[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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44(3): 2014/06/09(月)21:58 ID:zPJCyvmt(1) AAS
ソ連が非難してこないのはソ連のほうが略奪やら虐殺やらやってるせいだろ
45: 2014/06/09(月)23:38 ID:IvAqs1Dh(1) AAS
>>44
捕虜を抱え切る国力がないくせに
何万人もの捕虜をとって殺したり
まともな兵站もないから現地から略奪した
枢軸国も人のこと言えないと思うけどね。
46: 2014/06/10(火)01:29 ID:1mVDjePw(1) AAS
智将は敵に食むッて言うじゃん
孫子くらい読めよ
47: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/07/15(火)14:37 ID:TuLrnUnD(1) AAS
あ り が と う ソ 連 邦 !
西部戦線では、1944年末から翌年明けにかけて行われた「バルジの戦い」が最大。
この戦いで、たった1ヶ月の間に、米軍は損害人員8万人を計上した。戦略爆撃作戦では二年で8万人だから、
米軍はそれと同じだけの人員をたった一ヶ月で失ったことになる。硫黄島の戦いは一ヶ月で2万8千だから、
バルジの戦いはほぼ同じ期間でその3倍近い損害を蒙ったことになる。米軍史上最大の損害だった。
この損害に懲りた米軍は、ソ連に媚びてソ連に土下座して助けを求めた。米軍が赤軍を助けたのではなく、
赤軍が米軍を助けた。まさに赤軍のおかげで、明日死ぬかもしれなかった米軍兵士が救われたのだ。
あ り が と う ソ 連 邦 !
アルデンヌ攻勢での死傷者数はドイツ側、連合軍ともに大きく、それぞれ8万人台に達している。
連合軍側では、暫定的な報告で戦死8,607人、行方不明21,144人、負傷者47,139人という数字があげられている。
省10
48: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/07/22(火)14:40 ID:YzRxuWa0(1) AAS
44. 韓国人
>>43
勝敗を左右するってwwwwwww
すでにクルスクの戦いで数千台の戦車と、数百万人の兵力が失われてたんだぞ(笑)
クルスクの戦いで敗北した後、ドイツ軍は後退を繰り返した
もちろん、ドイツ軍特有の高い戦闘能力のために、後退しながらも、ソ連軍に甚大な被害を与えてはいたが
むしろ、それを言うなら、英国戦闘機の絨緞爆撃やシチリアに上陸した連合軍の脅威のせいで、東部戦線が拡大したことなどを挙げろや(笑)
ノルマンディーは、死ぬゆく植物人間から人工呼吸器を取り除いた程度のこと
それを取り除かなかったとしても、死ぬことに変わりはなかった
韓国人「米国に挑んだ超大国」
省1
49: 2014/07/23(水)23:08 ID:HQ54e9nK(1) AAS
>ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰
ロシア人は同志スターリンでもジューコフ将軍でもまして、
アメリカからのレンドリースでもなく、
ヒトラー総統その人がソ連勝利の最高の功労者だとしている。
50: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/07/27(日)20:04 ID:Kz0LGO0J(1/3) AAS
Q. 欧州戦線で質問です。 クルスク突出部の戦いの後、ドイツは敗戦を続けましたが、
キエフ包囲戦や、ミンスク、ハリコフで負けまくっているソ連の何処に、反撃出来る人材資源があったんですか?
モスクワより東てそんなに人が住んでるとは思えません。 戦車有っても、人材無ければ…。
どう思いますか?何卒宜しくお願い申し上げますm(__)m
A. ソ連が兵の無駄遣いをしたとか、予備兵力は残っておらず、ギリギリで勝ったなんてのは、実は、
・当時のドイツ人が信じたいことを信じ、それがそのまま戦後も語られた。
・ドイツ系の作家が本を売らんかな!と話を盛った。 ・東西冷戦のころ、ネガティブキャンペーンとして広まったデマ。
的な話がかなり混じってるから注意が必要です。 ずばり、ゴルバチョフのグラスノスチ以前の情報や、
ドイツ人が一方的に語ったことは、一回リセットして再検証しなきゃダメな感じです。
外部リンク:10e.jp
51: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/07/27(日)20:08 ID:Kz0LGO0J(2/3) AAS
また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで
参考にしていただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢
開始当初に装備されていた105台の自動車のうちの38台を喪失し,
1月末の数字では残された67台のうち34台,つまり最初の数字の
32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深い
ことに,保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで,
これら6種類のメーカーのうち,3種が捕獲車両であった。フォードV8
13台,オペル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,フィアット 14台,
スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。
このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは, 想像に難くない。
省1
52: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/07/27(日)21:05 ID:Kz0LGO0J(3/3) AAS
「プロホロフカ大戦車戦」はソ連のロトミストロフらが戦後に流布したホラ話で、実は僅かなドイツ軍に
ソ連の戦車部隊が大損害を出して敗退したのだと、後藤仁という学者がそのように述べている。
それから白石光という学者は、南部戦線でソ連は17万以上の損害を出して敗退したが、ドイツ側の損害
は5万程度だったと書いている。D・アービングの著作では、チタデルではロシア側の損害のほうが大きく、
その後の反攻作戦は腰がふらふらしたものだったと書いている。また米英軍のイタリア上陸が無ければ
ドイツ軍は負けなかったかもしれないという記述もみたことがある。
けれどもイタリア戦線はそんなに大きなものではなかったし、またかりにドイツ軍が一部兵力を
転用したからとて、それがすぐにソ連軍の大反攻に繋がるというのも飛躍しすぎに思える。
それからプロホロフカはまもなくソ連軍に奪回されている。
>ソ連は、我が国との開戦に備えて、常に百万人規模、極東に張り付かせておりました。
省9
53: 2014/07/28(月)23:33 ID:d5otWtLW(1) AAS
クルスクの赤軍勝利の功績は、もう時期が遅いから周りがやめといた方がよくね?と言うのを
強行して万全の構えで待ち伏せしている所に貴重な部隊を突っ込ませてくれた伍長閣下のお陰です
54: [age] 2014/07/30(水)23:06 ID:pzJ08oZT(1) AAS
地の利を背景にあれだけ圧倒的な戦力を抱えて、先制砲撃も成功したのに
それで負けたらそれこそソ連が間抜けすぎるだろ
55: 2014/08/01(金)00:36 ID:FIRoZl1d(1/2) AAS
最高のお膳立てをしてくれてありがとう伍長閣下
56: [age] 2014/08/01(金)01:15 ID:xWmYRZgV(1) AAS
最高の御膳立てをしたのは米英のレンドリースだろ
57(3): だつお ◆t0moyVbEXw 2014/08/01(金)19:58 ID:kl14USwg(1/2) AAS
英国の親独派は長い間、ナチスにさらに多くの軍を東部戦線に集結させるべくヒットラーと
休戦をしようとしたと疑われた。 1941年、独ソが互いを全滅させているのを見て、
ハリー・トゥルーマン元米国大統領の幸福だとする批評はよく覚えていた。
元々は1942年、そして1943年に約束されていた、連合国によるヒットラーへの第2戦線の
開始の遅れは特に痛いポイントだ。2年の長きに渡り、ソ連はナチスの全力の猛攻撃のほこさき
として独力で堪える事を強いられた。1つの恩恵が、中国へのさらなる進撃を優先しシベリアへ
攻撃する計画を放棄するという日本の決定だった。
第2戦線が1944年中頃に最終的にノルマンディーに到着した時、ソ連軍はベルリンへと進撃中だった。
ソ連軍が既に東欧に進撃していなかったら、ノルマンディーさえ起らなかったと信じる者もいる。
最終的な侮辱が、特に今後のドイツ管理計画を立てたヤルタであり、そこで戦争で疲弊し弱体化
省10
58(1): だつお ◆t0moyVbEXw 2014/08/01(金)20:20 ID:kl14USwg(2/2) AAS
>>2
>・第709師団の平均年齢36歳。対するアメリカの歩兵は平均年齢25歳
間違えてはならないことは、米軍は損害を避けるためにソ連をドイツと戦わせ、ドイツが散々に疲弊してから、
1944年6月のノルマンディー上陸作戦をやりはじめたということ。ヨーロッパ優先だからといって何もすぐに
ヨーロッパへ派兵したわけではないのだ。なお北アフリカ戦線は、本質から逸れたイギリスの植民地戦争に過ぎない。
覇権への変質
アメリカは150年のあいだ、西半球で有利な環境に甘えてきた。大陸の広さ、
孤立した環境、手強い脅威の不在、さらには友好関係にあるイギリスが幅を利かせる
大洋の壁に守られ、代価のない安全保障を享受していた。アメリカは、大西洋と太平洋
を泳ぎ回るクジラのような存在だったのだ。アメリカ人にとっての第2次大戦は、
省7
59: 2014/08/01(金)22:18 ID:FIRoZl1d(2/2) AAS
赤軍の待ち伏せの餌食に貴重な部隊を差し出してくれて有難う伍長閣下
60: だつお ◆t0moyVbEXw 2014/08/05(火)16:20 ID:mJxr/Zgv(1) AAS
>>1
>同盟国・日本の目の前(おそらく津軽・宗谷両海峡)を最大の敵国・ソ連の戦争を支える資源や補給物資が
>通過していくのだから、 さぞや悔しい話だったと思う。
実は米国のレンドリースが独ソ戦に及ぼした影響は、そんなに大きなものではなかった。なぜなら1941年末
まで米国のレンドリースは届いていなかったが>>2、それでも赤軍はモスクワで反撃しているからだ。
あ り が と う ソ 連 邦 !
それから米国のレンドリースが赤軍を勝たせたという主張をゴリ押しするのなら、米国がソ連に向けたレンドリースの
半分以上が太平洋方面から来ているのだから、大西洋や地中海を重視するイギリスの戦略とは矛盾することになる。
レンドリースなど無くても赤軍は勝ってた(少なくとも負けはしなかった)、それから大西洋や地中海の攻防は、
そんなに重要なものではなかった。ナチスドイツ撃破に重要だったのは、圧倒的にソ連の戦いだった。
省9
61: 2014/08/05(火)18:14 ID:ExDNoM7l(1) AAS
ソ連「参戦する」→小野寺武官「ソ連参戦」→参謀本部「ソ連仲介で和平工作するから無視」→ソ連侵攻 [841841395]
2chスレ:poverty
62: 2014/08/05(火)21:19 ID:1E4nOJFS(1) AAS
なんなんだここは
63: 2014/08/06(水)02:40 ID:+umSHY8y(1) AAS
戦闘機部隊を放棄すべきか?
8月の中旬、Gallandはベルリンのオフィスに居るシュペーアに電話をかけた。Gallandは、ドイツ本国の戦闘機を西部戦線へ
移動するという「総統命令」を撤回させようとしているが、シュペーアにその援助をして欲しいと言った。Gallandは西へ移動した
部隊内の、若く、未経験なパイロット達が、技能に合った任務も無い西部戦線で全滅してしまう事を恐れていた。Gallandによると、
シュペーアは彼の話を聞くと、2人ですぐに東プロシアにあるヒトラーの司令部まで飛ぼうと提案してきた。ヒトラーは2人を迎え入れ、
初めは静かに聞いていたが、不意に怒って叫んだ。「作戦に関する事は私の所掌だ!君は自分の部隊の事だけを考えろ!
君が口を挟む事じゃない!」そしてヒトラーは「君に割く時間は無い」と言うと会議を中断した。
そしてその日の午後に、ヒトラーは翌日もう一度2人と話がしたいと伝えてきた。シュペーアによるとこの会議で、
ヒトラーは突然激昂して次のように叫んだという:
もう金輪際、飛行機なんて作らなくてもいい。航空兵器では何の解決にもならんのだ。飛行機の生産を止めろ!直ぐに止めろ!
省4
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