[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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322: 2021/02/06(土)23:22 AAS
AA省
323
(2): 2021/02/10(水)23:24 AAS
>>112
過去スレで検討しましたが、
考古学的な出土分布から、古代の主要地名をプロットし直すと、
古代の高志=越とは、北部九州から見て、海を越えた本州。
山口県を中心とする、主に日本海沿岸地域、ということになります。

沼河ヒメの物語についてです。

文献からは、沼河ヒメを口説きに行ったのは、
大己貴命(奴国の坊ちゃん)→八千矛神(中広形銅矛)→大国主(奴国王)のうちの、
八千矛神(中広形銅矛)の時期です。

また、考古学的には、山口県からは、中広形銅矛がわずかに出土しています。
省2
324: 2021/02/10(水)23:25 AAS
これも過去スレで検討しましたが、
沼河ヒメの沼河とは、土井ヶ浜遺跡の辺りですね。
集落遺跡はまだ見つかっていないのですが、
大規模な弥生墓地が見つかっているのですから、
その関連集落が近くにあったと想定しても問題はないでしょう。

土井ヶ浜遺跡には、女性指導者=古代シャーマンがいた。
縄文末〜弥生早期の日本海沿岸覇者の八岐大蛇の首魁ですね。

対馬海峡を統一して、北部九州の玄界灘沿岸を統一した、
吉武高木大王の、王族東征将軍=宗像田熊石畑遺跡将軍、が、
八岐大蛇を倒して、支配下に置いた。
325: 2021/02/10(水)23:26 AAS
沼河ヒメは、女系は八岐大蛇の女王筋、
つまりは土井ヶ浜遺跡の女性シャーマンの血統ですね。

男系は、素直に考えれば、田熊石畑遺跡将軍。

しかし、「奴」奈川姫、との記載もあることから、
ひょっとしたら、たまたま男系が奴族系統だった可能性があります。
あるいは、奴族の八千矛神と夫婦になったので、奴を入れた名前が残った可能性もあります。
DNA解析をすれば分かることですが。
326: 2021/02/10(水)23:26 AAS
沼河ヒメの物語が目立つのですが、
考古学的には、山口県からは中広形銅矛はわずかしか出ていない。
つまり、銅剣銅矛戦争において、沼河ヒメの勢力はさほど活躍したわけではないんですね。

なのにわざわざ沼河ヒメの物語が記載されている。
ご丁寧に口説き文句まで残されて。

これはつまり、逆で、沼河ヒメの産んだ息子、
タケミナカタならびにその子孫が、歴史上、重要な役を果たした、
からですね。
327
(1): 2021/02/10(水)23:27 AAS
【建沼河男命】
・頑固な長男、超真面目
・母親の集落を引き継ぎ、貝輪工房を真面目に運営し続けた人生
・国譲りの際に、とばっちりを受けて拷問・・・土井ヶ浜遺跡の英雄

【建御名方神】
・放蕩な次男、女好き
・奴国王の水軍を任せられ、瀬戸内海を東へ西へ、津々浦々に女が
・国譲りの際にも大暴れ

アリとキリギリスですね。
ただ、この兄弟は、アリがとばっちりを受けて、
省1
328: 2021/02/10(水)23:29 AAS
タケミナカタについて考察すると、
沼河ヒメと八千矛神の息子として生まれます。

放蕩で女好きのタケミナカタは、
八千矛神→大国主と気が合い、
大勢いる息子たちの中でも最も可愛がられます。

水軍を率いて、雀居遺跡⇔下関⇔瀬戸内海⇔淡路島五斗長垣内遺跡を、
颯爽と巡視して回ります。
下関の〇吉神社に残っているのはその頃の名残りですね。

奴国王が後漢と交渉した際は、
金印授与前に倭国視察に来た楽浪郡使を、
省10
329
(1): 2021/02/10(水)23:30 AAS
奴国王失脚の際については過去スレで検討しましたね。

タケミナカタ本人は東へ、
その息子の一人が金印を持って西へ。
その名残りが諏訪神社の配置に残っています。

奴族のこの手法は200年後にも使われていますね。
クマソタケルがヤマトタケルに敗戦した際。
クマソタケル本人は西へ。
その手の者は鉄鏡を持って東へ。

鉄鏡は日田に持ち込まれましたが、
さらに念を入れて、
省7
330
(1): 2021/02/11(木)08:20 AAS
地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南

そして民俗学や系譜学に基づいた研究では、山祇族に手を貸したのが天孫族→(天皇家、物部氏など)[※天孫族の北進に手を貸したのが山祇族かもしれない]で、
筑前平野奪還のために共闘(仮に天山連合とする)
省6
331
(1): 2021/02/13(土)19:24 AAS
>>330
何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw
332
(1): 2021/02/14(日)01:02 AAS
>>331
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
省8
333: 2021/02/15(月)00:58 AAS
>>332

何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw
334
(1): 2021/02/15(月)03:13 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
省8
335
(1): 2021/02/19(金)00:22 AAS
>>334

何一つソースが無いw
妄想を並べることしかできなくなったキナイコシw
336: 2021/02/19(金)01:16 AAS
>>323
沼河ヒメと八千矛神が結ばれた一節を受けた、
その次の何気ない一節も、非常に多くの情報を含んでいますね。

須勢理ヒメが嫉妬します。
大国主は、「出雲から倭國に上ろう」として、
片手は馬の鞍に、片足は鐙に踏み入れながら、
須勢理ヒメのご機嫌を取る歌を詠みます。
須勢理ヒメを若草に例えていますね。

須勢理ヒメの返歌も、
自らを若草に例え、淡雪の若い胸を、など例の艶めかしい表現を使っています。
省4
337: 2021/02/19(金)01:57 AAS
全て、伊都説ならば、の仮定の話ですが、
一つには、出雲から倭国へ行くのに、馬で移動しています。

魏志によると倭国に馬はいませんが、
海を隔てた朝鮮半島には馬がいる、と書かれているわけですから、
倭国に馬は常在していない、ということであって、
交易などで不定期に馬を入手してはいたわけですね。
奈良時代の貴族が庭で孔雀を飼っていたのよりは楽に入手できた筈です。

鐙は、
移動時の両鐙だと世界史的にもまだ登場したかどうか微妙ですが、
馬に乗りこむ時の片鐙なら存在しうるかと思われます。
省9
338: 2021/02/19(金)01:58 AAS
一つに、
古代出雲は、倭国とは別国家だった、ということもわかります。
邪馬台国九州説者にあっても多くが、宗像周辺が邪馬台国ではないのでは、と指摘していますし、
考古学的にも、石器など、流通する物品に、独自のものが見られます。

文献では、過去スレで触れましたが、
後の豊玉ヒメも、山幸彦を見て、「自分たちの王」よりも尊いと言っており、
少なくともその時代まで、
倭国と、いわゆる豊国は、別国家だった。
しかしながら、東征将軍スサノオの基地を受け入れた豊国は、
倭国に従属する立場だった、
省1
339
(1): 2021/02/19(金)01:59 AAS
一つに、
弥生時代に、
古代出雲=宗像周辺から、倭国=伊都を首都とする北部九州国家へ、
馬で移動する、
というのは距離としても妥当ですね。

同じ陸路を、イザナギも辿っていますね。
>>112
古代出雲の東端から、奴国の板付遺跡まで、ということになります。
手漕ぎ船が時速5〜9km
走れば時速10km以上
省12
340: 2021/02/19(金)02:00 AAS
一つに、
大国主が須勢理ヒメを若草に例え、
女性の須勢理ヒメ自身も自分を若草そして淡雪の若い胸と表現していることから、
須勢理ヒメはまだ若い。
弥生時代であれば、20代前半はまず超えないであろう、ということになります。
341
(2): 2021/02/19(金)02:03 AAS
奴国の御曹司の末弟が、
保護された先の、宗像の伊都国王族東征将軍の娘と懇ろになって、
伊都国王族東征将軍の軍を使って、奴国を制圧した。
奴国を制圧したので、中広形銅矛を生産できるようになり、
中広形銅矛将軍として、銅剣銅矛戦争を戦った。
その末期に、土井ヶ浜遺跡の女性指導者を口説いた。
戦争が集結して、荒神谷遺跡で降伏調印式をして、奴国王になった。
その頃に、伊都国王族東征将軍の娘が、まだ20代前半かそれより若い。

伊都国王族東征将軍の娘が10代後半よりは年上の時期に出会って、
銅剣銅矛戦争が終了した時に、まだ20代前半かそれより若い。
省4
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