[過去ログ] ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰? (969レス)
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73: 2014/11/14(金)02:53 ID:OtztzA70(1/3) AAS
ロシアは、ネオナチ思想の復活を支持するあらゆる試みに反対する。ロシアの
ラヴロフ外相がモスクワで22日、青年社会院との会合で明らかにした。
ラヴロフ外相は、憎悪に満ちたナチスの信念の復活や、ヒトラー主義の犠牲者たちを
忘却のかなたに追いやることを望む人々を見逃すのは許しがたいことだと強調した。
 ラヴロフ外相によると、歴史の改ざんや、第二次世界大戦の結果の書き換えは、
欧州安全保障協力機構(OSCE)の文書などで確かなものとされている欧州の価値を、
破壊へ導く恐れがある。
 ラヴロフ外相は、このような信念体系に対抗するためには、外国の同僚たちと、
市民社会レベルでの交流を確立する必要があると強調した。
 インターファクス
省1
74: 2014/11/14(金)09:51 ID:OtztzA70(2/3) AAS
二つの戦いの規模の比較
この点を検証すべく、二戦の軍事戦略面を比較してみたい。まず戦闘領域から見てみると、スターリングラード攻防戦は
約10万平方キロの広大な領域で繰り広げられたが、エル・アラメインの戦いは狭いアフリカの海岸で行われた。
軍備では、スターリングラード郊外のさまざまな交戦で、ソ連軍とドイツ軍から合わせて兵員210万人以上が参戦し、
大砲や迫撃砲2万6000挺以上、戦車2100両、戦闘機2500機以上が使用された。ドイツの総司令部は、この戦いに
兵員101万1000人を動員し、火砲1万290挺、戦車675両、戦闘機1216機を導入した。
一方でエル・アラメインの戦いでは、ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団の兵員はわずか8万人で、戦車540両、
火砲1200挺、戦闘機350機を使用した。
期間では、スターリングラード攻防戦は200昼夜続いたが(1942年7月17日から1943年2月2日まで)、
エル・アラメインの戦いは11日間行われただけだ(1942年10月23日から11月4日まで)。二つの戦いの緊張度
省9
75: 2014/11/14(金)16:40 ID:tacyHHPs(1/2) AAS
概ねそうだな。
勝利を決定付けたのは

?しょせんで極東からの戦力移転と補給線が壊れなかった。
?レンドリースがこれで成立した(但しM4早く立たずで補給物資にメリットがあったあの物資がなければロシアの物資供給は半年から1年遅れた)
?ロシアとアメリカはアラブと南方石油を損失しても膨大に自国石油を供給できて石油不足など起きなかった
?ゆえに練度リースが成立するための膨大な石油無視の製造ができた
(ドイツがアメリカに劣り、日本がドイツにもかなわないのは石油力の差であるよく間違われるが技術要因差ではそもそもない、しいていえば研究力の差である)
?ドイツの弾道ミサイルよりも合理的なローコストの大量爆撃戦術を選択した。ドイツは弾道ミサイルさえ作らなければミスらなかった。

原理的には
石油←絶対要因
省6
76: 2014/11/14(金)16:52 ID:tacyHHPs(2/2) AAS
訂正
石油←絶対要因
レンドリース補給線←絶対維持ノーダメージ
↑6割強の勝因

爆撃←するだけのストレート戦術だけで勝てる状況でストレート戦術を行使した。
技術差←は末端要因で決定差は「軍事研究などによる技術開発と生産効率向上」など大規模研究による効率的な生産ができる体質による問題(日本は科学者少なかった)

↓自滅要因
ドイツと日本は無理した石油戦略を立てる。この時点で敗北必死
イタリアうんこが最悪(日本の場合は制圧領域のパンピーの学力以前でダメだとでも言おうか)
77: 2014/11/14(金)18:12 ID:JSQK3cim(1) AAS
>>69
ミリオタのバイブル源文漫画だとソ連戦車なんてヤラレメカ扱いじゃんw
78: 2014/11/14(金)18:43 ID:OtztzA70(3/3) AAS
 モスクワは間一髪のところで陥落を免れた。一二月第一週にはドイツ軍がクレムリンから三五キロの
地点に迫っていた。ドイツ軍将校の双眼鏡でモスクワの主要な建造物を確認できる距離だった。先導し
ていたのは装甲部隊である。一二月五日から六日にかけて、ジューコフは集中攻勢を仕掛けた。主力は
「シベリア兵」からなる部隊。ソ連極東部から送り出されてた新来の予備兵力で、そのなかにはノモンハ
ンで彼自身が指揮した部隊も多数含まれていた。ノモンハンよりも危機的な状況に陥っていたが、ジュ
ーコフは当時と同様の諸兵科連合戦術を、今回はもっと積極的に採用した。その結果ドイツ軍を約一六
〇キロ後退させることに成功し、冬季の間、ドイツ軍をその地点に釘付けにしたのである。まさに食う
か食われるかの戦いだったが、完全な冬季装備の予備兵を東部から送り込んだことが決定打となった。
一九四一年一二月にソ連を訪問したイギリス外相のアンソニー・イーデンによれば、スターリンはこの
とき彼に、「最近の戦局好転は、新たな援軍を導入できたためだ」と語ったという。
省15
79: 横浜プロレタリア党 2014/11/26(水)07:21 ID:WEovUjqp(1) AAS
我々「横浜プロレタリア党」は「人類に残される最後の生活とは何か」を模索する、新左翼の政治結社である。

Twitterリンク:YOKOHAMA_PP

皆様の清きフォローを!
80
(1): 2014/12/27(土)10:45 ID:fTXJpEBX(1) AAS
レンドリースがなければソ連は1941〜42年に降伏
81
(2): 2014/12/28(日)20:43 ID:ETxDZyxJ(1) AAS
>>80
順序逆だから。無知って困るな
ソ連がモスクワを保持し降伏しないことを確認→レンドリース開始、ね。
この辺はwikiにすら書かれてるレベルなんだけどね。

2chスレ:army
レンドリースがなければソ連が降伏してたってたびたび見かけるけど
このスレの700くらいから読めば?
ドイツが勝利するにはモスクワ占領が最低条件だけど

930 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2014/01/22(水) 19:45:46.09 ID:???
>>928
省7
82: 2015/01/01(木)21:45 ID:HdHMoVW+(1) AAS
1944-5年西部戦線の戦車戦に関し、アメリカ軍による研究がある(注3)。Hardisonは、比較的戦車戦の多かった
第3機甲師団と第4機甲師団の戦闘データから98戦例を抽出して分析した(注4)。これによれば、アメリカ軍が攻撃側
でドイツ軍が防御側に立った場合の損害率は、米22.8%で独33.3%である。これが反対に、ドイツが攻撃側に回った場合には、
独60.1%で米6.8%と、ドイツ側の高い損害率を示している。シャーマンとパンターの戦闘にかぎった場合でも、数字はほとんど変わらない。
外部リンク[html]:hikasuke333.blog113.fc2.com
83
(1): 2015/01/02(金)01:39 ID:V/24jZgK(1/4) AAS
>>81
レンドリースが無ければモスクワを防衛しているソ連軍は
補給が尽きるだろ。
シベリア経由の補給があったからソ連軍は戦えたが
それが無けりゃ負けてるわ。
84: 2015/01/02(金)01:47 ID:V/24jZgK(2/4) AAS
独ソ戦最大の戦いはスターリングラード攻防戦だが
ここはペルシア経由のアメリカからの物資補給を
なんとしても確保したいソ連と、
それを寸断したいドイツとの戦いで
だから壮絶な戦いとなったが、ソ連がいかにアメリカからの補給に
頼っていたかが、その必死振りから見て取れる。

シベリアからの補給は日本が対ソ参戦した場合、寸断されるので
ペルシア経由の補給路確保はソ連にとって死活問題だった。

このようにソ連がいかにアメリカのレンドリースに
おんぶに抱っこだったかがよくわかる。
省1
85
(1): Dosok-3 ◆YXnxU/fJEI 2015/01/02(金)02:07 ID:V/24jZgK(3/4) AAS
日本がウラジオストックを包囲して
ソ連軍のシベリア経由の補給を寸断していれば
ソ連軍(というか共産党政権)は
慌てて停戦を申し出たであろう。
ドイツと戦争どころではなくなる。
それをやらなかったのが惜しまれる。
86
(3): 2015/01/02(金)15:00 ID:1YhtgvQ2(1/3) AAS
>>81
ぜんぜんちがいます。

「41年12月半ば以降、レンドリースの装甲兵器は大量に使用されるようになる」
(コロミーエツ:モスクワ防衛戦)

「大量の装備を失った独ソ戦の緒戦においては、これら西側からの
戦車をはじめとする正面装備の援助は、失った間隙を埋める干天の慈雨
となったのは事実である」(小林直樹:ソ連の経線能力を支えた援助物資)

電話線、アルミニウム、缶入り糧食、毛皮のブーツなども同様に重要で、
特に後者の供給はモスクワの冬期防衛にとって重要な利点となった(wikipedia)

やはり、レンドリースがなければソ連は1941〜42年に降伏
87
(1): 2015/01/02(金)15:04 ID:1YhtgvQ2(2/3) AAS
「しかし先に述べた砲兵の集中使用、そして部隊の大規模な集結と攻勢準備は、ソビエト軍の大戦後半の戦術を特徴づけるものであり、
van Tuyllが著書の随所で主張するように、レンド・リースで送られた大量の通信器材・輸送器材なしには円滑に進まなかったことは確かであろう。」

レンドリースで送られた38万台の通信機材が無ければソ連軍の最大の強みである砲兵軍は機能しなかったわけだ

しかも
「レンド・リース物資の効果は間接的で、広範なものである。ソビエトの軍需生産の驚異的な伸びは、レンド・リースによって提供された様々な機械類
(とそのデッドコピー)に支えられており」

ソ連の膨大な軍需生産は米英産の機械が無ければ達成できない。
88
(1): 2015/01/02(金)15:06 ID:1YhtgvQ2(3/3) AAS
モスクワ防衛戦ですでにレンドリースの毛皮が大きな効果を発揮している。
その後の攻勢局面ではレンドリースの装甲車両が大量に投入された。それらが無ければ
42年のブラウ作戦の攻勢発起地点はもっとずっと東寄りになっていただろう。
(41年末までに戦車752両、戦闘機799機、車両1404両、10万トンの軍需品がソ連に貸与されている。)
ブラウ作戦を迎撃するソ連軍の装甲部隊にはレンドリース品はさらに大量に編成表に組み込まれている。
航空機もいわずもがなで、これら貸与品、軍需物資がなければスターリングラードも陥落していた可能性が大きい。
そしてドイツ軍を大きく押し返す力はソ連軍には残っていない
89: 2015/01/02(金)18:18 ID:cHoXA0Lo(1/5) AAS
>実はこのルート、米英からソ連に渡った補給物資の半分以上が使ったとも言われているそうだ。
>太平洋にはドイツ海軍がいなかったので、安全だったのだろう。

「大西洋の戦い」は、専らイギリスが米国からのレンドリースを受け取るための方便で、大戦の帰趨とは何ら関係無い。
ソ連が米国から受け取ったレンドリースの半分以上は太平洋経由であり、大西洋の戦いは何ら関係無い。
レンドリース抜きでもソ連の敗北は無いと認識しているが、強いて米国レンドリースの役割を最大限に強調するとしても、
その経由路は太平洋方面でも賄えたということで、ロイヤルネイビーご自慢の「大西洋の戦い」は無意味と断言できる。
90: 2015/01/02(金)18:21 ID:cHoXA0Lo(2/5) AAS
AA省
91
(2): 2015/01/02(金)18:24 ID:cHoXA0Lo(3/5) AAS
If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7

1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。

If you were asked to vote on the question of the United States entering the war against Germany and Italy,
how would you vote — to go into the war, or to stay out of the war?
Go in.............................. 12%
Stay out............................ 88

けれども米国がドイツイタリアと戦争すべきかというと、戦争は避けるべきというのが多数意見。
省13
92: 2015/01/02(金)18:31 ID:pPq6FGZx(1) AAS
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