[過去ログ] 【消印】ヤフオク使用済切手・古封筒【郵便史】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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914: (スッップ Sdaa-uaKi) 2018/05/03(木)12:18 ID:DXgJOPjWd(1) AAS
区別出来るのと区別して集めるべきは違うんだよな
915
(4): (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/03(木)12:21 ID:UvlEybLiM(3/3) AAS
>>913
4. 戦後間もない時期に存在が(一部の人には)知られていた。
「美濃郵趣クラブ」の葉書販売目録「美濃郵趣目録」40号 (昭和22年4月20日付)
1銭女工(小豆色)(5銭東郷と同色の珍品で糊付の完全品) 販売価格4円
直ぐ隣に
靖国1円粗紙 3円50銭
靖国1円白紙 4円
乃木2銭朱色 珍 50銭
5銭飛機 4本透銘付20枚 7円
と並んでいる。
省7
916
(1): (ワッチョイ 4ace-3xiy) 2018/05/03(木)14:04 ID:7uTLsGFQ0(1) AAS
たしかに日本フィラテリー91年8月にも記事があるね
>>915 91年1月号の「わたしの愛蔵品」だね
「茶色が入っているように思えぬような赤紫色」の記載がある
入手先が大垣の美濃郵趣クラブ 1947年4月20日号からで裏糊付きの完全品との説明書き

名鑑7の昭和にも載っているが説明が簡素
よく昭和切手の戦災変色で「未使用のまま金庫に保管されていた切手シートが空襲の火災で変色した」って説明が多いけど
使用済みだと空襲の戦災色ではない可能性が高いと思われるけど、封書のまま金庫に保管された可能性もあるし
まあ戦時中で物資の乏しい時期に印刷された切手だからインクが足りなくて別のをぶち込んで印刷した可能性もあるしね
敵国降伏10銭じゃないが連絡ミスでそのまま発行したのが一部で回っている可能性もあるし
昭和18年だと戦況もかなり悪くなり物資不足が一層ひどくなる時期
省1
917: (ガラプー KKc7-owjD) 2018/05/03(木)20:05 ID:br60MTLFK(1) AAS
『戦災変色だ!!』って言うならば、
今でも同じ色の戦災変色が作れるのかどうかを実証すればいいんだよ。

カタログ価50円程度の切手なんだから。
918: (ワッチョイ a3dd-g/9z) 2018/05/04(金)09:28 ID:3X/qCDnL0(1) AAS
金庫に入れて、熱してみれば…
但し、現在の頑丈で精工な金庫ではなく、当時の粗末な金庫を使用しなければならない。
先ずは、骨董店で金庫探しをしないと… 面倒だよな〜
919
(1): (ワッチョイ 7f95-aXUu) 2018/05/05(土)09:56 ID:1BKTPTvh0(1) AAS
>>905 都合悪くなると「コイツ」とか「めんどくさい」と言う。
920
(4): (オイコラミネオ MM42-mnbx) 2018/05/05(土)16:33 ID:nfN6kxJZM(1/2) AAS
>>913 915
終戦直後の記録があるからといって、それが直ちに本物を保証する訳ではない事には注意。

戦争末期から終戦後は色変わり切手の大ブームだったようだ。
特に終戦後は「火垂るの墓」の時代、世相的にも何でもありの状態だった。

以前のヤフオクの出品物。
外部リンク:aucview.aucfan.com
終戦直前の昭和20年8月、「褐色」勅額切手10銭が額面の40倍の4円で販売されていた(文面3, 4行目)。

しかし、戦後になってから登場した物がすべて偽物という訳でもない。
有名な1次昭和30銭厳島無目打エラーのシートは戦後の公表。
(ただし、これも窓口で売られたという架空の話で流された。)
921
(3): (オイコラミネオ MM42-mnbx) 2018/05/05(土)16:43 ID:nfN6kxJZM(2/2) AAS
>>920
雑誌「郵趣手帖」14号(1960.12)p.13-14
に「切手の化学変化」と題するエッセイが載っていた。
「あまり信用のないアプルーバルや入札誌に、
どうやら化学的処理を施して変色させたと推定できるような切手が、
○○戦災とか、色変り珍品などと称する思わせぶりな説明つきで
売られていた事実も、少なからず聞いている。」
とある。

改めて、
>>915 の販売目録「美濃郵趣目録」40号 (昭和22年4月20日付)
省3
922: (ワッチョイ 862a-IZ7B) 2018/05/05(土)20:59 ID:6wC4TOG80(1) AAS
>>919
はぁ〜 面倒くせ〜。
923
(1): (ワッチョイ 4ace-3xiy) 2018/05/06(日)01:31 ID:kDfQb2ED0(1) AAS
>>920
静岡から札幌宛てみたいだね。「札幌市南一条」だろうか?
8月3日ポスト投函、消印8月4日だね
あの時期に良く届いたね
札幌に着いたのはいつだろうか?終戦後だったりして
文面見ると、満州戦時ハガキ入手僅か次回大量入手の時云々とか書いてあるw
神戸へ行って忙しい、8月の定会の会合云々とか

この時期もう沖縄は占領され空襲がひどく艦砲射撃はされるは、グラマンヘルキャットの機銃掃射は行われるは
3日後には広島に原爆投下
本土決戦目の前とか言われてた時期に、検閲があったとはいえ随分と呑気な文面だな
省1
924
(5): (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/08(火)18:04 ID:CYT9JM3iM(1/2) AAS
>>414
国際切手展の審査員でもある佐藤浩一氏のアーカイブスについて記事があった(仙台郵趣会会報228号)(2018.2)。
300円仏頭のエッセイと称する見たことのない品の画像も。

あくまで私見であり、審査の絶対ルールではないだろうが、興味深い意見が並んでいた。
「真正品であることの客観的な確認の取れるもの」
「サインも印章もない下書きや原画があったとし、それを展示作品に加える際には工夫が必要」
「デザイナーが私的に所有していた下書きなどは “Designer’s Waste” として
評価されるどころか“ごみ”扱いされるケースも」
925: (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/08(火)18:08 ID:CYT9JM3iM(2/2) AAS
>>924
日本切手について、
「不利であるという声を聞きます。本当にそうでしょうか?」
「高額なプルーフを買わなくても済みますので、アーカイブスなど無い方が有利なのではないでしょうか? 」
「『民間には存在していない』と、タイトルページに」、「無いものを『無い』と伝えること」

「日本のアーカイブスだからと言って特別に評価することはありません」

[注、文章の極一部で、正確なニュアンスを伝えていない]
切手展に出品される方には非常に参考になる記事。
926
(1): (ワッチョイ 9b9b-BsV1) 2018/05/11(金)16:32 ID:KLpFWvhS0(1/2) AAS
>>915>>921
「美濃郵趣目録」の原本ってどこで閲覧できるの?
927
(1): (オイコラミネオ MM2b-Cw6M) 2018/05/11(金)17:40 ID:aBZlY/fiM(1/2) AAS
2次動植物5円貼 風景印 渡島大沼36.5.15、
木村勝氏の大沼国定公園下絵。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
「国定公園切手の原画を描きに大沼にまいっております。」

2次動植物5円貼 唐津 35.2.24、
木村勝氏の玄海国定公園芥屋の大門スケッチ。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
「玄海国定公園のスケッチに唐津に」
こちらは切手の絵とは違う。

>>924
省1
928
(4): (オイコラミネオ MM2b-Cw6M) 2018/05/11(金)17:42 ID:aBZlY/fiM(2/2) AAS
手彫龍500文、和桜2銭赤貼 書留 不統一印 大垣検査済、栃木県宛。
三月三十一日/大垣駅郵便所 角型朱印、「書留」朱印、「別段至急」朱印。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
切手も封筒も虫食い無数。
中の手紙に明治6年3月3(0?)日の書き込み。したがって、大垣は明治6年3月31日の差出。
929
(4): (ワッチョイ 9b9b-BsV1) 2018/05/11(金)18:37 ID:KLpFWvhS0(2/2) AAS
>>928
不勉強なことばかりでわからない点が多数御座います。

一、中の書状の日付が三月三十? となっているとはいえ、同日の30日ではなく、31日に大垣に差し出されるというのはどう特定されるのでしょうか。
一、封書の包み紙に押されている消印に、中央の「東京」の外周に「四」らしきものが見えますが、この外周部分は何が記載されますでしょうか。当時は鉄路も無く、東海道なり中山道なりでいったん東京に運搬するしかなかった、というのは理解できます。
一、なぜ龍文500文に、手彫り桜二銭が加貼されているのでしょうか。銭単位の龍銭と手彫り桜との組み合わせでもなく、時期的にも通貨制度の面でも飛躍がある組み合わせかと見受けられます。
930
(1): (ワッチョイ 2563-TVdY) 2018/05/11(金)20:36 ID:ibqGdw1i0(1) AAS
(´・ω・`)手彫りとか桜とか一切わからんド素人が見た限りの印象です。。掲示板汚しで失礼。。。
>>928のブツ、「なんとなく、新しい匂いがする希ガス。。」
>>929さんの御質問の内容さえわからんド素人の戯言で失礼しました。。。
931
(2): (ワッチョイ 55bd-79TQ) 2018/05/11(金)21:28 ID:o1quwV080(1) AAS
>>928 じゃないが

>>929
1873年(明治6年)3月30日は日曜日
書留は郵便局差出だから月曜日の31日差出だと思う
ちなみに新暦は明治5年(1872年)からの使用です
当時郵便局が日曜日開いていたかどうかまではわからんが、おそらく明治時代じゃ日曜日やってない可能性高いだろうな
すまないが、明治期の郵便局開局時間の資料まで持ち合わせてないので推測だ

二重丸型日付印といって、中が局名周囲は日付
また「午前」「午後」や「イ、ロ、ハ」など便名が記載されている

明治5年より新貨条例の公布で銭単位に改められ
省4
932
(1): (ワッチョイ 9b9b-BsV1) 2018/05/12(土)00:47 ID:+t3mbvbW0(1) AAS
>>928-931
日経新聞社さまがこんなことを教えてくれました。

日本って休みが多い国なの?|働き方・学び方|NIKKEI STYLE
外部リンク:style.nikkei.com

>  お父さん 明治時代の初めは「一六日(いちろくび)」といって、政府が1、6、11、16、21、26日を役人の休みに決めていたよ。

>  お父さん そう。明治9年の1876年に官庁や学校、軍隊などでは日曜日が休みになって、土曜も半休になったよ。

旧暦→新暦の切り替えは、「太陰太陽暦(旧暦)の明治5年12月3日を、太陽暦(新暦)の明治6年(1873)1月1日とし」たが、混乱を避けるために旧暦との併用が明治6年は続いたために、官公庁以外が書いている日付は鵜呑みにできないという罠も。
933: (ワッチョイ d5fd-bFqk) 2018/05/12(土)03:09 ID:osFoEwse0(1) AAS
>>932
>>931が根拠とした日曜日だから非営業というのは、
(明治6年の話だから)誤った考えということだな。
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