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ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/
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494: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/15(土) 21:54:21.34 ID:K8FoEjtX なんでや 日本軍関係ないやろ http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/494
495: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 02:07:18.14 ID:t6dEBjth >>480 >総統は、ソ連軍をというよりアメリカ本格参戦の影響をなめていたんだよ。 >戦争を決めたのはT-34じゃなくてB-17とB-24 1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。 28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。 イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。 これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。 1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、 バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。 確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。 Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、 “連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、 ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/495
496: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/16(日) 09:26:24.42 ID:2u2n9HP1 例によってなんの反論にもなってないのが笑えるよなぁw 他スレでも言われてるだろ「だつおの駄文は反論になってない」って http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/496
497: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/16(日) 09:40:56.64 ID:2u2n9HP1 対独戦に展開された兵員 米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭) 英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭) ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む) 39-45年 航空機生産 米国324750(大半が高性能機、四発重爆多数) 英国131549 ソ連157261(低性能、木製機多数) 独軍の戦闘機隊戦力(1943年以降) 対連合軍の戦線76% 対ソ戦線24% http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/497
498: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/16(日) 10:16:55.70 ID:2u2n9HP1 レンドリース供与が実際にソ連の戦争遂行を支える上で最大の貢献をしたのは、「後方活動」の分野においでだった。 ●トラック40 万台……主にアメリカ製(一部はカナダ製)の貨物トラックが大量に供与されたおかげで、戦争中期以降、 ソ連軍は兵姑能力を大幅に改善させるとともに、戦争後期においては部隊の機動性を大いに発揮させて戦車部隊を先頭に 快進撃を敢行することができるようになった。また、戦前からあった自動車工業を戦車その他の第一線兵器の開発・生産努力に 振り向けることが可能になった(主に自走砲生産)。 ●高オクタン価ガソリン……航空機燃料の多くをアメリカからの供与でまかなうことができた。 ●鉄道車輛多数と50 万t以上の軌道……戦前期からネックだったソ連の鉄道輸送を改善するとともに、戦争後半期には鉄道建設隊の 創設とあわせて奪回した地方に急速に鉄道輸送路を構築して、快進撃を行うソ連軍の補給路を確保することができた。 ●缶詰、保存食料…… すべて軍用にまわされたアメリカ製缶詰や乾燥野菜、チョコレートなどの菓子類は、いついかなる時もソ連軍将兵1名あたり 1日lkg以上の食料補給を可能にした。アメリカ製の「ポーク・ビーンズ」缶などは戦争後期のソ連兵たちの貴重な蛋白質補給源となり、 「デドショーンカ・フタロイ・フロント(“第2 戦線” 缶詰)と呼ばれた。 ● 服地、軍服類……最大時で1,100 万人を超えたソ連軍の被服補給のため、最初は服地で、後には完成品でアメリカやカナダから軍服が供給され、 本国製よりも良質な軍服を大戦後期のソ連兵たちは着ることができた。 ● 各種工業機械や資金提供…… 軍需工業の大規模の東方疎開にともなう工場再建や、戦争後期における奪回地方の産業再建を急速にすすめる助けとなった。 以上のようにレンドリース供与は、戦争遂行にかかわるあらゆる分野の援助を 含めており、供与された武器数だけで推し量ることのできないくらいの意義があ った。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/498
499: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/16(日) 10:20:30.26 ID:2u2n9HP1 欧州の解放に最も重要な役割を果たしたのは米国だと考える人の数は非常に多く、 フランスでは61%、ドイツでは 52%に達した。英国では、この数は16% と低いが、 その代り46%が、英国軍の役割を一番に評価している。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/499
500: 名無し三等兵 [sage] 2015/08/16(日) 10:33:30.50 ID:RAJuM+Eh >>497 対日戦は、米軍50万、英軍20万だったっけ? >>499 イギリスの役割は過小評価されてると思う。 エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。 ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/500
501: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:05:18.59 ID:bVqoNINC >>500 >エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。 [日本軍損害] 空母機20喪失 [イギリス軍損害] 沈没 空母「ハーミス」 重巡「コーンウォール」 重巡「ドーセットシャー」 駆逐艦「テネドス」 仮装巡洋艦「ヘクター」 基地航空機等50機喪失 <セイロン沖海戦参加兵力・損害 Battle of Cylon Island 1942年4月5〜9日> http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/501
502: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:07:47.54 ID:bVqoNINC >>500 >対日戦は、米軍50万、 沖縄シュガーローフの戦い 著者:ジェームス・H・ハラス、出版社:光人社 沖縄戦初日のアメリカ軍の上陸日はL(ラブ)デイと名づけられ、1945年4月1日。日本軍の反撃は まったくなく、予定より早く目的地に到着していった。 アイスバーグと名づけられた沖縄進攻作戦は、54万8000人の将兵と1500隻の艦船を動員する計算だった。 攻撃実施初日の兵力18万2000人というのは、1年前のノルマンディー上陸作戦のDデイを7万5000人も上まわっている。 http://www.fben.jp/bookcolumn/2007/05/post_1440.html http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/502
503: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:14:28.47 ID:n3lqvlxH >>497 >対独戦に展開された兵員 >米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭) >英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭) 1. ポーランド問題 ヤルタ会談の半分以上の日程はポーランド問題に費やされた。 第二次世界大戦中、ポーランドは西からドイツ、東からソ連にそれぞれ侵略され、この両国に東と西を 分割占領されていた。その後ドイツはソ連占領地域の東ポーランドに侵入してポーランド全域を占領したが、 アメリカの支援を受けたソ連が再び東半分をドイツから奪還し、親ソ連のポーランド国民解放委員会を樹立した。 引き続いてソ連は西ポーランド(ドイツ占領地域)へ侵入し、首都ワルシャワに迫り、モスクワ放送で、 ポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた(ワルシャワ蜂起)。ポーランドのレジスタンスはソ連の支援 を信じたのだがソ連は裏切って助けなかった。ソ連の裏切りを知ったヒトラーは、ワルシャワの徹底的破壊を指示し、 レジスタンスは壊滅、ワルシャワ市内の8割の建物が破壊され、15万人以上の死者を出したといわれる。 アメリカとイギリスは、ソ連にポーランドのレジスタンスへの支援を要請したがスターリンは無視した。当時、 ロンドンにポーランドから亡命していた指導者たちで作るポーランド亡命政権が存在しており、イギリスはその 政権をポーランドの正式な政権として承認していた。カティンの森事件が発覚し、ポーランド亡命政権とソ連 は関係を断絶した。ソ連は各国に、ポーランドの正式な政権は、ロンドンの亡命政権ではなく、ルブリン共産党政権 だと認めさせるために、ルブリン共産党政権に、ポーランドの実質的な統治をさせたいと考え、そのために邪魔 となる恐れがあったレジスタンスのポーランド国内軍をナチスドイツに壊滅させたのだ。 イギリスとソ連は、ロンドンの亡命政権とルブリン共産党政権のどちらが正式なポーランド政府かを巡って対立した。 結局、アメリカの仲介で、総選挙により国民自身で政権を選ぶことになった。ところが、スターリンは戻ってきた ロンドン亡命政権の指導者を逮捕し裁判にかけてしまい、ポーランドはルブリン共産党政権によって統治 される社会主義国となってしまった。アメリカの大失敗だった。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1945_yaruta_kaidan.html http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/503
504: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:18:22.57 ID:2durF+bj >>492 イギリス海軍が旧式だからドイツ海軍が戦果を出せた…って自分の無知を表明してるようなもんだなw この強力なイギリス海軍は1945年5月8日にドイツとの戦争が終わるや否や沖縄に殺到、 イギリス海軍の参加によって神風特攻隊は徹底的に殲滅された。 またマレー沖やセイロン沖の敗戦は共通して上空援護が無かった事に起因するもので、 それだけでドイツ海軍がイギリス海軍に与えた被害の大きさの原因をイギリス海軍の旧式化に帰結するのは視野が狭すぎ。 当時はドイツ戦艦ビスマルクが世界一で、撃沈されたのは専ら上空掩護が無かったから。 そもそもドイツ海軍のUボートやSボートは「通商破壊」が主任務なんだから大型艦の撃沈数で比べるのもおかしいw つまりソ連へのレンドリースも、大西洋や地中海の英独の熾烈な「通商破壊」が背景にあった。 もしドイツとイギリスが和平してたら、ソ連へのレンドリースは100%絶たれてしまい、ソ連は壊滅してた。 というかドイツ海軍最大の敵のイギリスとの対戦成績じゃなくアメリカとの対戦成績で 日本とドイツを単純に比較してるのが笑えるw だから所詮知恵袋の日本海軍マンセーお花畑野郎の妄想にすぎないってことさw http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/504
505: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:24:29.19 ID:0FcDASoi >>497 >対独戦に展開された兵員 >米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭) >英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭) >ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む) イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、 ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。 http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254 英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、 ソ連の参戦であったと指摘したことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、 欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」の著者である英国の歴史家 ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、 スターリンは4日間でやってのけた。」と書いたとき、 http://japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/ http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/505
506: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:55:53.63 ID:+EXV6bCO >>500 >エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。 ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってのは日本やドイツよりも優れていたのか? LOSS BY ENEMY ROYAL NAVY Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total Capital ships 3 - 2 - - - 5 Carriers 8 - 1 - 1 - 10 Cruisers 20 6 5 - 3 - 34 Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153 Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76 TOTALS 169 58 20 1 25 5 278 http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/506
507: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 19:58:14.32 ID:+EXV6bCO >>500 >ドイツ本国の空爆で独ソ戦のドイツの補給はクルスクはじめしばしば遅れたし。 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。 これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦 と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。 舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、 アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長 マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、 上陸部隊を5個師団とすることが可能となった。 http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/normandie.html 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦 (LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、 連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。 「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。 英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、 歴史にその例を見ないであろう」 <日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 > http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/507
508: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:00:10.98 ID:+EXV6bCO >>500 >エルアラメインから北アフリカ制圧、シチリア上陸、イタリア降伏はイギリスの力だし。 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far (邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、 亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供 し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功” などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。 (しらいしひかる・戦史研究家) 学研「ノルマンディー上陸作戦」 結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、 十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した 第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。 しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を 実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、 作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川 河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/508
509: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:01:48.67 ID:3A8VNJXQ >>497 >対独戦に展開された兵員 >米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭) >英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭) >ソ連軍約600万人(多くの老兵、少年兵を含む) 東方国境紛争の経緯 ■発生 ・第二次大戦末期のソ連軍の侵攻→オーデル=ナイセ線の形成(1945 年 8 月ポツダム協定) ケーニヒスベルクとその周辺はソ連へ移譲、その他のオーデル=ナイセ線以東の「旧ドイツ領」 は「最終的なポーランド西側国境の確定の時までポーランド国家の行政下に置かれる」→最終 的な国境確定は平和条約で ・ドイツ人の「追放」(1944 年秋?1950 年):全体で約 1200 万人(死亡者数は含まず)、内東方領土 からは約 700 万→「被追放者」(佐藤 2008: 61) ■戦後の失地回復要求 ・ドイツ民主共和国→1950 年 7 月ゲルリッツ協定→オーデル=ナイセ線承認(「平和と友好の国境」) ・ドイツ連邦共和国→政府、主要諸政党(ドイツ共産党を除く)、国民世論の大多数はオーデル=ナイ セ線承認せず ・公式の立場:「1937 年 12 月 31 日時点での国境線におけるドイツは戦後も存続する」(ロンド ン協定、ポツダム協定、大西洋憲章(領土不拡大の原則)+ドイツ民族の「自決権」→国際規 範上の正当性)→「再統一」の国家目標 ・世論調査の結果:1951 年 80%否認(別表参照) ・地図の描出(「1937 年のドイツ」が描かれる) http://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~ssbasis/JGD2013_sato.pdf http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/509
510: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:04:45.92 ID:3A8VNJXQ >>497 >対独戦に展開された兵員 >米軍だけで380万人(ほとんどが若い精鋭) >英軍他200万以上(ほとんどが若い精鋭) 大陸打通作戦がやれたのは、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。 大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/510
511: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:06:54.23 ID:3A8VNJXQ まあ米国としては、あまり対日戦争に拘り過ぎると、ノルマンディ上陸が遅れてしまうんだけどな。 1944年は日本軍の大陸打通作戦で中国は荒らされ放題だったけど、もしもノルマンディ上陸を あれ以上遅らせたら、西ドイツがソ連圏に入ってしまう。つか1944年6月6日というのは、遅すぎ。 ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米国にとっては大きな問題にはならんわけで、 中国はもっと早く切り捨てたほうが米国にとっても国益に叶うことだったはずだ。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/511
512: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:15:12.95 ID:2durF+bj >>505 > 実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先する だがソ連は逆に、ヤルタ合意に反してポーランドにルブリン政権を押し付けている。 ヨーロッパの戦いで決定的な役割を果たしたのはソ連に他ならないから、米英は引き下がるしかない。 ロシアは、対ドイツ戦勝記念日を5月9日としている。一方、米国、英国、フランスなどの欧米諸国は8日だ。なぜなのか。 1945年5月7日、ドイツ国防軍のアルフレート・ヨードル作戦部長は、フランス・ランスの連合軍総司令部で、 「5月8日午後11時からすべての軍事行動を停止する」という降伏文書に署名した。しかし、スターリン・ソ連共産党 書記長は、「第2次大戦を勝利に導いた決定的な役割はソ連軍が果たした。ナチスの心臓部はベルリンなので、 降伏文書はベルリンにあるソ連軍司令部で受けなければならない」と主張した。 反論する理由に窮した連合軍はこれを受け入れた。結局、8日午後10時43分、ベルリン近郊のソ連軍司令部で、 ドイツ国防軍最高司令部のヴィルヘルム・カイテル総長が、ソ連軍のゲオルギー・ジューコフ最高司令官の前で 降伏文書に再び署名した。この時間がモスクワ時間で9日0時43分だった。このような理由で、今でも戦勝記念式典 は欧米では8日、ロシアと社会主義圏国家では9日となっている。 http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2015050859898 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/512
513: 名無し三等兵 [] 2015/08/16(日) 20:18:47.17 ID:2durF+bj >>509 ソ連のやり方も米英視点では問題があるが、米英軍とて赤軍と衝突すれば敗北は必至。 赤軍の戦闘力は鬼神のようなもので、米英ごときは歯が立たない。 http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/513
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