芸術の時代は終わった (59レス)
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18: 2014/12/25(木)01:14 AAS
こじらせたお宅とかいわれてもどんなもんか知らんがな
19
(1): 2014/12/25(木)03:29 AAS
たしかに。
こちらも知ってるとは言い難いたとえだった、失礼。忘れてくれ。

言い方を変えよう。
金銭でも、社会的評価でもない(コミュニケーションに絶望という
時点で他者との交流を目的としていないととらえるんだが)制作活動
という時点で、趣味でいいんじゃないの?という疑問。

>つながり、絆、共生…そんなものに絶望することから芸術は始まった筈だ

↑の文が「正しい・間違い」は手に余る問題だからひとまず置いといて、
文面通りの考えの持ち主が制作をつづける場合他人の評価なんていらない
んじゃ?
省3
20
(2): 2014/12/25(木)22:24 AAS
未練はおおいにあります。(笑)
作品の発表も、毎年おこなっております。(笑)(笑)

現実のコミュニケーションに「絶望」していても、「否定」しているわけではない。
できるはずがない。
人間はコミュニケーションを渇望しながら、必ず絶望するしかない、かわいそうな存在です。人は皆孤独です。
しかしながら、人と人とが共感することができるとしたら、そのことにおいてのみなのではないか…、
そして、すぐれた芸術作品には、作者がそんなことを考えたかどうかは別にして、(おそらく考えてない)そのことが[結果として]表現されている…、
などと考えたりしながら、私は「芸術表現」に向かうのです。

けれども、今どきこのような幼稚なことを言う者に対しては「www…」という扱いになるのが、ごく普通のことなのでしょう。

かくして、ここのタイトル通り、「芸術の時代は終わった」…今は、「現代アートの時代だ!……wwww」、ということになるのでしょう。
省4
21
(1): 2014/12/27(土)02:41 AAS
現代においてもコミュニケーションに絶望しているものは尚多し
芸術という幻想的な霧が晴れて人々の情け容赦の無い評価が無名な作品にも降り注いでいるだけ

過去においても絶望の果てに他者との繋がりを求めた結果
内面をさらしたものが芸術であり絶望と恐怖を超えて作品を作ったはず
真に絶望したものは死ぬか宗教に逃げ思考を止めたはずなので

私は建築物が好きです
その余りに巨大で圧倒的な質量とその中に内包された人々を想像するとえも知れぬ恐怖と畏怖が沸く
それは芸術からは絶対に感じ得ないもの
寧ろ全ての芸術の虚無感を際立たせる存在

芸術も最初から他者とのコミュニケーション手段であり
省6
22: 2014/12/27(土)22:17 AAS
厨「僕って凄いんだじょー!」
周り「、、、」
厨「コミュニケーションに絶望」
23
(2): 19 2014/12/28(日)17:39 AAS
>>20
丁寧な回答ありがとう。

あなたの生き方を否定したり、笑ったりするつもりはない。
ただ、未練があるうちは心の安寧は訪れないんだろうな。
よしんばこれから評価を受けても、続くとは限らないし期待も重くなる一方だ。

以下 20氏が21の文面に共感しないならスルーしてください
ココからはちょっと話題がずれて感じるかもだけど
21(20氏と同一人物じゃないとしても)の文面にある、死ぬか宗教か?的なものの
中間点がいまなのかな?
20氏が21の文面を否定しないとしたら、それは一つの信仰ではないだろうか?
省7
24: 2014/12/28(日)17:48 AAS
>>23

下から四行目の最後

そのかたくなな 「思いは」が抜けた 失礼。
25
(1): 2014/12/28(日)18:03 AAS
>>23
>>21は死に至る病の引用でんがな
26: 2014/12/28(日)21:15 AAS
20です。

コミュニケーションに絶望して最後に残るものは、私においては、(信仰ではなく)芸術から自分が受ける感覚、そして作品を作る過程で自分の中で起こる感覚、恍惚…、
それがあるから、私は特定の宗教の信者にならず、死ぬこともできずに芸術に向かう。

宗教を信じることと、芸術を感じることは、近いようで(私にとっては)全く違う。これは単なる思いつきではなく、経験からこのような結論に至りました。

芸術は「他者とのコミュニケーション手段」ではなく、目的そのものだ。

けれども、今日の多くの「現代アート」作品は、私から見てもそれこそコミュニケーション手段ににしか見えない。
だからつまらないのだ。
省7
27: 2014/12/28(日)21:45 AAS
>>1
そもそも始まってないから(笑)
終わりも何も無いでしょ
28: 2014/12/28(日)22:11 AAS
もっと簡単なんですけどね

単純に自分が感じ思考する学問も記憶も生活から得たものです
自分の中から出てくるものはそれらをミックスし整理したものです
それこそ自分の内から沸くなんて宗教ですよw

色んな物を吸って吐いての繰り返しなので
自信が付くまでは作ったあとに作品から離れて新しいものを吸収する癖を身につけることです
内に篭って作ればどんどんグロテスクで他人には理解し難い作品になり絶望も深まるものです

どんな作品でも初期の段階では恐らく評価してくれるのは百人に一人以下です
自分の理解者を見つけることですな

死後に希望を託してゴッホを目指すならとめませんがw
29: 19 2014/12/28(日)23:23 AAS
>>20
野次馬根性に付き合わせてすまん。
色々共感できない部分もあるが、あなたの生き方は単純に凛々しいと感じる。
あなたに幸運(あるいは努力に対する当然の結末のほうが良いかも)がある
ことを祈ってるよ。丁寧に答えてくれてありがとう。

>>25
なるほど、不勉強でした。ありがとう。

個人的には28の意見が自分にはしっくりくる。
宗教だなんだと騒いだって、無神論者の私には「人間が開発した」としか思えない
ものだから。すべての宗教の神や教えは、28の内容通り「記憶や経験の混同・歪曲」
省6
30: 2014/12/28(日)23:38 AAS
建築物については
窓枠一つ階段の一段ですら技術者が計算し精密な設計がなされ時にデザイナーが形作ります

そうやって殆ど全てが緻密な計算とデザインが組み合わされ
人が死んでも作り上げられるのです
芸術家が命と生涯かけて作品を作っても
1年で出来上がるビル一つに思考も労力も到底及ばないでしょ

しかしそんなビルの入り口には良く芸術品が置かれますよね
そして毎日ビルに来る人々に晒されるわけです

いってみれば風車に挑むドンキホーテみたいなものです
でもその対比的な構図を人は好むわけですよ
省9
31: 2014/12/28(日)23:45 AAS
と言うわけで
荒らしてスミマセンでした
苦情はこちらへ
2chスレ:art
32: 2015/01/31(土)16:35 AAS
純粋絵画の終わりは印象派で到達したのかな
あとはこう、その時代その時代のメディアとコミットしていく感じかな?
33: 2015/01/31(土)17:59 AAS
そもそもどうなったら終わりなの?
34: 2015/01/31(土)20:48 AAS
芸術は終わらないね
宗教や科学みたいに探求していくものだから
35: 2015/02/01(日)08:47 AAS
芸術は無くならないけど言葉の意味はありふれたものに落ちぶれたね
それを時代の終わりとするか新たな時代の始まったとするか人それぞれ
36: 2015/02/01(日)23:56 AAS
モネの描いたかささぎが飛び去らない限り
芸術はどこかに永遠に存在する
37: 2015/02/02(月)16:00 AAS
そもそも芸術の時代なんて今まで無い
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