[過去ログ] ishibashiスレPart5 (1002レス)
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232: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)08:28 ID:+B9rjtcJ(24/36) AAS
小泉純一郎内閣当時の「皇室典範に関する有識者会議」の
座長代理を務められ、『皇室法概論』などのご著書がある
元最高裁判事の園部逸夫氏。

現代における皇室法・皇室制度研究の第一人者と申し上げて、
敢えて過言ではないだろう。

その園部氏が、天皇・皇室を巡る制度が安定的に維持される為に
欠かせない「前提」は、皇室と国民との間の“信頼関係”であると
指摘されている(『皇室法入門』)。
以下に関連部分の一部を抜粋させて戴く。
「皇室と国民との信頼関係の基本は次の点にあると考えている。
省8
233: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)08:28 ID:+B9rjtcJ(25/36) AAS
もちろんこうした信頼関係の基本にある双方の在り方は
強制されるようなものであってはならず、むしろ強制されるような
状況は信頼関係が危うい状況であり、強制されずに維持されることが
皇室制度安定の基礎であると言えよう。

またこの信頼関係を維持するためには、皇室の在り方について
国民が希望や意見を述べる自由が確保されることが大切である。
そして同時に意見を述べる際にたしなみが必要であるという点も
重要である。
234
(1): 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)08:29 ID:+B9rjtcJ(26/36) AAS
…そうした意見は事実に基づくものであることが大前提である。
…限られた方々により構成されている制度について、その制度を
構成される方々を批判することは制度自体を批判することに
容易につながり、それがひいては制度自体を否定することにも
つながりかねないという危険をはらんでいる」
傾聴すべき指摘だろう。
235: 2023/07/06(木)10:05 ID:hyHlHv9I(1) AAS
AA省
236: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:09 ID:+B9rjtcJ(27/36) AAS
“4大行幸啓(ぎょうこうけい)”という言葉を
知っている人は少なくないだろう。

具体的には、毎年行われている以下の4種類の催しに、
天皇・皇后両陛下がお出ましになることを指す。

①全国植樹祭(4月~6月頃)
②国民体育大会(9月~11月頃、来年=令和6年から名称が
「国民スポーツ大会」に変更)
③全国豊かな海づくり大会(9月~11月頃)
④国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭(7月~11月頃)

天皇陛下が外出されることを「行幸」、皇后や皇太子などの外出を
省6
237: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:10 ID:+B9rjtcJ(28/36) AAS
④は、天皇陛下のご即位と共に、陛下ご自身のご見識とご判断によって、
「天皇のご公務」へと“格上げ”されたからだ。
国民文化祭が始まったのは昭和61年。当時、浩宮(ひろのみや)殿下と
呼ばれていた天皇陛下が毎年、お成りになる行事とされていた。

それが平成時代に入って、「皇太子」として行啓される行事へと
“格上げ”される。
更に令和になると、先述の通り最も重い「天皇のご公務」にまで“格上げ”
された(全国障害者芸術・文化祭は遅れて平成13年に始まり、
同29年から国民文化祭と一体的に開催)。

このように平成時代に④は天皇のご公務には含まれず、“3大行幸啓”だった。
省3
238: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:10 ID:+B9rjtcJ(29/36) AAS
この行事が開始されたのは昭和56年。当時は「皇太子」だった
上皇陛下が毎年、上皇后陛下とご一緒にお出ましになっていた。
それが平成になると、「天皇のご公務」へと“格上げ”されて、
“3大行幸啓”という形になった。

②は、昭和21年に国民の体力向上を目的に創設されている。
その前身は、大正13年から昭和18年にかけて行われていた
明治神宮国民体育大会とされている(名称は明治神宮競技大会→明治神宮体育大会→明治神宮国民体育大会など)。
昭和天皇は昭和22年に石川県で開催された第2回大会の開会式に
ご臨席になり、これが国民体育大会への最初のお出ましとなった。

①の起こりについては、昭和25年に山梨県で昭和天皇・香淳皇后の
省4
239: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:11 ID:+B9rjtcJ(30/36) AAS
更にその前年(昭和22年)、昭和天皇は、戦争で傷付き疲れた
各地の国民を慰め、励まされる為の“全国巡幸(じゅんこう=天皇が各地を
巡られること)”の一環として、富山県を訪れられた折に、現地で「造林御奨励
の思(おぼし)召し」から、ご自身で杉苗3株をお手植えされた事実がある
(『昭和天皇実録』昭和22年11月1日条)。

わが国の国土の約7割は森林。

だが、当時は戦争中の乱伐などによって国内の森林がすっかり荒廃しており、木材の不足だけでなく、自然災害や水不足にも直結する危機を抱えていた。
緑の森を甦(よみがえ)らせることは喫緊の国家的な課題であり、
昭和天皇は富山県の他でも巡幸の途次、各地で植樹をされていた。

全国植樹祭の開始は、森林の恢復(かいふく)を願われる昭和天皇
省2
240: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:11 ID:+B9rjtcJ(31/36) AAS
以上のように振り返ると、慣例化したご公務と見られがちな、
毎年開催される恒例行事へのお出ましであっても、その背後に代々の
天皇の強いお気持ち、主体性・自発性を窺うことができる。

しかも、令和の“4大行幸啓”の中身を丁寧に見ると、国民生活の基礎と
言うべき健康・体力への関心を喚起する体育・スポーツ奨励行事=
②国民体育大会に対して、その健康・体力の基礎の上に花開くべき
文化・芸術奨励行事=④国民文化祭及び全国障害者芸術・文化祭が
位置付けられる一方、国土の多くの部分を占める森林の大切さを
呼び掛ける行事=①全国植樹祭に対して、国土を取り巻く海洋の
大切さを呼び掛ける行事=③全国豊かな海づくり大会が対応する
省4
241: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)10:42 ID:+B9rjtcJ(32/36) AAS
ロシア軍が数ヵ月前から取り始めた戦術として「戦闘機が滑空誘導爆弾をロシア領内から投下、100km先のウクライナ領内の目標を攻撃」というスタンドオフ攻撃を行っているので、ウクライナ軍の従来の旧ソ連製の地対空ミサイル(射程70km)では対抗できませんでした。そこでこれより射程の長いNATO供与のパトリオットPAC-2(射程160km)で戦闘機の撃墜を狙いに行ったわけです。越境攻撃ですがこの場合は完全に専守防衛の範囲内であり、アメリカも使用を問題視することはありません。ヘリコプターはついでに狙ったことになりますが、軍用機であった以上はこれもアメリカは大して問題にはしないでしょう。
242: 2023/07/06(木)10:59 ID:rcB0y9rc(1) AAS
AA省
243: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)12:17 ID:+B9rjtcJ(33/36) AAS
一般に、儀式や祭祀と言えば前例踏襲が当たり前で、
ましてや皇室の神聖・尊厳な祭祀においては先例からの
変更などあり得ない、というイメージを持っている人が多いのではないか。

しかし、改めて言うまでもなく宮中祭祀の場である「宮中三殿」自体が、
明治時代に新しく造られている(明治初め以来の変遷を経て、
明治22年1月9日に現在地に造営)。

ここでは、天皇ご自身のご見識とご判断、主体性・自発性が
ダイレクトに祭祀に反映された、比較的近年の事例を紹介しておく。
244: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)12:18 ID:+B9rjtcJ(34/36) AAS
それは、(以前も別の取り上げ方で紹介したはずだが)平成26年4月11日に
宮中三殿の皇霊殿で執り行われた「昭憲皇太后百年式年祭」だ。

“式年祭”というのは旧「皇室祭祀令」(明治41年)に規定された
臨時祭祀の1つで、神武天皇以来の代々の天皇の崩御(ほうぎょ)から
3年・5年・10年・20年・30年・40年・50年・100年、以後は100年ごと
(そうした節目の年=式年)の崩御日に当たる日に行われる祭祀だ
(例えば、平成28年4月3日には、上皇・上皇后両陛下がわざわざ
奈良県橿原市の神武天皇陵〔畝傍山東北陵、うねびやまのうしとらの
すみのみささぎ〕までお出ましになって、「神武天皇二千六百年式年祭」
が厳重に執り行われている)。
省6
245: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)12:18 ID:+B9rjtcJ(35/36) AAS
しかし、担当者自身がことの重大さに気づいていなかった。
私以外にこの事実に反応した研究者やメディアもなかったようだ。
そこで以下のように依頼した。

「とにかく、(皇室祭祀のお手伝いをする内廷の部署である)掌典職に
確認して下さい。
現在も皇室祭祀が依拠すべき枠組みとされている旧皇室祭祀令に規定がなく、
勿論、前例もない今回のお祭りが、何故行われたのか」と。

掌典職の中に私の知り合いがいない訳ではない。

しかし、この件については私的な人脈に頼るのではなく、正面から
宮内庁の見解として回答を得たかった。
省4
246: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)12:19 ID:+B9rjtcJ(36/36) AAS
「お答えします。ご指摘の通り、今回の祭祀は旧皇室祭祀令に規定がなく、
前例もありません。そのような祭祀が何故行われたのかというお尋ねですが、
これは陛下(上皇陛下=当時は天皇)の思(おぼ)し召しによるものです。
陛下の思し召しです」と。

「思し召し」を二度、繰り返したのが印象に残っている。
恐らく担当者にとっても、掌典職の説明は意外な事実だったのだろう。
それでやっと、事柄の重大さに初めて気付いたのだろう。

厳かな口調で私に伝えてくれた。

しかし、私にとっては予想通りの回答だった。
それ以外にはあり得ないことだからである。
省8
247: 2023/07/06(木)14:19 ID:x+xts4xk(1) AAS
パクリエロビデヲの特徴
・低学歴
・低収入(年収200万円台)
・デブ
・不細工
・脂ギッシュ
・爪が汚い
・薄い頭髪
・フケ
・ニキビ面
省5
248: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)14:38 ID:Mb+vuK/i(1/16) AAS
何らかの新しい立法や法改正などを目指す運動(ムーブメント)に
必要な条件はどのようなものか。
私自身はいわゆる運動家とか活動家ではないので、確かなことは言えない。
それでも、これまでの乏しい体験や知見をもとに整理すると、
およそ以下の3つではないか。

①ロジック構築
②世論喚起
③政界対策

一般的に言って、少なくとも新たな立法・法改正を目指す場合、
よほど特殊な事情でもない限り、運動が成功する為にはこれらの
省7
249: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)14:38 ID:Mb+vuK/i(2/16) AAS
その運動が目指す目的の正当性・喫緊性などと、逆にそれを妨げ、
遅らせることの不当性などについて、幅広い理解が得られる明確な
“論理”が示されなければ、運動への共感や支持は広がらない。

これまできちんと結果を残した運動で言えば、「昭和」から「平成」、
「平成」から「令和」への改元を可能にした元号法制化運動
(→昭和54年に元号法が成立)の場合、村松剛氏・葦津珍彦氏ほか
『元号―いま問われているもの』(昭和52年)に盛り込まれた内容あたりが、
①に当たる成果だろう。

「昭和の日」制定運動(→平成17年に祝日法が改正されて同19年より
4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」に変更、「みどりの日」は5月4日へ)
省7
250: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)14:39 ID:Mb+vuK/i(3/16) AAS
上皇陛下のご譲位を可能にした皇室典範特例法(平成29年)の場合、
上皇陛下ご自身によるビデオメッセージが公表され、たちまち圧倒的多数の
国民による合意が形成された。
これは特別なケースだ(それでも一部の「保守」系論者などによる正気を
疑うような妨害を排除する言論活動が必要だった。
『天皇「生前退位」の真実』〔平成28年〕など)。

元号法制化運動では、大型の街頭宣伝カー2台で47都道府県を巡る
全国縦断キャラバン隊(キャラバンという言葉自体が“隊商”の意味なので、
「キャラバン“隊”」という呼び方は厳密に言うと重複なのだが、
当時は違和感なくそのように呼んでいたと記憶する)が組織され、
省2
251: 鳴嶋"ゼレンスキー"英雄 2023/07/06(木)14:40 ID:Mb+vuK/i(4/16) AAS
昭和53年10月3日には、日本武道館で約2万人を集めた国民大会が
開催されている。
世論の盛り上がりを受けて、元号法制化を求める地方議会の決議も、
同年末の時点で46都道府県・1100市町村に達した。
「昭和の日」制定運動は元号法制化運動のように強力な宗教団体などを
背景にしたものではなく、少数の有志からスタートしたが、熱心に集会や
新聞広告を繰り返し、更に署名活動などで世論喚起に取り組んだ
(署名は1千万人を目標としたものの、巨大組織などの後ろ楯を持たない為に、163万5千896人にとどまった。
最大規模の集会では九段会館大ホールに約1100人が集まった)。

③については、一流レストランや高級ホテルで政治家や官僚への接待を重ね、
省3
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