【税】清田スポーツちゃんねるについて語るスレ ★2 (1002レス)
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841(1): あ 11/20(水)19:47 ID:+nQOApwY0(8/9) AAS
民放各局がJリーグを「オワコン」と見なした背景とは?
実際、95年のフジのJリーグ中継の視聴率をリサーチすると、最高視聴率はヴェルディ川崎と横浜マリノスによるCSで13.5%。レギュラーシーズンはいずれも1桁であった。中継カード数も95年の11から96年は7、さらに97年は2にまで激減。ゴールデンでの中継もなくなった。「サッカーのテレビ東京」も、状況は似たようなものであった。
「94年の終わりぐらいから(Jリーグ中継の)視聴率が悪くなったんですよ。ゴールデンで生(中継)は、どうなんだと。それでもテレ東はサッカーを大事にする局だったから、ちゃんとスポンサーが付けば『やりましょう』という感じではあったんです。でも、スポンサーもお金が続かなくなったんですよね。『ダイヤモンドサッカー』についても、前の年(94年)の秋には全国(放送)からの撤退が決まっていました」(葉梨)
実は95年当時、テレビ制作会社に勤務していた私は『ダイヤモンドサッカー』でAD(アシスタント・ディレクター)を務めていた。最後の収録となった3月26日のテレビ欄を見ると、「必見!J&外国人テクニック集!」という、ぼんやりしたサブタイトルが付けられていて、内容もおよそ「最終回」らしくなかったことを覚えている。その後、『ダイヤモンドサッカー』は予算規模を縮小して関東ローカルで命脈を保ったものの、96年9月に終了。最後は、土曜の18時30分からの30分番組だった。
Jリーグブームの陰りは、なぜ95年に顕在化したのだろうか。この年の資料を俯瞰してみると、いくつか思い当たる節が見られる。まず、野球界の盛り返し。阪神淡路大震災が発生したこの年は「がんばろう神戸」を合言葉に、オリックス・ブルーウェーブがパ・リーグ優勝を果たした(その中心にいたのは、言うまでもなくイチローだ)。一方、海の向こうに視線を転じれば、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄がメジャーリーグで新人王を獲得。こうした野球界の活況に対して、Jリーグは話題性に乏しかった。国民的スターだった三浦知良が、前年にイタリア(ジェノア)に渡ってしまったことも大きかったように思う。
一方で95年という年は、翌年のアトランタ五輪に向けてU−22日本代表に注目が集まった年でもあった。翌96年3月、彼らが28年ぶりに本大会の扉をこじ開けた時、その瞬間を中継していたのがフジ。「あそこから、もう完全に代表モードですよ。『いいとこ取りのフジ』とよく言われましたけれど、僕は褒め言葉だと思っています」と村社は回想する。世の中の関心は、Jリーグから代表へと着実にシフトしていた。と同時に、民放各局にとって、もはやJリーグは「オワコン(終わったコンテンツ)」状態となっていたのである。
それから20年後の2015年、Jリーグは「地上波での露出」を目的に、J1リーグの2ステージ制復活を断行する。しかしCS決勝の視聴率は、期待していたほど振るわなかった。優勝が決定する第2戦を中継したNHKは10%を何とかクリアしたが(15年が10.4%、16年が11.7%)、久々の民放ゴールデンとして注目されたTBSは2桁にも届かず(15年が7.6%、16年が7.3%)。結局、2ステージ制は2シーズンで終了した。この厳しい現実を目の当たりにしたJリーグは、地上波でもスカパー!でもない、DAZNという黒船メディアに活路を見いだす。かつて民放キー局に見捨てられたJリーグは、20年以上の時を経てテレビを見限ったのではないか──。当時、テレビ制作現場の底辺で働いていた私は、あれから22年が経過して、そんなことを考えている。
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