[過去ログ] 長岡厨=在日エラ金正昭(キムジョンソ)42歳童貞 2匹目 [無断転載禁止]©2ch.net (19レス)
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13: 2016/07/08(金)22:57 ID:vU4/FI92(1) AAS
クワ総主教庁と北米メトロポリア、そして日本正教会との間で合意が取り交わされ、北米メトロポリアはアメリカ正教会として独立教会となり、
モスクワと関係を回復した上で日本正教会は自治教会となった。ニコライ・カサートキンは亜使徒として列聖された。この直前(1969年9月)、
経緯説明のためにアレクサンドル・シュメーマン神父が来日している。若干の混乱はいまだ続いていたものの、ここに日本正教会は一応安定す
ることとなった。ウラジミル・ナゴスキーが府主教・東京の大主教に、フェオドシイ永島新二が京都の主教に、セラフィム・シグリストが仙台
の主教に就任した。一方、モスクワの直接管轄下にあったグループは「モスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ」に再編成された。ほどなくしてウラ
ジミル・ナゴスキー府主教が引退すると、フェオドシイ永島新二が府主教に就任。長く日本正教会の指導にあたった。ことにフェオドシイ永島
府主教の下で日本正教会は長らく懸案であった財政基盤を安定的なものとすることに一定程度成功し、自治教会に相応しい内実が整えられてい
った。細々と続いていた出版活動も拡大が図られ、「時課経」「大斎第一週間奉事式略」等の再発行、「主日奉事式」「徹夜祷(聖歌譜)」「諸聖略
伝」の発行等が日本正教会内部向けに行われ、外部向けには長司祭高橋保行、高井寿雄、川又一英などにより活発な著述活動が行われた。日本
正教会の歴史については長司祭牛丸康夫が教団内の研究・史料整理に大きな役割を果たした。フェオドシイ府主教の永眠の後、2000年5月、モ
スクワ総主教アレクシイ2世が来日。モスクワ総主教の訪日は歴史上初めてのものである(逆に言えばロシア正教会は日本正教会の母教会であ
るにもかかわらず、歴史上一度もモスクワ総主教の来日がそれまで無かった事を意味し、亜使徒ニコライ時代から日本正教会が日本人主体で運
営されてきた事がここにも示されている)。アレクシイ2世は、函館・東京・京都を訪れている。アレクシイ2世は京都では京都正教会のほか、
二条城も訪れた。東京では今上天皇と会談。東京復活大聖堂(ニコライ堂)ではアレクシイ2世司祷のもと、ダニイル主代郁夫の府主教選立式
及び首座主教着座式が挙行された。着座式にはアレクシイ2世総主教とダニイル主代府主教のほかに、ロシア正教会の主教2人、アメリカ正教
会の主教2人、日本正教会の主教1人(仙台の主教セラフィム辻永)も参加した。東
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