【晩年】大江健三郎 8【様式】 (698レス)
上下前次1-新
368: 2024/05/03(金)13:18 ID:fjVGotnI(1/3) AAS
(359-361の続き)
王仁三郎は、壮絶な「神憑り」の最中、お筆先として過激な「神の言」を撒き散らし続ける出口なおと出逢い、すぐさまなおに帰依し、
なおを「神主」、自らを「審神者」とする「鎮魂帰神法」を、理論においても実践においても、確立していったのである。
最大の力をもった「神主」こそが最大の力をもった天皇なのである。
アマテラスが憑依した天皇は、その度ごとに、文字通りアマテラスそのものとなる。
大本的な「鎮魂帰神法」にもとづいて小説「英霊の声」を書き上げた三島由紀夫は、続いて評論「文化防衛論」において、伊勢神宮とアマテラスを論じることになる。
三島は、そこで、こう宣言する。
日本文化の大きな特質の一つは、本来的に「オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」ところにある。
その端的な例は、伊勢神宮で二十年に一度行われている式年造営と、そこに祀られているアマテラスと天皇の関係に見出すことが可能だ。
伊勢神宮は内宮と外宮の二つの神域からなる。
それぞれの宮を構成するすべての建物、そのなかに収められたすべての宝物は二十年に一度完全に破壊され、まったく同じものが、すぐ隣の空白の地に造り直される。
三島は、ここにこそ近代以前にして近代を乗り越えていく日本文化の特質があるのだと断言する。
「持統帝以来五十九回に亘る二十年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、
オリジナルは、その時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。
このような文科概念の特質は、各代の天皇が、正に天皇その方であって、天照大神とオリジナルとコピーの関係にないところの天皇制の特質と見合ってゐる。」
憑依という反復によって時間も空間もゼロへと滅び、あらためてゼロからよみがえってくる。
もしそこに「かたち」が、「仮面」がなければ、誰もが、何もが自己同一性を保つことができなくなるであろう。
三島由紀夫は、反復の度ごとに同一性が保たれる「かたち」を選んだ。
『万延元年のフットボール』を書き上げた大江健三郎は、おそらく違う。
反復の度ごとに同一性が破られ、差異性が産み落とされる「かたち」以前の「かたち」、「かたち」の母胎、「純粋天皇の胎水」たる「ふるさと」を選ぶ。
(同上P.52-55)
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