[過去ログ] 【消印】ヤフオク使用済切手・古封筒【郵便史】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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618(3): (ワッチョイ 66ce-17nN) 2017/12/02(土)03:57 ID:UZm1leNN0(1) AAS
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
第2次動植物国宝切手 コイル切手 10円
これはダメでしょうw
入札入っているし
650(5): (オイコラミネオ MM6e-fnQh) 2017/12/18(月)17:35 ID:XHzct03aM(1/2) AAS
小判葉書5厘に旧小判5厘縦ペア加貼 二重丸KG武蔵入間 川越 9.5。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
1次新昭和30銭田型、郵便創始75年周年記念30銭、日本国憲法記念50銭貼、(東山) 22.6.5、米宛、差出人戻。
超大型検閲印「RETURN TO SENDER 連合軍検閲部 116 差出人戻シ」。
付箋紙 "philatelic materials" "郵便切手蒐集ハ"許可サレヌ CCD-169。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
京都の月岡四郎氏の差出、封緘葉書7銭を切断し、私製葉書として利用。
5月27日、軍国主義の切手[追放切手]を直ちに販売中止にする通達が電報で出された。(「大日本帝国郵便始末」篠原宏 (1980.3) p.161)
文面ではこの情報ー追放切手のリストを記載し、「(五月廿九日より)」とある。
652(5): (オイコラミネオ MM6e-fnQh) 2017/12/18(月)17:55 ID:XHzct03aM(2/2) AAS
>>650
大変困った事に、販売中止の通達の電報の日付が文献により異なっている。
5月27日 「大日本帝国郵便始末」篠原宏 p.161(1980.3)
5月17日 「日本切手百科事典(普及版)」 p.60(山口修 担当)(1974.10)
5月17日 (同上) p.155(今井修、新井紀元 担当)(1974.10)
6月27日 「昭和切手研究」新井紀元 p.82(1974.12)
6月29日 「日本切手100年小史」今井修 p.186(日本郵趣出版 1978.7)
6月29日 「昭和切手とその集め方」昭和切手研究グループ(文責 成田弘) p.16(1985.9)
6月29日 「昭和切手専門カタログ 第2版」駅逓郵趣会(編集代表 山崎好是) p.74(1986.2)
鳴美の「昭和切手専門カタログ第3版」では、追放切手の解説項目 (p.228-229) で、「郵便局での販売中止と、使用禁止が同時に施行され、」と記載。
658(3): (アメ MM27-/Zhb) 2017/12/22(金)02:20 ID:K40jK0GCM(1/2) AAS
すみません、これは値段が付くやつですか?
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
756(6): (オイコラミネオ MM4f-CeQs) 2018/02/19(月)17:47 ID:/OttB/MBM(1/2) AAS
>>745
大発見なので、記録をかねて再掲。
台湾非常通信 「非常郵便」朱筆 彰化 29.9.20 イ便、着印 雲林 29.9.20 イ便、 彰化衛戍病院から雲林守備隊宛。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
U小判2銭貼 彰化 29.8.25 イ便、着印 雲林 29.8.26 イ便、 彰化衛戍病院から雲林守備隊宛。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
同一の差出と宛先だがこちらは有料。何が違う?
専門家の方が詳しい解説記事をどこかに書かれると思うが、
「新発見!!」と単品の説明で終えるのではなく、
是非、この二つのカバーの取扱いの差、あるいは、今回の山の他のカバーとの取扱いの違いについての説明もお願いしたい。
省1
761(3): (オイコラミネオ MMb6-7KtG) 2018/02/22(木)19:19 ID:Wun7IXvxM(1/2) AAS
>>756
間違えた。非常通信の雲林の着印の日付は20日ではなく、21日 。
非常通信所の写真(大正3年)が台湾のブログにあった。
外部リンク:m.xuite.net
このセラオカフニ非常通信所の設置に関する記録は未確認(カバーと電報の実例はある)。
元は、 台湾大学図書館資料の「佐久間總督カラパウ討伐軍記??寫真集」 (カラパウ,??拉寶)
セラオカフニ(西拉歐??夫尼)溪底(渓底)非常通信所の写真
外部リンク[jsp]:photo.lib.ntu.edu.tw
写真中央に「セラオカフニ非常通信所」の看板と「郵便(箱?函?)」と書かれた小さな郵便ポストが写っている。
關ケ原(関ヶ原)非常通信所の写真
省2
866(5): (オイコラミネオ MM25-Dv7M) 2018/04/02(月)18:21 ID:XlJZEtL/M(2/2) AAS
stampediaの雑誌略称「TPM」18号 (2018.3)
今月の記事「朝鮮速達」、この中の制度変遷表が実にすばらしい(p.69-70)。
キッチリと告示番号など1次情報源を明記してある。
さらに、掲載官報の番号も明記。官報(日本)には未掲載のものも。
これだけで会費の元は取れた。
883(3): (ワッチョイ ffd2-7IXH) 2018/04/18(水)23:29 ID:6l67qTYG0(1) AAS
この出品者だから、怪しく見えてしまう。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
903(3): (オイコラミネオ MM6b-VWby) 2018/04/29(日)16:17 ID:k16eeEUzM(1/2) AAS
昭和切手女工1銭赤紫(小豆色)。
昨年2017年6月に郵政博物館で開かれた昭和切手記念展で銘付き10Bの美品が鑑定書(郵趣連合)と共に展示されていた。
昭和40年代の鑑定書には、市田氏の手書きで「紫味褐色」に対して、「この刷色は変色によるものと考えられる。」とあった。
鑑定に出したのは、東北?、信州?の大家(故人)。
御自分が郵便局の窓口で購入したものなら、鑑定に出すはずもないから、
後年にかなりの金額で入手されたものだろう。
鑑定でダメ出しされたから自慢の一品とはならずに、お蔵入りになったようだ。
913(3): (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/03(木)12:10 ID:UvlEybLiM(2/3) AAS
>>903 904
昭和切手女工1銭赤紫(小豆色)
本物派の主張
1. 糊付き未使用の美品がブロックで多数存在する。(日本フィラテリー91年8月号p.3)
(ヤフオクにも何回も出品されている。)
1b. 銘付10Bも複数存在。
それらは目打抜けやセンターがよく似ている。
2. 昭和19年の使用済などが複数存在。(同上)
下谷19.5.27、枇杷島、豊橋21年、奈良福(?)
3. 昭和19年のカバーも存在。
省2
915(4): (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/03(木)12:21 ID:UvlEybLiM(3/3) AAS
>>913
4. 戦後間もない時期に存在が(一部の人には)知られていた。
「美濃郵趣クラブ」の葉書販売目録「美濃郵趣目録」40号 (昭和22年4月20日付)
1銭女工(小豆色)(5銭東郷と同色の珍品で糊付の完全品) 販売価格4円
直ぐ隣に
靖国1円粗紙 3円50銭
靖国1円白紙 4円
乃木2銭朱色 珍 50銭
5銭飛機 4本透銘付20枚 7円
と並んでいる。
省7
920(4): (オイコラミネオ MM42-mnbx) 2018/05/05(土)16:33 ID:nfN6kxJZM(1/2) AAS
>>913 915
終戦直後の記録があるからといって、それが直ちに本物を保証する訳ではない事には注意。
戦争末期から終戦後は色変わり切手の大ブームだったようだ。
特に終戦後は「火垂るの墓」の時代、世相的にも何でもありの状態だった。
以前のヤフオクの出品物。
外部リンク:aucview.aucfan.com
終戦直前の昭和20年8月、「褐色」勅額切手10銭が額面の40倍の4円で販売されていた(文面3, 4行目)。
しかし、戦後になってから登場した物がすべて偽物という訳でもない。
有名な1次昭和30銭厳島無目打エラーのシートは戦後の公表。
(ただし、これも窓口で売られたという架空の話で流された。)
921(3): (オイコラミネオ MM42-mnbx) 2018/05/05(土)16:43 ID:nfN6kxJZM(2/2) AAS
>>920
雑誌「郵趣手帖」14号(1960.12)p.13-14
に「切手の化学変化」と題するエッセイが載っていた。
「あまり信用のないアプルーバルや入札誌に、
どうやら化学的処理を施して変色させたと推定できるような切手が、
○○戦災とか、色変り珍品などと称する思わせぶりな説明つきで
売られていた事実も、少なからず聞いている。」
とある。
改めて、
>>915 の販売目録「美濃郵趣目録」40号 (昭和22年4月20日付)
省3
924(5): (オイコラミネオ MM96-mnbx) 2018/05/08(火)18:04 ID:CYT9JM3iM(1/2) AAS
>>414
国際切手展の審査員でもある佐藤浩一氏のアーカイブスについて記事があった(仙台郵趣会会報228号)(2018.2)。
300円仏頭のエッセイと称する見たことのない品の画像も。
あくまで私見であり、審査の絶対ルールではないだろうが、興味深い意見が並んでいた。
「真正品であることの客観的な確認の取れるもの」
「サインも印章もない下書きや原画があったとし、それを展示作品に加える際には工夫が必要」
「デザイナーが私的に所有していた下書きなどは “Designer’s Waste” として
評価されるどころか“ごみ”扱いされるケースも」
928(4): (オイコラミネオ MM2b-Cw6M) 2018/05/11(金)17:42 ID:aBZlY/fiM(2/2) AAS
手彫龍500文、和桜2銭赤貼 書留 不統一印 大垣検査済、栃木県宛。
三月三十一日/大垣駅郵便所 角型朱印、「書留」朱印、「別段至急」朱印。
外部リンク:page.auctions.yahoo.co.jp
切手も封筒も虫食い無数。
中の手紙に明治6年3月3(0?)日の書き込み。したがって、大垣は明治6年3月31日の差出。
929(4): (ワッチョイ 9b9b-BsV1) 2018/05/11(金)18:37 ID:KLpFWvhS0(2/2) AAS
>>928
不勉強なことばかりでわからない点が多数御座います。
一、中の書状の日付が三月三十? となっているとはいえ、同日の30日ではなく、31日に大垣に差し出されるというのはどう特定されるのでしょうか。
一、封書の包み紙に押されている消印に、中央の「東京」の外周に「四」らしきものが見えますが、この外周部分は何が記載されますでしょうか。当時は鉄路も無く、東海道なり中山道なりでいったん東京に運搬するしかなかった、というのは理解できます。
一、なぜ龍文500文に、手彫り桜二銭が加貼されているのでしょうか。銭単位の龍銭と手彫り桜との組み合わせでもなく、時期的にも通貨制度の面でも飛躍がある組み合わせかと見受けられます。
972(3): (ワッチョイ 7dce-HlOg) 2018/05/22(火)20:17 ID:jC3DclX/0(1) AAS
>>966
表紙の24円平等院縦書きローラー「広島」に10秒ほど時が止まった・・・
一度「宮島」局の見たことがあるが24円の縦書きローラーは凄いね
所有者曰くどこから入手したか分らんが子供の時からあったとの事
975(3): (ワッチョイ 3a51-36Ai) 2018/05/23(水)16:01 ID:OTJ9Lz4e0(2/2) AAS
>>972-973
どうもローラー印は要因が多すぎて、不勉強の極みでよくわからずにおります。
(1) 色は、昭和20年代に局の都合か判断でインクの色のバリエーションがあった?
(昭和中期に関しては、物資調達の都合と戦後の制度安定化までの、一時的な現象?)
(2) カタカナローラー印は、昭和20年〜30年代に近畿と東北で使用?
(近畿は昭和43年くらいまで使用されていた?)
(3) 縦書きローラー印は、昭和30・33・35・36年のみ?
(津北では、昭和57〜58年頃もあり?)
などの断片的な収集情報のほか、そもそもローラー印が押されるために
(4) 機械印を押そうにも投入できない、かつ、丸型印を押せない状況
省10
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