空機生産
米国324750(大半が高性能機、四発重爆多数)
英国131549
ソ連157261(低性能、木製機多数)
独軍の戦闘機隊戦力(1943年以降)
対連合軍の戦線76%
省1
498: 2015/08/16(日)10:16 ID:2u2n9HP1(3/4) AAS
レンドリース供与が実際にソ連の戦争遂行を支える上で最大の貢献をしたのは、「後方活動」の分野においでだった。
●トラック40 万台……主にアメリカ製(一部はカナダ製)の貨物トラックが大量に供与されたおかげで、戦争中期以降、
ソ連軍は兵姑能力を大幅に改善させるとともに、戦争後期においては部隊の機動性を大いに発揮させて戦車部隊を先頭に
快進撃を敢行することができるようになった。また、戦前からあった自動車工業を戦車その他の第一線兵器の開発・生産努力に
振り向けることが可能になった(主に自走砲生産)。
●高オクタン価ガソリン……航空機燃料の多くをアメリカからの供与でまかなうことができた。
●鉄道車輛多数と50 万t以上の軌道……戦前期からネックだったソ連の鉄道輸送を改善するとともに、戦争後半期には鉄道建設隊の
創設とあわせて奪回した地方に急速に鉄道輸送路を構築して、快進撃を行うソ連軍の補給路を確保することができた。
●缶詰、保存食料…… すべて軍用にまわされたアメリカ製缶詰や乾燥野菜、チョコレートなどの菓子類は、いついかなる時もソ連軍将兵1名あたり
1日lkg以上の食料補給を可能にした。アメリカ製の「ポーク・ビーンズ」缶などは戦争後期のソ連兵たちの貴重な蛋白質補給源となり、
省7
499(1): 2015/08/16(日)10:20 ID:2u2n9HP1(4/4) AAS
欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、
フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、
その代り46%が、英国軍の役割を一番に評価している。
500(5): 2015/08/16(日)10:33 ID:RAJuM+Eh(1) AAS
>>497
対日戦は、米軍50万、英軍20万だったっけ?
>>499
イギリスの役割は過小評価されてると思う。
エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。
501: 2015/08/16(日)19:05 ID:bVqoNINC(1/2) AAS
>>500
>エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。
[日本軍損害]
空母機20喪失
[イギリス軍損害]
沈没
空母「ハーミス」
重巡「コーンウォール」
重巡「ドーセットシャー」
駆逐艦「テネドス」
省3
502: 2015/08/16(日)19:07 ID:bVqoNINC(2/2) AAS
>>500
>対日戦は、米軍50万、
沖縄シュガーローフの戦い
著者:ジェームス・H・ハラス、出版社:光人社
沖縄戦初日のアメリカ軍の上陸日はL(ラブ)デイと名づけられ、1945年4月1日。日本軍の反撃は
まったくなく、予定より早く目的地に到着していった。
アイスバーグと名づけられた沖縄進攻作戦は、54万8000人の将兵と1500隻の艦船を動員する計算だった。
攻撃実施初日の兵力18万2000人というのは、1年前のノルマンディー上陸作戦のDデイを7万5000人も上まわっている。
外部リンク[html]:www.fben.jp
503: 2015/08/16(日)19:14 ID:n3lqvlxH(1) AAS
>>497
>対独戦に展開された兵員
>米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭)
>英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭)
1. ポーランド問題
ヤルタ会談の半分以上の日程はポーランド問題に費やされた。
第二次世界大戦中、ポーランドは西からドイツ、東からソ連にそれぞれ侵略され、この両国に東と西を
分割占領されていた。その後ドイツはソ連占領地域の東ポーランドに侵入してポーランド全域を占領したが、
アメリカの支援を受けたソ連が再び東半分をドイツから奪還し、親ソ連のポーランド国民解放委員会を樹立した。
引き続いてソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、
省14
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