[過去ログ] 【畿内】大阪と仙台、どっちが都会?【陸奥】 (68レス)
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53: 2014/05/05(月)16:13 ID:v/mrDask(1) AAS
昭和14年7月、満州ノモンハンでの日ソ激突が重大危機に、逆上した関東軍が、北満国境駐屯地の仙台・大阪両師団に応急動員をかけ出動させたとき、
仙台二師団は勇躍出発し、ハイラルより徒歩四日間で現地到着、先遣隊の新発田(しばた)十六連隊などは、直ちに戦闘に加入、勇戦奮闘したのに、
「大阪四師団」は出動を命じられるや、急病人激増、何とかして残留部隊に残ろうと将兵が右往左往、怒った連隊長が医務室に出向き、自ら軍医の診断に立ち会うしまつだった。
やっと出動部隊を編成したものの、ハイラルから現地までの行軍では、他の二師団は四日間で強行進軍したのに、大阪師団は一週間、しかも落伍兵続出、やっと到着したら日ソ停戦協定成立。
とたんに元気が出た浪速っ子の面々、「口々に戦闘に間に合わなかったことを残念」がり、落伍した将兵は急にシャンとなって続々原隊復帰。
帰りの軍用列車ではいちばん威勢が良かったという、おとぼけ師団だった。
その後、中支に派遣され、武漢に司令部を置く精鋭十一軍の指揮下に入ったが、ここでもオトボケぶりを発揮して、
前線に出すと相手の中国軍が“大阪の兵隊日本一弱いあるよ”とばかり必勝の信念で逆襲、突撃してきて「逃げ出すのは大阪連隊」と相場が決まり、
ついに甲装備の野戦編成でありながら、最前線は名古屋3D,仙台13Dの強豪師団に万事お任せして、大阪4Dはもっぱら後方の警備を担当してお茶を濁した。
さて、昭和16年太平洋戦争が開始されるや、使い場がなく、結局大本営直轄の南方軍予備という名目で、上海付近でブラブラしながら待機、
17年4月フィリピン戦線で上陸以来苦戦する京都16D、福山65BSを助けるため、広島5D,久留米18D,金沢21Dの精鋭師団の選抜歩兵連隊と共に増加派兵が下命されると、
「今度こそ一巻の終わり」と、青菜に塩の部隊は力なくしょぼくれて、上海からフィリピン戦線に向かったが、このときのバターン第二次攻撃には、日本軍は強力なる砲兵団、航空部隊を準備、
本格的な立体攻撃を実施したため、大阪師団は軍主力の一翼となり、ビクビクしながら進むうち、米比軍が勝手に白旗をかかげて降伏してくれ、またも停戦成立。
初めての勝ち戦に有頂天になったオトボケ師団の将校は、まるで自分たちだけでバターンを占領したような大ホラを吹きまくり、郷里の大阪では号外が出る騒ぎになった。
大本営でもこの大阪第四師団の戦力と使い方にはよほど困ったと見え、その後あれほど南方各地で陸軍が苦戦しても、この師団はついに激戦地に使用されず、もっぱら後方基地で待機。
終戦は、タイ国バンコック付近で休養中に迎え、復員が開始されるや全員血色の良いはちきれそうな元気さで帰国、出迎えた、やせ衰えた内地の人々を驚かしたという。
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