山下和仁5 (806レス)
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328: (ワッチョイ df9d-P/3G) 2022/12/11(日)16:23 ID:ZBnU30k60(1/2) AAS
>>327
それなら福田が武満に賞賛されたとい
うソースを教えてくれ
俺は福田ファンでもあるのでそんなものがあるなら、ぜひ見たい
346(3): (ワッチョイ df9d-P/3G) 2022/12/11(日)20:32 ID:ZBnU30k60(2/2) AAS
調べてみたが、実際、武満は山下に対して控えめだったと思う
フォリオスは1974年の作曲だが、初演者の荘村以降初の録音が山下で1982年
今から見ると荘村の演奏は技術的にも未熟で音楽としても不自然で、曲としてもほとんど顧みられていなかったと思うが
山下の録音は今から見ても武満の演奏として現代にも通じる自然なもので、それで素晴らしいギター曲として認められたのだと思う
「展覧会の絵」から一年後で山下としても一番勢いのある頃だろうし、単に録音しただけではなく、イギリスデビューでも大序曲、魔笛、展覧会などと並べてフォリオスを演奏している。当時としたら画期的なくらいの話ではないだろうか
武満のギター演奏史で言うとジョン・ウィリアムズのCDが大きいだろうが、これは1989年で今から見るとかなり早いが、これも山下の演奏の貢献があったのでは
「夢の縁へ」「虹に向かって、パルマ」「すべては薄明りの中で」なども山下の録音以降だし、福田が武満の演奏を始めたのもそれ以降だと思う(初録音は1991年のようだ)
荘村、福田、鈴木などは世界的大作曲家の武満が見出し、育てたという関係だろうが、山下だけは客観的に見て、武満をクラシックギター曲作曲家として見出し、世界に広めて、多くのギター曲もむしろ山下がきっかけになった、と言ってもいいくらいの関係だろう
それほどの貢献を考えたら、確かに武満の山下に対する対応は控えめだろう。むしろ山下の世話になっていたから遠慮したのかもしれないし、ほめる必要のないくらいの演奏家だと思ったのかもしれないし、他に理由があったかもしれない
しかし、そもそも演奏家と作曲家の関係は、演奏家の方が作曲家を認めてその曲を演奏して曲を広めるというのが当たり前の関係だろう
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