[過去ログ] 毎年9月8日は「ぐはあーーーの日」 (857レス)
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1: [age] 2018/09/07(金)15:00 ID:??? AAS
AA省
838: 2019/11/03(日)17:46 ID:??? AAS
■母との近親相姦セラピーが始まる
1969年の夏、バーバラとトニーはマヨルカ島に友人が借りてくれたリゾートハウスに滞在。
バーバラはトニーにマリファナと酒を強要し、ふらふらになったトニーと性的関係を持った。
バーバラは息子が自分に性的反応を示してくれたことが嬉しかったのか、友人たちに自慢げに「息子とセックスした」「これはセラピー」「これで息子の同性愛が治る」と語った。
誰もが唖然としたが、バーバラは満足げだった。
そして、その後、くりかえし近親相姦した。
母親の言いなりになるしかなかったトニーは精神的に追いつめられ、父親に「ママのところに戻ってきて下さい。ママはまるで8歳の少女のようで、困っています」という手紙を送った。
しかし、ブルックスは何もしなかったのだ。
■トニーの崩壊が始まる
そのことに絶望したのか、トニーは暴れ、物を壊し、荒れまくるようになった。
省4
839: 2019/11/03(日)17:47 ID:??? AAS
満足げなバーバラとは対照的に、生まれてからずっと親の都合で振り回されメチャクチャな生活を強いられてきたトニーは、母親に「治療なのよ」と夜な夜なセックスを強要されることで、とうとう精神が崩れてしまった。
幻聴が聞こえ、幻覚に怯え、バーバラに対して激しい暴力をふるうようになったのだ。
さすがのバーバラも精神科医の治療が必要だと思い、入院させたが治療費が高額のため途中で退院させることに。
ブルックスを頼ったが、精神科医の治療などインチキだ、必要ないと主張し助けてくれない。
処方薬が底をつきトニーは再び暴れるように。
木の棒でバーバラが失神するまで殴ったり、夕食中にバーバラの顔に卵を投げつけたり、ペンで彼女の目を刺して失明させようとしたり、骨折させたり、手のつけられないようになった。
1972年7月には、「バーバラを殺す」と言ってナイフを振りかざすようになり、外に逃げた彼女を執拗に追いかけ、車に轢かれるようにと車道に突き飛ばし、とうとう警察に逮捕されたが、バーバラはただの親子喧嘩だと説明。
息子を連れて家に帰ってしまった。
■統合失調症だと診断されるが……
8月になると、トニーは突然失神したり手を強く握りしめたり、無意識のうちに体を前後に揺らすようになり、誰の目から見ても精神状態が正常でないことが分かるように。
省6
840: 2019/11/03(日)17:50 ID:??? AAS
■母を殺害後、レストランに出前を頼む
騒ぎを聞いた近隣住民からの通報を受けて救急隊員と警察官が駆けつけたとき、トニーは中華レストランに出前の電話をかけている真っ最中だった。
母の死体に動揺しないトニーは明らかに精神が病んでおり、殺人罪で逮捕された後ブロードモア保安病院に収容され、7年間にわたり様々な治療を受けた。
1980年7月21日、友人や親族の陳情運動が受け入れられ、トニーは退院。
すぐにニューヨークに飛び、バーバラの母親で87歳になっていたニナのもとに身を寄せた。
だが、トニーは治っていなかった。
退院した6日後の7月27日、祖母であるニナを殺意を持ってナイフで切りつけたのだ。
ひょっとしたら処方箋を飲むのを止めて再び症状が出てしまったのかもしれない。
しかし、「まるで母のようにオレのことをなじった。ママみたく!」と興奮しながら自供した言葉からは、薬さえも抑えきれないほどの深すぎる傷と暗すぎる闇が見え隠れしていた。
なお、ニナは8箇所刺され、複数箇所骨折したが、命には別状なかった。
省6
841: 2019/11/03(日)18:04 ID:??? AAS
実の娘を13歳から犯し続けた牧師 ― 性欲に溺れ、家族6人殺害した後…!!
2015.07.01
1997年11月21日。ベルギー当局が70歳になるハンガリー出身のプロテスタント教会の牧師、アンドラス・パンディを逮捕した。
罪状は、元妻2人と4人の子どもたちを殺害した容疑だ。
逮捕のきっかけとなったのはアンドラスの実娘の告発。
血の繋がった実の娘アグネスが「13歳のときから父親から性的暴行を受け、家族5人の殺害を手伝わされた」と訴えたのだ。
アンドラスの事件は大々的に報じられ、北欧中を驚愕させた。
ベルギーでは前年の96年、8歳〜19歳までの少女6人を誘拐、監禁、強姦した上、共犯者を含む5人を殺害した「マルク・デュトルー事件」が発覚したばかり。
アンドラスはハンガリー人だが、このような凶悪な連続殺人事件が立て続けに起こったことに誰もが震え上がった。
■掘り起こされた「悪夢」
省6
842: 2019/11/03(日)18:07 ID:??? AAS
■牧師で子だくさん……アンドラスという男
ハンガリー人のアンドラスが、ベルギーのブルッセルに移住したのは56年、29歳の時だった。
共産主義政権時代のハンガリーから逃れるように、最初の妻・イローナとアグネスを含む3人の子どもたちを連れて移り住んだ。
しかし、イローナとは1967年に離婚。その後、3人の連れ子がいるエディット・フィンターと再婚して新たに子どもを2人もうけた。
血の繋がった子どもは5人。連れ子3人という、子だくさんな父親だった。
アンドラスの職業は牧師。
92年に退職するまでプロテスタント教会の牧師、宗教教育の先生として働いた。
ハンガリー牧師教会からの信頼も厚く、大勢の信者たちから慕われた彼は、ベルギーだけでなくハンガリーにまで家を持つほどに裕福になった。
■家族が行方不明に
61年〜71年まで、実に8人の子どもたちを養ってきた彼だが、86年〜89年までの3年間に子ども4人と元妻2人が相次いで行方不明になるという異常事態が起きていた。
省2
843: 2019/11/03(日)18:08 ID:??? AAS
後に判明したことだが、この頃アンドラスはハンガリー在住の少女2人と少年1人に「映画の製作していて、リハーサルを手伝ってほしい」と言って金を払い、「自分の子ども」を演じさせてハンガリーの親戚に会わせていた。
少年少女たちは「うまく演じてくれ」と言ったアンドラスの言葉をきっちりと守り、「パパ」と呼んで子どものように振る舞ったそうだ。
さらに、親戚には「子どもたちに会ったという手紙を書いてくれ」と頼んでいたのだった。
■恐ろしい殺害方法
一方で、警察の取り調べを受けていたアグネスは殺人について詳しく語りだしていた。
殺人方法は、射殺かハンマーでの撲殺。
自分が殺したのは実母、2人の兄弟、継母と彼女の連れ子の5人。
遺体はバラバラにした後、配水管清掃に使う強力なドレインクリーナーで分解してドロドロに溶かし、配水管に流して捨てたと供述した。
溶けずに残った部分はと殺場の廃棄処分用のコンテナに放り込んだとも明かした。
13歳から父親にレイプされてきたため、怖くて逆らう事ができなかったのだ。
省9
844: 2019/11/03(日)18:11 ID:??? AAS
■次々と発覚する事件
ベルギーの新聞は「92年、アグネスは自分と継母の子どもたちが父親から強姦などの性的虐待を受けていることや、家族の何人かが行方不明になっていることを警察に報告したが、形だけの調査しか行われなかった」と報道。
もし、この時きちんと捜査をしていれば、犠牲者が減ったはずだと警察を非難した。
この報道に対し、やっきになった警察はアンドラスの罪を暴くため、必死に自宅を掘り起こした。
すると、自宅のコンクリートの下から、アンドラスが妻を募集していることを知り娘と共に面会に訪れたハンガリー人女性のである可能性が高い骨を発見。
さらに、93年にアンドラスと交際していたハンガリー人女性の12歳だった娘がこつ然と姿を消したことも判明した。
同じ頃、ハンガリーの新聞は、アンドラスが複数のルーマニア人孤児たちをブルッセルの自宅に招き、滞在させていたと報道。
アンドラスは、89年に起こったルーマニア革命によって生まれた、たくさんの孤児たちを救済するチャリティー団体「YDNAP」を設立。
「YDNAP」は、アンドラスの苗字パンディ(PANDY)を逆さ読みしたものであり、この団体が斡旋するという形でたくさんの孤児たちを自宅に呼び寄せていたのだという。
省3
845: 2019/11/03(日)18:12 ID:??? AAS
アンドラスが結婚を餌に呼び寄せたハンガリー人女性とベルギー人女性と、その関係者だろうと警察は推定した。
■被害者は数十人? アンドラスの苦しい言い訳
その後裁判が行われ、2002年3月6日、ベルギーの裁判所は、アグネスの証言にもとずきアンドラスを家族6人を殺害し、遺体をバラバラにして溶かし、排水溝に捨てた罪で終身刑を言い渡した。
共犯者のアグネスも禁錮21年に処された。
アンドラスは最後まで自分の罪を認めず、殺害したとされる家族は「全員生きている。天使を通して連絡もとっている」「これは魔女裁判だ」
「彼らの死体など発見されていない。死んだという証拠などない。よって私が殺害したという証拠もないのだ」と猛反発。
実の父親に強姦され続けてきたアグネスのことも「あの子は分裂病だからねぇ」と鼻で笑った。
DNA検査の結果、ティメアが出産した子が自分の子だと確定しても「あの子は私の精液のついた下着を自分の陰部にこすりつける癖があった」「近親相姦などしていない」としらばっくれた。
「自由な身になる日が来たら、彼らは私に会いに来るだろう」とまで言い切り、上告までしていたアンドラスだが、2013年12月23日、体調を崩したためレーヴェンの刑務所から移送されたブリュージュ刑務所病院で死亡した。
享年86歳。死因は老衰だと発表された。
省3
846: 2019/11/03(日)18:17 ID:??? AAS
666回刺されて食べられた少年少女 ― ワルプルギスの夜に起きた悪魔崇拝バラバラ殺人事件=ロシア
2015.07.07
神がいれば悪魔がいる。神を信仰する者がいれば悪魔を信仰する者もいる。
悪魔崇拝の歴史は長く、古代エジプト王国時代から行われてきた。
悪魔崇拝主義者たちは世界中に存在し、今この瞬間にも密かに儀式を行っているのである。
2008年6月末、ロシアのヤロスラヴリで15歳から17歳までの少女3人(オルガ・ポコヴァ、ヴァーヤ・クズミン、アナ・ゴロホワ)と、青年1人(アンドレイ・ソローキン)が行方不明になった。
いずれも家出である可能性が低いことから、警察は何らかの事件に巻き込まれたのではと懸命に捜査を行った。
しかし残念ながら8月12日、全員が遺体となって発見された。
■頭の皮はがされ、性器切り取られ……
遺体が発見された場所はヤロスラヴリの森の中で、4人全員、頭部、腕、足をバラバラに切断された上で焼かれるという残虐極まりない姿で見つかった。
省2
847: 2019/11/03(日)18:19 ID:??? AAS
■666回刺した悪魔崇拝儀式
ロシア報道機関は、遺体が発見されたその日のうちに容疑者8人が逮捕されたと報道。
17歳から19歳までの少年7人と少女1人で、みな裕福な家庭の出身だと伝えた。
警察は加害者と被害者の年齢が近いことから顔見知りだった可能性が高いとにらんだ。
主犯は、遺体発見現場からわずか250m離れた場所に住む”グラフ”と呼ばれていたニコライ・オゴロビヤックで、悪魔崇拝儀式の生け贄のために4人を誘い出し酒で酔わせて殺害。
それぞれナイフで666回刺し、遺体を切断し、切りとった性器など、遺体を焼いた火であぶり食べたと自供した。
えぐり取った心臓はニコライが家に持ち帰ったと自供。
その言葉通り自宅に隠されているのが発見された。
■悪魔崇拝にのめり込んだ5人
共犯者で仲間から”ドクター・ゴス”と呼ばれていたアントン・マコビンは、
省6
848: 2019/11/03(日)18:21 ID:??? AAS
■悪魔崇拝にのめり込んだ5人
その後、彼らの悪魔崇拝儀式はエスカレートし、2008年の5月1日早朝の「ワルプルギスの夜」に、猫を殺害し逆さ十字架に張りつける儀式をするように。
「ワルプルギスの夜」とは、毎年4月30日から5月1日かけて中欧や北欧で行われる「魔女たちの夜」のことで、彼らはこの夜を選び猫を虐殺。
この時、彼らはすぐに警察に見つかり補導されたが、大した問題とはとらえられずすぐに釈放されたため、「悪魔は我々の願いを聞いて下さった」と確信。
さらなる願いを叶えてもらうために、生け贄として人間を捧げる決心をした。そして、ゴスに興味のある被害者たちを誘い出し、酒を飲ませ、泥酔したところを殺害。
バラバラにして焼き、遺体の一部を食べたのだった。
■守られなかった儀式のルール
宗教に詳しいロシアの専門家は、ニコライたちは真の悪魔崇拝者ではないと見ており、その理由を「通常、悪魔崇拝の儀式は13人で行うものだが、彼らは8人で行った。これでは意味がない」
「儀式では、13人目が悪魔崇拝グループのリーダーでマスターの役割をするのだが、そういう基本的なルールは守らなかった」と説明。
悪魔崇拝に憧れているだけで、その歴史や仕組みをよく知っているわけではない、いわゆる中二病をこじらせただけで、まだまだ未熟な子どもだと分析した。
省6
849: 2019/11/03(日)18:32 ID:??? AAS
13歳の時祖父からレイプされ… 7人の男を殺害した連続女性殺人鬼アイリーンの一生
2015.07.19
1989年12月1日。
サンシャイン・スーテトとして知られるフロリダ州のビーチの近くで、一台の車が乗り捨てられているのが発見された。
誰の車なのか身分証明書などはなく、綺麗に拭かれていたため指紋も採取できず。
怪しさ満点な事件だったが、地元警察は単なる失踪事件として処理した。
フロリダは世界中から人が集まる場所であり、人生をリセットしようと何もかも捨てて姿をくらます人が少なくなかったからだ。
13日、車が発見された8キロ先のビーチで車の所持者とみられる死体が発見された。
亜熱帯気候のこの土地では死体の腐敗の進みが早く、また虫が多いため数日で原型をとどめないほど崩れてしまう。
発見された遺体も酷い状態だったため、監察医はマニュアルにそって手首を切断し科学捜査班に送った。
省4
850: 2019/11/03(日)18:32 ID:??? AAS
■珍しい凶器
しかしその後、3カ月の間に3人の男性が殺されるという事件が発生。
43歳で離婚歴のある重機オペレーターのデイヴィッド・スピアーズ、40歳で近日中に結婚する予定だったロデオライダーのチャールズ・キャルズカドゥーン、50歳で暖かい家庭を持つトラック運転手のトロイ・バーレス。
リチャードと、この3人の殺人事件に共通していたのは、22口径の拳銃で殺されたこと。
22口径は女性が護身用に購入することが多い銃で、殺人事件の凶器になることは滅多にないため、警察の目をひいた。
ほかにも、車から出たところを撃たれていること、運転席の椅子が前向き気味になっていることから犯人に外に出ろと脅されたのではないかということ、
車のナンバープレートが外されていたこと、被害者は全員中年の白人男性であることなどの類似点があった。
1990年5月19日、既婚者で56歳になる元警察署長/児童福祉官のチャールズ・ハンフリーズが、5人と同じように殺害されたのを受けて、警察は同一犯による連続殺人事件として捜査を開始した。
被害者の中にはズボンが緩んでいた者がいたこと、現場近くにコンドームが落ちていたケースがあったこと、そして凶器が22口径拳銃だったことから警察はすぐに娼婦の仕業ではないかと睨んだ。
しかし、車の中は綺麗に拭かれていたため指紋は採取することができず。事件現場から容疑者の手がかりを得ることはできなかった。
省7
851: 2019/11/03(日)18:38 ID:??? AAS
■同性愛者で、男を相手にした娼婦
そんな中、11月18日、懸命に捜査を続ける警察をあざ笑うかのように再び連続殺人犯によると見られる殺人事件が起こった。
7人目の犠牲者は60歳のトラック運転手、ウォルター・アントニオ。
身につけていた腕時計や指輪も盗まれていたことから、警察はすぐに付近の質屋をめぐり、持ち込んだ者がいないかを調べた。
また、容疑者の似顔絵もマスコミに公開し、情報を呼びかけた。
すぐにいくつかの情報が寄せられ、その中には似たような女性2人がキャミー・グリーンという名前でモーテルに滞在しているという情報があった。
付近の質屋に聞き込みに入ると、キャミー・グリーンがリチャード・マロリーから盗んだカメラとレーダー探知機を持ち込んでいたことが判明。
この頃、質屋では持ち込み者の指紋を採取することが義務づけられており、しっかりと指紋も残されていた。
警察は最初からキャミー・グリーンは偽名だろうと見ていたが、指紋は偽造できることはできない。
すぐに照合にまわし、アイリーン・ウォーノスという名の白人女性だと判明した。
省5
852: 2019/11/03(日)18:39 ID:??? AAS
■あなたのためなら死ねる
警察はアイリーンが拳銃を所持している現場を抑えられば殺人罪で起訴できると見て、バーにおとりを送り、売春に合意して店から出てきたところを拘束した。
アイリーンのバッグからは拳銃は出てこなかったが、キリスト教宣教師のピーター・シームズの車に残されていた血痕がついた指紋がアイリーンのものだと確定したため逮捕。
しかし、ピーターの遺体は見つかっておらず、殺人罪では起訴できない。
警察はティリアに協力を求め彼女は了承。
アイリーンに電話をさせ「警察が来た。わたしに罪をかぶせる気なのか」「だからわたしと別れたのか」と責めさせた。アイリーンは
「そんなことするはずがない。あなたのことを今でも愛している。あなたのためになら死ねる」と言った。
逮捕から8日後、尋問していた刑事の「主犯はどっちなんだ? ティリアなのか?」という問いに、アイリーンは
「あたしよ。ティリアは関係ない。あたし1人で殺したの。早く電気椅子送りにしなさいよ」と吐き捨てるように言った。
警察の睨んだ通り、アイリーンはティリアのために自分の罪を認めたのだった。
853: 2019/11/03(日)18:43 ID:??? AAS
■13歳の時、祖父から強姦される アイリーンの生い立ち
アイリーンは1956年2月29日、ミシガン州ロチェスターで生まれた。
母親は14歳で父親は16歳で結婚し、アイリーンと一つ年上の兄をもうけたが、たった2年で離婚。
母親はアイリーンが4歳のときに自分の母親に子供たちを押しつけ家出。
祖母は仕方なく2人の孫と養子縁組をして育てた。
ちなみに、アイリーンが一度も会うことがなった父親は統合失調症を患う児童性愛者で7歳の少女を強姦した罪で終身刑に処されカンサス刑務所に収容。
1969年に刑務所内で首つり自殺をしている。
アイリーンの祖父も問題を抱えた人物で、アルコール依存症のDV男だった。
アイリーンは幼い頃から素っ裸にさせられ殴らた。
ペニスを挿入はされなかったものの性的虐待も頻繁に受けた。
省7
854: 2019/11/03(日)18:43 ID:??? AAS
■夫を杖で殴るなど犯罪重ねる
10代の半ばにはアルコールを浴びるように飲むようになっていたアイリーンは、1974年、前出の飲酒運転をしながら銃を発砲し逮捕。
その2年後にはヒッチハイクしたときに乗せてくれた69歳の裕福な男性と結婚したが、金を出せと杖で殴るようになり、男性から婚姻無効の申し立てをされてしまう。
その間にもアイリーンは、バーで傷害事件を起こし逮捕されるなど犯罪を重ねた。
飲酒運転でも逮捕されたが、兄の生命保険金1万ドル(約121万円)が入ったため罰金を支払い、残りは散財。
金はすぐに底をつき、1981年、コンビニ強盗をし逮捕、刑務所送りとなった。
855: 2019/11/03(日)18:46 ID:??? AAS
■娼婦として売れなくなったアイリーン
その後も犯罪を繰り返していったアイリーンがティリア・ムーアに出会ったのは1986年のこと。
場所はゲイバー。一目惚れだった。
ホテルの清掃員だったティリアに苦労をかけたくないからと仕事を辞めさせ、自分が娼婦をして必死に金を稼いだ。
しかし、30歳になっていたアイリーンは酒や薬物のせいで50歳に見えるほど老け、なかなか客がつかなかった。
そんな時、最初の犠牲者リチャード・マロリーが“襲ってきた”ため、自己防衛で射殺。
「なんで、いつも私が被害者じゃなきゃいけないの。これからは私が加害者になってやる」とスイッチが入り、次々とヒッチハイクをした男を殺し、金目当てのものを奪っていったのだった。
裁判では最初の殺人が自己防衛だったということは認められていない。
リチャードは強姦暴行罪で10年服役していた前科があることから、アイリーンの供述が正しい可能性も十分にあったにもかかわらず、だ。
アイリーンは「車のハンドルに首を押し付けられ窒息しそうになった。殴られ出血もし殺されるかと思ったから自分を守るために殺した」
省4
856: 2019/11/03(日)18:47 ID:??? AAS
■「早く死刑にしてほしい」
1992年1月31日、アイリーンはリーチャドに対する殺人で有罪となり裁判官から死刑を命じられた。
その後も、遺体が発見されていないピーター以外、6人全員を殺害した罪で、それぞれ死刑となり、最終的に6つの死刑に処された。
アイリーンの弁護士チームは、彼女が精神的に障害を持ち、殺人をしたときは正気ではなかったとして上告しようとした。
しかし、アイリーン自身が「わたしは正気だった」と言い「早く死刑にしてほしい」と言い放った。
裁判所でも「上告などしない。死刑を受け入れる。わたしは天国に行くけど、みんなは地獄よ」と鼻で笑った。
拘束後、アイリーンは熱心なキリスト教信者となり「神はわたしのことをお許しになった」と目を見開き、ますます死刑を恐れなくなっていった。
857: 2019/11/03(日)18:49 ID:??? AAS
■モンスターの最期
その後、「アイリーンは気の毒な人生を送って来た」「彼女は精神異常者であり、それは生まれ育った環境のせいだ」と同情し、死刑に処さないようにという運動が行われたが、
彼女は死刑を強く望み続け、2002年10月9日に薬物注射による死刑が執行された。
南部の女性らしく最期の晩餐として、ケンタッキーフライドチキンとポテトを食べた彼女は、処刑場に向かう時、嬉しそうに笑顔を浮かべた。
最期の言葉は「わたしはこれから航海に出るけど、『インディペンデンス・デイ』って映画みたく、イエス・キリストともに母船に乗って帰ってくるわ。6月6日にね。また戻るのよ。戻ってくるわ」だった。
アメリカ史上10人目の女性死刑となったアイリーンの事件は2003年にハリウッドの人気女優シャーリーズ・セロン主演で映画化された。
『モンスター』というタイトルのこの作品はアイリーンに同情的に描かれていたため被害者遺族らは不快感をあらわにしたが、作品は大ヒットし迫真の演技をしたシャーリーズはアカデミー主演女優賞を獲得した。
映画の影響でアイリーンは可哀想な身の上の女というイメージが強くなったが、彼女を知っている者はみな、映画のタイトルにもあるモンスターそのものだったと語っている。
アイリーン自身もそう思っていたからこそ、一日も早い死刑を望んだのだと伝えられている。
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