[過去ログ] 初期大和王権スレ [無断転載禁止]©2ch.net (258レス)
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93: 2018/02/17(土)20:16 AAS
キナイコシ 万歳 マンセー
94
(2): 2018/03/22(木)01:10 AAS
AA省
95: 2018/03/22(木)04:36 AAS
こじつけ
96
(1): 2018/05/24(木)00:11 AAS
>>81
珍説ヤマトタケル発見
『ヤマトタケるに秘められた古代史』 崎元正教 著 けやき出版  372p 2005/09
外部リンク:www.kinokuniya.co.jp
97: 2018/07/12(木)15:23 AAS
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

OE9
98: 2018/08/21(火)10:41 AAS
【偽装された、ルーツ】 皇室はへブル語を公用し、公文で?北イスラエル″を公言してる、嘘つきは廃止
2chスレ:liveplus

日本人がユダヤ人なわけない、嘘つきの天皇は廃止しろ!
99
(2): 2018/09/01(土)20:29 AAS
>>63
東大史料編纂所所蔵『津軽旧時記』には、以下記事がある。
  ”景行帝四十年、日本武尊、東夷ヲ武蔵ノ国ニ於イテ
   破ルト云々。蝦夷、恐レヲナシテ降伏ス・・・・・・・・”
現在の東京官庁街の地名「霞ヶ関」は、この戦いの折に蝦夷が
設けた関に由来するとも。
100: 2018/09/04(火)06:48 AAS
>>94
崇神。こと、(物部)イニエ王は九州宮崎(都万国)で大和攻めの準備中に亡くなられました。
大和地方には来ていません。
実際に大和入りをして同族の先行王朝(磯城王朝)を滅ぼし新主となったのは、イニエ王と阿多津姫(コノハナサクヤ媛)の長男のイクメ大王(垂仁)で、キキ神話に言う実際の神武天皇はこの方です。
101
(1): 2018/09/04(火)07:37 AAS
>>99
嘘乙
だいたい津軽旧時記なんてないだろ
しかも東大史料編纂所所蔵なんてよく大嘘を書けるな
102
(1): 2018/09/04(火)08:41 AAS
>>92
ホアカリ=ニギハヤヒ=ニニギ。

系譜上に記載の初代、神武天皇は、ホアカリの長男、五十猛/カゴヤマの御子(ホアカリ(天神)の御孫=天孫))の天村雲命/建位起命。

途中、ニギハヤヒが降臨云々は、九州物部王国の一派が先行して大和に侵攻。
時の大王のいわゆる孝霊天皇らを排除して大和に新時代をもたらした話。
その際、大和側の軍を率いて物部勢力に立ち向かったのが、王族の大彦=富の長脛彦。
形勢利非ず、大彦(長脛彦)さまらは北に退却。更に追撃を受けて東に、、、結局、大彦さまの(子孫ら)勢力は東北地方に至り、津軽を都にしたらしい(「日ノ本国中央」はそういった意味)
物部勢ら新体制側は彼らを蝦夷(エミシ。(カイ(漢文)。エゾ))と言って蔑んだという。
、、後々の、阿弖流為らは大和の旧王朝勢力の末裔。と言って間違いないでしょう。三輪山の神(大物主/事代主。=旧出雲王国の副王、富王家の八重波津身命)を拝礼させた件も、彼らの祖先故です

大和の王朝(磯城王朝?)と侵攻して来た物部組?は次第に融和してまあまあ上手く折り合いを付けてきた三代、百年ほどを経た頃に、
省11
103: 2018/09/04(火)08:50 AAS
時代がめちゃくちゃ。
104: 2018/09/04(火)08:54 AAS
>>102
この後、連合軍を統帥したのが崇神こと、イニエ王と阿多津姫(コノハナサクヤ媛)の長男の物部イクメ王。

しかし、イニエ王と豊玉媛の遺児(御子)の豊彦(豊来(城)入彦)と姫御子の豊姫(いわゆる、トヨ。豊来(城)入姫/豊鋤入姫/稚日女命(稚日霎貴命)/宇佐女/ウズメ命)ら豊国勢力側は母親の豊国姫が魏帝国から拝受した諸々の権威や血筋を盾に、
我々こそが本流、本宗であるとの思いが強く、大和入りした後にそれが為にいさかい(内乱)になります
105: 2018/09/04(火)10:42 AAS
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
省11
106
(1): 2018/10/15(月)06:54 AAS
初期大和王朝の地の神社をちょっと巡って来た。

富田林の美具久留御魂神社。(出雲大神荒魂/中水分宮(ほか別称多数))

葛城の下鴨神社。こと、鴨都波神社(大和発祥の地)

高賀茂神社。(鴨都波神社を奉祭した登美家(出雲神族)にに少し遅れて登美家を頼り葛城に移住してきた出雲の神門臣家の分家、高賀茂(神(カモ))家の祀る所)

笛吹神社。こと、葛城坐火雷神社。(初期大和王朝の都した所?。中国からの渡来人ら(子孫)が故郷を偲び笛吹したという。)
省2
107: 2018/10/15(月)07:59 AAS
西日本の覇権の推移
倭奴国(博多)の覇権→倭国大乱→邪馬台国(筑後)の覇権→倭奴国残党の分裂

倭奴国残党の分裂
1博多に残って邪馬台国の支配下に=伊都国、奴国
2南九州(西都原)に移住=天孫降臨
3近畿(巻向)移住=神武東征

近畿移住組の立場
はじめは近畿の覇者ニギハヤヒ傘下の豪族→四国、出雲征服→近畿覇権奪取(崇神=ハツクニシラス)

九州の再征服
景行遠征→仲哀遠征→継体遠征(磐井の乱)→白村江で九州政権滅亡→九州全域が支配下に
省2
108: 2018/10/15(月)10:20 AAS
>>1
>このスレは初期大和王権発祥の地、纏向遺跡に関するスレです。

纏向遺跡は大和王権発祥の地ではない。
10代
崇神は纏向にいたのであろうが、
それ以前、とくに6代考安以前は葛城だ。

しかも神武から始まるのではなく、それ以前から葛城に王権は存在した。
それは神武の義理兄が鴨王(おおきみ)、
義理父が事代主神と書かれてる事でも分る。
また神武以前のシタテルヒメを祀る宮(長柄神社)にある名柄遺跡から、
省3
109: 2018/10/15(月)12:30 AAS
>>106
>葛城の下鴨神社。こと、鴨都波神社(大和発祥の地)

筑紫からの開拓者である三島溝杭耳(初代鴨王)の神社じゃないか。
博多湾沿岸の王であったイザナギのひ孫だぞ。
110
(1): 2018/10/15(月)12:39 AAS
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。

その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。
省6
111: 2019/03/24(日)17:48 AAS
>>96
その崎元正教氏の説は、ヤマトタケル=若き日の武内宿禰なんだね。
史書『紀』が景行天皇〜仁徳天皇朝に仕えた300歳近い長寿人物と
大真面目に記す武内宿禰を実在前提の論なんだが。
日本建国史 5.ヤマトタケるに秘められた古代史   崎元正教 
外部リンク:kenkokusi.web.fc2.com
112: 2019/06/29(土)21:29 AAS
>>99
日本武尊が東征した関東の地は、武蔵国でなく上総国・常陸国だろ?
海路を上総国一宮玉前神社の坐す地に上陸し上総国・常陸国に
盤踞していた蝦夷を征服した。
総の国回顧録  日本武尊の伝説 
外部リンク[html]:fusanokuni.web.fc2.com
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