[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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342: 2021/02/19(金)06:54 AAS
☓サルマトイ
〇サルマタイ
343
(1): 2021/02/20(土)01:05 AAS
>>335
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

地質学的に判明してるのは、ASO4の火砕流や火山灰で甚大な被害を受けなかった九州島の平地は筑前平野くらいで、
縄文人が生き延びられたのもこの地域くらいだってこと

現在の2/3しかなかった筑前平野で発達したのは自ずと彼ら縄文人で、のちの山祇族→(中臣氏、大伴氏、水間君など)

敵対する部族も勢力もない土地でどんぐり拾ったり陸稲しながら狩猟生活でノホホンと暮らしてた彼らの土地に乗り込んできたのが百越で、
のちの海神族→海人族(阿曇氏、三輪氏など)

青銅器と水稲技術を持った半漁半農の海神族たちに筑前平野を追いやられた先は9万年かけて豊かな緑を取り戻した筑後川以南
省8
344: 2021/02/20(土)01:06 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

郷土愛に狂う糸島朝鮮人を筆頭に、思考を停止させた古田信者や在日朝鮮人の如きキナイコシがいくら声高に駄々をこねようとも、伊都国は女王国に従属する一介の諸国であり、女王国には成り得ないのは明白。
一大率は伊都国に「治」を常設し、女王国の北限で監視する女王国の監察官であることに疑念の余地はない。無論だが、女王国は「九州」である。

【根拠】
伊都国についての原文:
「官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
伊都国についての書き下し文:
”(長)官は爾支、副(官)は泄謨觚、柄渠觚。千余戸有り。世王有り。みな女王國に統属す。郡使往来し常に駐する所。”
伊都国についての現代文:
長官は爾支、副官は泄謨觚と柄渠觚である。(人口は)千余戸ある。代々の王がいる。(これらは)みな女王国に従属している。(帯方)郡の使者が往来し、常に足を止める所である。
省12
345
(1): 2021/02/20(土)01:06 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

歴史の真実は一つだけ!
日本史板に糸島朝鮮人の妄想は不要です!

現在の糸島市という広大な土地ををそっくりそのまま伊都国だと思い込むから早良区も伊都国ニダ!志賀島も伊都国ニダ!徳蔵谷遺跡から出土した石鋸も伊都国ニダ!などと色々と妄想が弾むのだろう。
少なくとも同地は明治初年まで怡土郡と志摩郡と明確に分かれており、雷山系の東側は早良郡、唐津湾から西は肥前松浦郡、なんとか取り込もうと躍起になっている志賀島は少なくとも8世紀から江戸時代までは糟屋郡、金印発見の口上書では那珂郡となっている。
何の理由もなく伊都国だった地域が松浦郡(末廬国)に取り込まれたり、志摩半島だけ独立した郡に切り分けられたりするはずもなく、稜線で生活空間の隔たりのある早良郡、沖という生活空間の隔たりのある志賀島が伊都国だったなど世迷い言でしかない。

常識的に考えれば怡土郡の平地30平方キロメートル程度が伊都国比定地となり、やはり魏略より魏志の記述通り1,000戸程度。

外部リンク:i.imgur.com
346: 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

〜糸島朝鮮人特有の三種の珍技〜

∧,_∧
< `∀´>
記憶喪失
(論破されても半日で忘れる)

∧_,,∧             
<♯`Д´>
文盲病
(前後の文脈や論の大局を読めない)
省5
347
(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

イソタケラなんて江戸時代以前には遡れない呼称
ウガヤフキアエズと同一視したいがための捏造

外部リンク:ja.wikipedia.org
江戸時代より以前の史料にはない呼称。 
> 筑前国続風土記の編纂作業に加わった貝原好古が波瀲武(ナギサタケ)??草葺不合(ウガヤフキアエズ)から着想を得て命名し、
> 多くの神社史に採用されたとする説が有力である。

糸島朝鮮人は霹靂神社を根拠にしようと画策しているが、貝原好古の業績であることは明白である。

外部リンク:i.imgur.com
348
(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
AA省
349
(1): 2021/02/20(土)01:07 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

朝鮮起源説に結びつけようと画策する糸島朝鮮人の妄想やこじつけを取り除けば五十猛命はイタケルが正式名称なのは明白

五十を「イソ」と読むのは島根くらいで、三重の五十鈴川や五十鈴は「イ」スズ、糸島朝鮮人が愛してやまない福岡の五十迹手も「イ」トテ
五十嵐や五十畑、五十浦、五十海、五十原、五十子、五十谷、五十土、五十里、五十崎、五十沢、五十島は「イカ」だが、これは後述の五十日からの転用(誤読)だろう

五日=イツカ、十日=トオカ、二十日=ハツカ、三十日=ミソカ、四十日=ヨソカ、五十日=イカ、八十日=ヤソカ、百日=モモカが正式な大和読みである
正式な大和読みで30日を「ミ」ソ+日「カ」、40日を「ヨ」ソ+日「カ」、80日を「ヤ」ソ+日「カ」と読むにも関わらず、50日はソと読ませず「イ」+日「カ」としている点が重要
大和読みで五十は「イソ」とは読めず、「イ」と読むのが唯一正しいというのは火を見るより明らか。

にもかかわらず糸島朝鮮人は必死に曽根崎神社や霹靂神社神社の社伝を声闘し続けて誤魔化そうと画策しているが、
五十猛命の読み方に触れている唯一の神社である伊太祁曽神社は『書物によっては 「イソタケルノミコト」 と表記されているものがありますがこれは誤りです。』と明言している
省5
350
(1): 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

名島神社や志賀海神社、風浪宮など代々の神職に阿曇氏が名を連ねる神社に残された社伝や神楽歌によれば奴国王は志賀島という聖地に渡って祭祀を行っていたことが分かる
となれば奴国王は志賀島ではないどこかに居を構えていたことになるのだが、そういった伝承が唯一残っているのは名島神社
先代の宮司であった阿曇氏は名島こそが龍宮で奴国王安曇の宮だったと伝えている
阿曇氏いわく名島のナは浦と同義で壱岐対馬では今でも浦をナと読む習慣がある(ex.辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)
つまりナ島は阿曇読みで大和読みではウラ島となり、龍宮伝説発祥の地だとしている
一方で風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主=奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だとしている
351
(1): 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、民俗学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww

糸島朝鮮人(別名:糸チョン・伊都クズなど多岐に渡る)は声闘(ソント)という朝鮮に古くから伝わる伝統芸を得意としている。

声闘を平たく説明するなら、声の大きさで相手の言論を封じること。 このスレで言えば>>◯のような連投が糸島朝鮮式声闘。

議論が発生したときに論点や内容とは関係なく、ただ妄想長文やこじつけファンタジーをダラダラと居丈高に書き殴り
相手が呆れて相手をしなくなったら勝ちという思考形態を採っており、そこには道理も真実もない。

古来朝鮮において、法律は意味がなかったことから生まれたかと思われる。 現代でも法が機能していないのが韓国、北朝鮮である。
省4
352: 2021/02/20(土)01:08 AAS
AA省
353: 2021/02/20(土)01:08 AAS
糸島朝鮮人の妄想は考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されてるんだから死ねってwww
古代史関連スレの四大迷惑チョンの泡チョン、糸チョン、キナチョン、在日ヒトモドキ

"ア"が付いたら何でも強引に阿波に引き込む泡チョンは巣に帰れ
「邪馬臺国」は阿波(笑)だった Part.8(笑)
2chスレ:history

"イ"が付いたら何でも強引に伊都にこじつける糸チョンも巣に帰れ
伊都は邪馬台国で海人族の首都ニダァァァ
2chスレ:sf

何もなくても邪馬台国関連は畿内に巻き込むキナチョンは首を吊れ

中国共産党に狙われてるとかいう被害妄想で戦い続けてる在日ヒトモドキはドブ川に身投げしろ
省10
354: 2021/02/20(土)01:09 AAS
結局、今日もすでに考古学的にも文献学的にも、地質学的にも完全論破されて破綻しているトンスル民族願望を
しつこく声高に叫ぶ声闘コピペに終止するしか能のない糸島朝鮮人はいい加減首を連れってwww
355
(1): 2021/02/20(土)22:58 AAS
>>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の(北部)九州否定説★★★

邪馬台国 論争の背景
外部リンク[html]:www.yoshinogari.jp

伊都国(福岡県糸島市)

百里

奴国(福岡県博多湾付近)

省17
356: 2021/02/21(日)03:27 AAS
AA省
357
(1): 2021/02/21(日)16:11 AAS
>>327
建御名方神は旧八岐大蛇系の本州水軍、
建御雷神は旧八雷系の豊国水軍、
となりますが、
では建沼河男命はなぜ「建」がついているのでしょうか。

八千矛神が沼河ヒメを口説いたのは銅矛銅剣戦争末期であり、
建沼河男命は荒神谷遺跡とほぼ同時期に産まれたばかりです。
成人する頃には銅剣銅矛戦争はとっくに終わっていますね。
358
(4): 2021/02/21(日)16:12 AAS
これはつまり、対馬からの半島出兵に従軍した、ということですね。

秀吉と同じに考えたらわかりやすいですね。
国内の戦争が落ち着いてから、約10年後に半島出兵しましたね。

中広形銅矛は対馬にも集結しており、
伊都国を挟んで二方向作戦を行うのは無理がありますから、
兵站の構築・維持を考えると、
銅剣銅矛戦争が終了して戦後処理が終わってから、半島出兵したわけです。

目的はもちろん、鉄資源入手ルートの確保でしょう。

鉄資源:半島→対馬海峡→瀬戸内海→五斗長垣内遺跡
木材・炭:北部九州←瀬戸内高地性集落群→五斗長垣内遺跡
省3
359
(2): 2021/02/21(日)16:13 AAS
土井ヶ浜遺跡の副葬品からはとても将軍がいたとは思えず、
むしろ貝輪以外は至って質素ですから、
建沼河男命という人はたいした軍功をあげられずに帰国し、
あとは故郷で貝輪だけ作っていた、ということになります。

一方の建御名方神は、
カモ系の阿遅鉏高日子根を差し置いて下関に名を残し、
国譲りの時はワニ系の事代主と並ぶリーダーですから、
ここまでの水軍を任せられるということは、
半島出兵でもかなりの戦果をあげた、ということになりますね。

元々が山口県の周防(すわ)の神で、
省3
360: 2021/02/21(日)16:13 AAS
15歳で元服として、
兄弟のいずれもが戦役に参加しているわけですから、

時系列としては、
>>341
>奴国より東側の中広形銅矛、つまりは旧銅剣女王国の領域を征服した中広形銅矛とは、
>10年未満の期間に収まる、

荒神谷遺跡から10年後くらいに、対馬からの半島出兵が始まり、
荒神谷遺跡から15年後から数年間は確実に戦争していた、
ということになります。

対馬以北の中広形銅矛ですね。
361
(3): 2021/02/21(日)16:14 AAS
55-56年に後漢の楽浪郡使が倭地の里程測定。(北部九州〜下関〜淡路島)

57年に倭の奴国が朝貢。印綬。
『建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬』

58年に金印後漢使が来倭。
『漢委奴國王』
漢は奴国王に(倭地を?東夷を?)委ねる。
(後の難升米は皇帝崩御に巻き込まれて洛陽に1年余計に足止め)

59年頃から国譲りイベント開始。使者で+11年。
70年に奴国王失脚。
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