[過去ログ] 対峙-Mass- (70レス)
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57: 2023/02/20(月)07:38 ID:WYSPq2bv(1) AAS
>>56
加害者側の母親も事件前はそう思っていたのかもね。
殺人事件のニュース見て、被害者の親になることは想像出来ても加害者の親になることは微塵も想像しないのが殆どだろうし。
58: 2023/02/21(火)17:43 ID:AKQ1IKAv(1) AAS
銃乱射事件の加害者と被害者の両親4人が教会に会して、事件と子供たちについて忌憚ないディスカッションを繰り広げる会話劇で、ほぼ全編が4人の俳優の演技合戦となっています。 プロローグの―話し合いの場を提供する教会の準備から始まって、 被害者と加害者の両親の到着 仲介した関係者と挨拶 片方が持ってきたプレゼントを渡す 双方の近況を尋ねて …となかなか核心に入ってゆかない会話の進捗に、 アメリカ人でも重要な案件では”社交辞令“や”遠回しの話題で場慣らしをする“といった”慎重な会話手順になることが判る作品で、 観客は、次第に核心に迫ってくる会話内容や双方の態度や語り方から、“どちらが加害者で、
どちらが被害者か”わかってきますし、同時に双方の経済&社会的な立場の違いや、息子の性格やきょうだい構成も提示されてゆきます。 そして、双方の親それぞれの子供への愛情と喪失の悲しみが次第に浮き彫りにされてゆく様子とお互いの禍根の落とし処の付け方へと会話が白熱してゆき…ラストでのそれまでの蟠りの解消とそれぞれの人生への回帰を示し、教会が日常の営みを取り戻して終了となる作劇となっていて、映画の中の時間経過と上映時間=観客が体感する時間を同じくすることでも、観る者もディスカッションを共体験する仕組みとなっていて、会話の終了=映画の終わる頃には4人の苦悩と人柄に哀惜共感できますよ…
59: 2023/02/21(火)21:21 ID:bnlQCn4q(1/2) AAS
四人の人間(二組の子供を亡くした夫婦)による密室劇。
密室劇には古典的名作として『十二人の怒れる男』があるが、あのスタイルである。映画の殆どは一つの部屋の中だけで展開する。
テーマも趣も異なるので横並びで比較するのはあまり意味をなさないが、密室劇の新しい名作を産んだといっていいクオリティだ。

広義の「ドラマ」を”人間の葛藤を描くこと”と定義付けるのであれば、その意味では今作はほぼ全編が”葛藤の塊”である。
そしてそれを演じる役者たちは演技とは思えないほどリアル。観ている者を引き付けてやまない。素晴らしい。

米国で頻発する銃乱射事件の加害者、被害者双方の遺族が対面して話し合う。それがこの作品の全てである。
純粋な密室劇で、事件の回想シーン等は一切ない。事件現場である今は荒涼とした学校の跡地が四人の心象風景や過去の悲劇を表すシャレードとしてとして挿入されるだけだ。「語りたくない記憶」である事件の断片が少しずつ、時に重苦しく、あるいは激しく爆発的に吐露されて全貌が見えて来る。
時間経過も四人の会合が映画とリアルタイムで進む、極めて直線的でシンプルな描き方。
それが全て効果的に効いている。

ただ、メインの登場人物も四人なので、画的にはあまりに変化がない。ゆえに緊張を維持するのがしんどくて、飽きが来てしまう時間があるのも否めない。
省1
60
(1): 2023/02/21(火)21:21 ID:bnlQCn4q(2/2) AAS
親達は最後に「赦し」に辿り着く。
しかしそれはありがちな「高潔な道義的予定調和」ではない。
息子の命を奪われた苦しみ、怒りを忘れてはならないし、忘れたくない。相手が罰を受ければいいとも思う。しかしそんな苦しみや怒りの日々にはもう耐えられない。それを終わらせる為には、相手を赦すしかないじゃないか、ということをある意味、熟慮の果ての現実解として悟る。そこに至る心理描写が物凄いのである(文章だと陳腐になるそこを、見事に映像として描いているのが今作である)

原題の「Mass」はキリスト教のミサの意味でいいと思う。この二組の夫婦の話し合いが、神の救いから生まれた赦しに感謝と賛美を捧げるミサそのものである。そんな意味なのではないかと思う。
邦題「対峙」はかなり苦労したことと思う。対峙から始まっているので間違いではないが、「赦し」「祈り」の方が意味としては近い。ただ、それでは映画のタイトルとしてはセンスがない、というのも分かる。
61: 2023/02/22(水)23:30 ID:pK9pKY+w(1) AAS
なんだ被害者家族が赦す話なのか
観に行くのやめた
62: 2023/02/23(木)06:17 ID:PrJP0XaT(1) AAS
映画館で今作を観たときレイトショーというのもあって奇跡的に自分一人だけだった。今思えば今作を鑑賞するには最高の環境だったと思う。

6年前に起きたとされる校内銃乱射事件の加害者の親と犠牲者の一人である親の計4人の対峙。劇伴、突飛な編集やカメラワークの一切を省きただただ真摯に4人の表情を画面に映す。当事者である青年二人はもうこの世にいない。残されたのは世間に酷く晒され、加害者と被害者の差こそあれど子を失った親のみ。しかし加害者と被害者の差が深く突き刺さる。二人の青年はどのような人物だったのかという思い出話から次第に事件を起こしてしまった青年のどこが問題だったのかに焦点が当てられていく。
家庭環境、趣味嗜好、学校内での様子や先天的な性格から起因するもの。どこかに責任を転嫁させたくてもどうすることも出来ないし、どこで間違えてどう対処すればよかったのか正解はいつまでたっても分からない。答えのない答えを必死に探そうともがく4人がダメだと分かっていながらも感情的になってしまう様子は恐ろしいくらい気迫があり、実際のドキュメンタリーなんじゃないかと思ってしまうほど。
加害者本人と被害者本人が対峙するのであれば"赦す"という行為が必要になってくるのは分かるが、今作の対峙では当事者はもういない。「犯罪者の息子を育ててしまってごめんない。」や「あなた達の育て方が悪かったんだ」というような言葉はもはや意味を成さない。かといってどうすればよかったと対処法や過去の話をしたって自分達が前に進むことは出来ない。
そういったものを分かっていながらも溢れ出てくる感情を抑えるために可能性や仮定の話をしていく4人の姿はまさしく息が詰まってしまう。彼らでさえこの物語がどう終わるのかが分かってない。もはや終わってしまっていいのかも分からない。そうしてもがいた末に物語は亡くなった二人の息子達の人生を肯定し、4人が祈ることに収束する。若くして死んでしまった被害者の息子の人生に意味はあったのか。絶対に許されない罪を犯してしまった加害者の息子の人生に意味はあったのか。
悲劇的な最期を迎えてしまった2人だが、彼らを愛した両親がいて一瞬だったとしても幸せだと感じる思い出があったのだから2人が生きた意味はあったのだ。初めて4人が対峙したときに流れた気まずい沈黙が、弔いをするための沈黙へと変化したラスト。圧巻だった。
63: 2023/02/23(木)14:24 ID:gOVeeBqe(1) AAS
良かったわ。

アメリカ的と言うより親なら共通の思考だと感じたけどなあ。
4人の演技が素晴らしかったし、最初の加害者ママの
空気読めなさ感も話が進むにつれ
理由のある行動だったんだと納得いったよ。
被害者視点から徐々に真ん中に映らせるストーリーも
何よりも4人の演技が素晴らしかった。

加害者ママが最後に銃取り出すとかしたらどうしようと
そこだけドキドキしたが胸に響く幕切れだったよ。
64: 2023/02/23(木)15:47 ID:QgjHfUOw(1) AAS
すげえ良かった
こんなの泣くしかないだろ
65: 2023/02/23(木)21:46 ID:nsESBMND(1) AAS
>>60
Massってそういう意味なのね
質量とか重みとかの意味しか知らなかったから、何が適訳なんだろと思ってた

「赦し」はセンスないてかネタバレになっちゃうもんね。

そう考えると確かに邦題は難しい、
でもいいタイトルだと思う
66: 2023/02/23(木)21:48 ID:V7zV9ZEZ(1) AAS
個人的には今流行りのディベートを邦題にして欲しかった
67: 2023/02/24(金)00:32 ID:0nrzspj9(1) AAS
ディベートは勝ち負け判定するから
この映画のメッセージとは真逆だろう
68: 2023/02/24(金)00:39 ID:XBkNtien(1) AAS
「赦してほしいってあなたの感想ですよね?」
「昔はいい子だったって…なんだろう、嘘つくのやめてもらってもいいですか?」
「(赦すのは)残念ながら、無理ですね。」
「僕の彼女というか妻というか細君というか奥さんは赦す気ないんですよ。」
「結局のところ親の教育が悪かったんじゃないかなぁと思いまーす。」

こんな作品見たくない
69: 2023/02/25(土)18:30 ID:74pUdpKN(1/2) AAS
①“対峙”という日本語の本来の意味からすると、この二組の夫婦は初めから“対峙”など出来ない。
何故なら、一方の夫婦はいくら責められても反論出来ない。言い分があったとしても世間的には言い訳としか受け取られない。
それに対して、もう一方の夫婦は責めようと思えばいくらでも責められる。
同じ立場ではないのだ。だからこの二組の夫婦に出来るのは“対峙”ではなく“対話”のみ。
そして、この対話も何かを解決したり、出来るものではない。
対話の末、四人が再認識或いは初めて認識出来たのは、結局対峙しなけばならないのは自分の中の自分だということ。
この映画はそういうことを云いたいのだと思う。
この二組の夫婦はこれからも対話を続けるのだろうか。恐らく続けても救いや解決は来ないだろう。でも「この認識」を思い出す為に対話し続けるようにも思える。
②私は子供がいないので、その喪失感は想像するしかないですが、実際の喪失感は私の想像どころではないでしょうね。
親は子供のどこまで責任を持たねばならないのか。日本では一応18歳くらいまでとなっていますが(対外的に?社会的に?)、子供が自意識を持ち初めてからは果たして子供のすることの全ての責任が取れるかどうか?私達子供のいないものにとってはついつい「親は何していた?親の顔が見たい」的な考えをしてしまいがちですが…
省2
70: 2023/02/25(土)18:30 ID:74pUdpKN(2/2) AAS
両親としては愛情と恐れ・不安の狭間で途方に暮れていたのだろう。だから、本作の加害者の両親が経験した愛情と不安・恐れとの間で揺れていた気持ちは漠然と理解できる。(USAの方が日本より精神病理に対する理解やケア、福祉が進んでいるとしても)
私の家の場合、弟の暴力が家族だけが対象で外(他人)にふるわれなかったのが救いといえば救いだったけれども。
加害者の父親の「産まない方が良かった」という台詞があった。
私の弟の場合、母は産みたくなかったようだ。しかし父が有無を言わせず出産させたようだ。そして、弟が発症して家族に対して暴力をふるいだした時にこの台詞と全く同じことを言ったことを思い出す。
私も「いっそ死んでくれたらよいのに」と思ったことは一度ならずある(『ロストケア』の世界だね。)
④加害者の両親の方はこれまで筆舌に尽くせない苦難を乗り越えて来ただろう。犠牲者の家族からの恨み・非難は当然、世間からの非難・中傷誹謗(一部同情もあったと台詞の中にあったけれども)の波、取材陣の波、鳴り続ける電話や引きも切らない手紙やメール、仕事への影響、離れていく友人たち。
賠償の問題もあるだろう(USAのその辺りの制度はよく知らないが)
私なら耐えられないかも知れない。
⑤といって加害者の親の方に一方的に肩入れしているわけではありません。USAと日本の親子関係にある程度違いはあるかもしれないとはいえ、子供に対する愛情は変わらない筈。手塩にかけて育てた子供がある日突然理不尽な暴力で失われてしまう。その喪失感・怒り・絶望は死ぬまで癒されることは無いだろうと思います。
⑥二組の夫婦を演じる四人の俳優の見事な演技。
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