群像新人評論賞 (926レス)
上下前次1-新
374: 2021/12/26(日)04:13 AAS
>>301
最近あずまんがNewsweekかなんかに書いてたけど、東浩紀って大学のテニュアになれた事一度もないらしいよ
ずっと任期付きや客員しかオファーなくて、教授会にも一度も入れてもらえず、アカデミシャンとは扱われなかったって自分で書いてる
だから仕方なく独立を目指した
375(1): 2021/12/26(日)20:40 AAS
東って単純に貸借対照表よめないんじゃないか?
376: 2021/12/28(火)17:35 AAS
>>375
損益計算書じゃないんだ?
東浩紀はまあ頑張ってるんだろうけどやっぱり常勤の大学教授になれなかったのが運命の分かれ目だったよね
常勤の大学教授になってればもっと余裕持ちながらゲンロンもやれたと思う
それでも大学外で批評でメシ食えると示したのは偉業で立派だと思うけど
377: 2021/12/29(水)06:41 AAS
今すばる2月号の表紙だけネットで確認。クリティーク賞は(はっきりとは読み取れなかったが)サブカルチャー論らしい。今までもオタカルチャー論はあったものの、基本的には次点どまりだったので個人的には嬉しい(ただ内容的にどんなものなのかまだ未読なので、受賞者および選者3人にはまことに失礼ながら、「上滑り」や「こじつけ」の延長になってなければという不安も正直若干ある。青臭い言い回しだと自分でも思うが、ぜひ「サブカルから時代を照射する」的なものであって欲しい)。
例年通りなら今月号に来年度の募集要項が載るはずなのだが、その確認はもうちょっと待たねばーー。
378(1): 322 2022/01/05(水)18:57 AAS
いま「批評の手帖」を見た 「すばるクリティーク」もまた、今回でどうやら終わりを迎えるらしい 329さんの言ってた「それこそ馬鹿」な、否悲しむべき事態がとうとう現実になった訳だ 正直私も悔しいが329さん(そして326さん)も文字通り断腸の思いだろう
こういうことを言うと一部からは叱られそうだが、「小説」の場合は映画やテレビドラマ(や深夜枠アニメ)に「変換」させられ得る しかし「批評」「評論」はそうはいかない クリティークは活字媒体から離れることのできない、その意味では厄介な代物なのだ
やや逆恨み的ないい方ともとられかねないが、もう文芸誌に明日はないのではないか? このままだと(無論5年先10年先ならともかく、長期的には)漫画とラノベとSF小説に、完全にとって代わられてしまうのではないだろうか
個人的には3,11(正確には8,6から3,11に至る経緯)に関する批評を発表する機会を完全に失ってしまったのが、本当に無念だ 誰かこの問題に鋭く切り込んでいる既存の評論家がいれば、それはそれで諦めもつくのだけれども
379: 2022/01/05(水)22:21 AAS
>>378
すばるクリティークも終わりなのですか
限られた人間にしか見ることの出来なかった
希望の萌芽の突然死に立ち会っているような悲しみがあります
少なからぬ批評家志望は無言のまま蒙った致命傷に崩れ落ちるのですね……
生き抜きましょう
学問の愛を後悔して罪悪感に変えることなく
今はそれしかいえません
380(1): 322 2022/01/05(水)23:12 AAS
379さんへ
重ねがさね失礼ながら(文面から察するに)あなたは323さんか330さんのどちらかだと思います(おそらくーー)
時事問題をあくまでも「文芸批評」の立場(いわゆる「オピニオン」でない立場 勿論オピニオンの立場で論じるのが悪いという訳ではない)で論じるのが、様々な「当事者」の立場を(完璧にではないにしても)出来る限り慮りつつ、単なるアジびらの延長や素朴な第三者を「感動」させるだけのお涙頂戴でないものを投稿するのが、私の愚かでちっぽけな夢でしたーー
いずれにせよもう純文学には期待は持てない 新人評論家の育成を怠った、つまり批評というライバルが確実に衰えてゆく状況での純文学は、長い目で見れば間違いなく「第二芸術」化するのでしょうねーー
381: 2022/01/05(水)23:32 AAS
>>380
短歌や和歌が既にそうなっているように
批評も内輪向けの秘教的な趣味のようになってしまうのかも知れませんね
その内に純文学の新人賞や文芸賞の廃止、文芸誌の廃刊といった事態が
今後数十年以内に生じる可能性が想像されてしまうのが恐ろしいです
382: 2022/01/05(水)23:39 AAS
実現する見込みのない希望を達成することが向学心や透明な先人からの至上命令としてありながら
実際はその命令を真に受けた主体が任務を遂行することが不可能な程の社会構造の不備による失敗を
自分の無能力による失敗だと誤認して責任感が自壊に向けて作動してしまい可能性のある主体ほど自滅してしまう
悲しいことです
383(1): 322 2022/01/06(木)00:00 AAS
323さんへ
(変な話ですが)東京の杉並区にある某ミュージアムにその類いの「遺物」が大量に保存されているのですけれども、70年代から80年代のサブカルーーというか中小・零細出版社の出していたアニメ誌のいくつかを見て思ったのですが、(無論文芸誌のそれには及ばないにせよ)当時のアニメに関する辛辣な批評が結構載っけられてました。それでもその後そうした評論アニメ誌はほとんど潰れてしまい、残ったのは大手出版社の情報主体のアニメ誌だけ なんか批評部門を次々となくしていった現在の文芸誌とどこかしらダブって見えるといったら、穿ちすぎでしょうか
「内輪向け」という点ではかわらないものの、前提となる規模はもはやラノベやアニメなどよりも純文学の方がはるかに小さい こりゃどう考えても先細りだなぁーー
384: 322 2022/01/06(木)00:06 AAS
あれ? 381さんは323さんじゃないのかな? 間違ってたら大変失礼いたしました
385: 2022/01/06(木)07:11 AAS
でさ
どうするよ俺たち
386: 2022/01/06(木)10:26 AAS
自分達で批評誌を作ったり、Webで活動していくしかないのでは。
387(1): 323=381 2022/01/06(木)12:14 AAS
>>383
サブカルも批評が消えて行った悲しい歴史があるのですね
書く方も読む方も大変だけど利益には繋がらないのが批評なんですね
その辺りのサブカル批評を再評価する仕事とか凄い面白そうですけどね
ゼロ年代に東浩紀氏や宇野常寛氏等がサブカル批評をちょっとだけ
盛り上げたと思いますが結局市場として成熟しなかったことを思い出します
芸術が近代に大衆化してパトロンの役割が教養人や文化人から大衆に
移行したけれども大衆は教養や学問より享楽や娯楽の消費が行動原理だから
結局、学問は市場原理に汚染されることを妥協するか、
自分を支えてくれる権力者や庇護者を見つけ出すか、
省2
388(1): 322 2022/01/06(木)19:48 AAS
323さんへ
(基本文芸誌にも拘わらず)椎名林檎や村崎百郎といった「非純文学」的テーマの受賞が続いたことも、もしかしたら休止(=多分廃止)の隠された一原因なのでしょうか?
先(383)に挙げた評論アニメ誌の中に、大江健三郎の「破壊者ウルトラマン」をやり玉に挙げていたものがある つまるところ怪獣映画が子供の暴力性を助長し、被爆者への偏見を煽るなんてのは一面的だ、というものだ
ただそれでもゴジラのケロイド状の皮膚が被爆者を刺激するのは事実だろうし、(それと全く同じ問題ではないものの)大江が称賛した井伏鱒二の「黒い雨」の主人公一家を巡る描写も、少なくとも今日のコンプラ的観点からは引っかかる部分が多いだろう
そしてこうした映画やテレビ、純文学における問題は、いわゆる反核運動(広義には市民運動全般)にもおそらく当てはまる
以下述べることは323さんには異論のあるところでしょうが、私はあの「平成転向論」の原文に目を通してみて、「ああ、こういう人(の同類)が、広島や水俣や福島で、実際に犠牲になった人達に「上から目線のボランティア」や「古傷の塩塗り」をしてまわるんだな」としみじみ思いました
そのことが私がボランティアに関わらないことを「正当化」する理由には、全くならないのだとしても
389: 2022/01/06(木)20:16 AAS
>>388
我々が議論をしようとする場所やメディア自体が偏向した不平等であって
対等の立場の人間が平等を志向して透明なコミュニケーションを目指す、
という理想的な中立とは無縁のものですからね
議論の場や参観者同士のパワー・バランス自体がどこまでも不条理という喜劇
カール・バルトのような神学的な立場でもラカンやジジェクのような
無神論的な立場でも感受性の衝突自体はむしろ真理や思想の発展に
必要な継起として措定されていますから不快感自体は別段構わないのです
最近は自分の論敵に対してあまりに無反省に開き直って
喧嘩腰で買い言葉を投げつけることがSNSのせいか増えてしまい残念ですが
390(1): 322 2022/01/06(木)21:39 AAS
323さんへ
本当に問題なのは「不快感」で済まない場合だと思います 単純化して言うと、反核(反公害)運動に参加しない被爆者(患者)にとって心底はらわたが煮えくり返るのは、運動に参加して「ノーモア・ヒバクシャ」という自分たちを「否定」するスローガン絶叫している同じ被爆者であり、もっとややこしいのが(これが私が「群像」で落選し「すばる」に送ることのできなかったテーマの主人公なのですが)、自分が被爆者であることをひた隠しにして平和運動に関わった某インテリの問題です(この人物も、その自著で323さんのいう「喧嘩腰」を問題にしてましたが)
以下述べることがあくまで福島限定に留まるのか、岩手や宮城にも共時的に発生してしまうのか分かりませんが、同じ被災者同士の対立(というよりももっと根源的な憎み合い)が、もう始まってしまっているのではないでしょうか?
391(1): 2022/01/06(木)22:15 AAS
>>390
最近の自分はどちらかというとラカン寄りなので、
「人間はそもそも根本的に憎み合うどうしようもなく醜い矛盾した存在だ」、
という事態に耐えられるようにする為に道?コや芸術や文学があるとも考えています
例えばランシエールという思想家は「民主主義は達成されればされるほど、自分の権利が平和な平等という根本的な欺瞞で搾取されていることに気づくことから、民主主義は達成されればされるほど人間は自分の権利の為にお互いを憎み合うようになる」という趣旨の指摘をしています
ラカン的にはどんな人間もそれぞれ醜く、不快で、矛盾している症候的な主体なので、私が他者を不快と捉える時に、そのような混乱した主体としてしか生きることの出来ない他者への根本的な憐れみのようなものが最近は強くありますから、メディアが扇情的に無用の分断や対立や序列意識や被害者意識を掻きたてるのはどうかとも思いますが、私自身どんな道?コや倫理でも回収出来ない相互的な憎悪といった風に知覚される世界の様相や様態に対する自分の感情がどれほど妥当であり正当であるのか、最近は自信がありません
眼差しが臨床的になりつあるので、自分の義憤や反撥を今は反省中です
私は無学な好事家に過ぎませんので、どんなに言葉を綴っても
322さんの望むような答えや期待されているであろう受け答えが出来ないことを残念に思います
正直、自分も書いていて青息吐息ですから、自分の論理の破綻や飛躍は御寛恕いただけると助かります(汗)
省2
392: 322 2022/01/06(木)22:34 AAS
323さんへ
正直私はフランス哲学(多分――)には疎く(元々日本文学・日本史専攻なので)ラカンもランシエールもよく分かりません ただ後者の述べている民主主義を巡るパラドックス・アポリアは、先の「某インテリ」の説く民主主義とよく似ているように思えます ただ自分自身の被爆体験をいわば「隠蔽」した某インテリのそれの場合、「憎しみ」に関する考察がほぼ完全に欠如していますがーー
本日は長々とお付き合い下さり、どうもありがとうございました
393(1): 322 2022/01/07(金)05:31 AAS
私の今までのレス、厳密には確かにスレチだ でも、まあいっか このスレ自体もう事実上(オレみたいな)文芸評論家のなり損ないのアジールに変わっちゃってるんだし
今「すばる」「群像」に乗ってる人たちだっていつ「箱舟」を追い出されるか分からない ただそれでも「上から目線のボランティア」「エリート臭を感じるネトウヨ批判」なんて批評だけはもうもうまっぴらだということは、今一度いっときたい そんなものは所詮ポピュリズムの鏡像にすぎぬのだからーー
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