[過去ログ] 邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1 (774レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
46: 2018/08/09(木)15:12 AAS
ここは沖縄ageが目的のスレなの?
47: 2018/08/09(木)15:16 AAS
べつにageではないだろ。会稽の東にあると明記されてるのに北九州だの奈良だの
言われてるのはあきらかにおかしーんじゃないかという在野のゴロツキどものため息の
ごみすて場所であって
48: 2018/08/09(木)15:20 AAS
>>45 現代の視点で過去を計るなばかたれ。古代にレタスやキャベツがあったのかよ。
49: 2018/08/09(木)17:36 AAS
白菜や大根ならあったかもね。
50
(2): 2018/08/09(木)17:42 AAS
でも、逆に言うと「所有無與儋耳朱崖同」と「計其道里當在會稽東冶之東」以外には
沖縄だっていう理由なくね?

陸行一月もきついし、七萬余戸も無理
51
(1): 2018/08/09(木)17:44 AAS
白菜は明治以降に日本に来てるので多分違う。なんらかの地場産の
野草は食用にしていたのは確実だけれども、なまで食べると言うのは
江戸時代ですら無かったのだから、漬物なり乾物なりとおもうんだがな。
52
(1): 2018/08/09(木)17:44 AAS
短里と長里がごちゃまぜになって帯方郡からの南行を過大評価したっぽいな。
やはり邪馬台国は九州で落ち着くだろう。
53: 2018/08/09(木)18:27 AAS
>>52
>短里と長里がごちゃまぜになって帯方郡からの南行を過大評価したっぽいな。

「當」在會稽東冶之東で、「まさに」と書いてあるから、倭国が
會稽東冶之東にあるという知識が、その道里を計る前から存在してるんだよ

で。距離を計算してみてもやっぱり(=まさに)會稽東冶之東だった、という認識
54: 2018/08/10(金)04:39 AAS
>>30
温暖だから冬も夏もと言う場合に、
冬も食べることは可能であるとの意味にはならない
冬も夏と同じように、同じレベルで食べられる、同じように収穫できるのだと述べている
江戸時代を見た外国人は、
例え冬に生野菜を食べてたとしても、
そのようにはまず書かない
冬に収穫される野菜が限定されてるのだから、それはあくまで稀な事例、
例外的な事実でしかなく無視されるべきことだ
55: 2018/08/10(金)08:18 AAS
また勝手ルールかよ
56: 2018/08/10(金)09:26 AAS
沖縄説もあってもいいけれど、
さっきからだんだん、無理筋のトンデモに向かってるぞ
57
(2): 2018/08/10(金)10:24 AAS
>>50
女王國東 渡海千餘里 復有國皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
58: 2018/08/10(金)10:41 AAS
黒潮に乗れば東に室戸岬なり房総なり本州のどこかにたどり着く
四国や武蔵野平野はまだ閑散としてたろうそれも倭種だ
南方に出れば伊豆諸島、小笠原諸島がある
そのはるか南方にも有人島があるとの知見は、
漁中島民の漂流体験から不確かな情報として共有されてたはずだ
なにしろ縄文人ですら太平洋をまたいだ推論すらあるのだから
こうした推測は史書の記述の説明になる
だが九州や大和では無理である
なぜ帯方郡から対馬を経ての頭からの行程を事細かに検証しながら、
尻の部分の記述は一切が無視されてしまってるのだろうか?
省6
59
(2): 2018/08/10(金)10:44 AAS
>>57
まさか、侏儒國、裸國、黒齒國が、実在の国だとか思ってないだろうな?
山海経や、淮南子に載ってる、伝説の国だぞ?
60: 2018/08/10(金)10:52 AAS
>>51
豆とかじゃね?
トマトやきゅうり的なものが当時に別種であるならそれなんだろうが
61
(1): 2018/08/10(金)10:56 AAS
>>59
伝説だろうが何だろうが、
邪馬台国の東方、さらに東南海の地理的認識が示されてる
すなわち邪馬台国は絶海中にある島嶼国で、はるか遠くにまだいくつもの島国があると
その島々を何に紐付けるかで不確かな記述が紛れ込むこともあろう
62
(1): 2018/08/10(金)11:14 AAS
史書が違えば倭国もまた不確かな伝聞から想像された「伝説の国」にすぎない

2chスレ:history
外部リンク[htm]:www.geocities.jp
「女人国」はもともとチュウゴクの記録に現れてくる国ですが、この女人国には二つあります。?東女国と?西女国
と区別されます。まずは、?の東海海中にある女人国(これが女護が島伝説の元となった)からその記録をひも
ときますと、最初の記録とされますのが、後漢書・東夷伝中の
(北沃沮(朝鮮半島北方あたりを指すようである)の)海中有女国、無男人。或伝其国有神井?之輙生子云。
海中に女国あり、男人なし。あるいは伝えて、その国に神井あり、これを?(うかが)うにすなわち子を生じると云う。
その先の海の中に「女国」がある。ここには男のニンゲンはいません。ある伝説に、その国には神聖なる井戸があり、
この井戸を覗き込むと、女たちはこれに感じてコドモを身ごもるのである、という。
省13
63
(1): 2018/08/10(金)11:47 AAS
>>61
>東南海の地理的認識

>>61自身が書いているように、大陸中華の地理的「認識」が書かれているだけなんだよ
現実の地理と一致している訳でもない
64
(1): 2018/08/10(金)14:12 AAS
2chスレ:history

森は九州から畿内への邪馬台国東遷論だが、
魏志倭人伝の執筆者は、邪馬台国には実際には来ていない、
来たのはせいぜい伊都国あたり、北部九州までで、
後の記録は各種記録を元にした事務的な記述にすぎないとしている。

倭人伝を読みなおす (ちくま新書) [新書]
森 浩一 (著)  出版社: 筑摩書房 (2010/8/6)
外部リンク:www.amazon.co.jp
65
(1): 64 2018/08/10(金)14:12 AAS
>>62
外部リンク[html]:jump.5ch.net
 その方が目をつけられたのは、同じ東夷伝中の、東沃沮(よくそ)末尾にある記事なのです。
 「王[斤頁](おうき 魏人)、別に遣わして宮(きゆう 人名。高句麗王)を追討し、其の東界を尽す。
其の耆老(きろう)に問う。『海東に復(また)人有りや不(いな)や』と。
 (一)耆老(きろう)言う。『国人嘗(かつ)て船乗りて魚を捕う。風に遭い、吹かるること数十日。東に一島を得(う)。
上に人有り。言語、相暁(あいさと)らず。其の俗、常に七月を以て童女取りて海に沈む』と。
 (二)又言う。『一国有り。亦海中に在り。純(ただ)女にして男無し』
 (三)又説くに『一布衣を得(う)。海中より浮び出で、其の身、中国人の衣の如し。其の両袖(そで)、長さ三丈』と。
 (四)又『一破船を得。波に随いて出(い)でて海岸の辺に在り。一人有り。項(うなじ)中、復(また)、面有り。
省11
1-
あと 709 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.405s*