[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part696 (1002レス)
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972: 2021/03/25(木)09:38 AAS
邪馬台国畿内説は、
1000キロメートル程も離れた陸続きでもない地層を、幾つもの併行関係という物事で、年代を恣意的にずらしながら、細々と繋げることが、絶対年代を決定する証拠なのだ、という非学問的な嘘をつき、
さらには、一般の科学的学問の手法としては、完全に破綻してしまった要素還元主義に基づき、近畿第V様式土器の埋まっていた範囲が邪馬台国なのだ、とする、完全に非科学的な妄想なのだったな。
973: 2021/03/25(木)09:38 AAS
一部の、古ぼけた物事を好む学芸会の者達が、炭素についての物事を売り上げる者達に、騙され踊り、最後には、笑われ者になってしまい、
さらには、近畿第V様式土器という謎の物体を売り上げていた、大昔のほんの一部の要素でしかない者に、自称考古学者が、勝手に騙されてしまったのだったね。
974: 2021/03/25(木)09:39 AAS
>>961
>そこが問題なのかな?
伊都国王が任命した官なのか、卑弥呼が任命した官なのか?
倭人伝の魏使らの「官」記録の原則は、
「官や副」は、「王がいて存在するものだ」という原則があるようであり、
狗邪韓國と末盧國の官以下の不在は、
都市牛利や難升米らが「率善校尉」や「率善中郎將」という、
(王でもなく卑弥呼の支配下でもなく)「魏の臣下になっていた」ためと思われ、
邪馬壹國や奴國や投馬國は二万戸以上あるが、
卑弥呼が直接的な王であって、官副以下もいる体制であり、
省1
975: 2021/03/25(木)09:39 AAS
邪馬台国候補となる条件(仮)
・実際には完全に間違えだったことが判明した、「方形周溝墓があったのだ」という早とちりの誤認と同時に、「溝との切り合い関係があるから、観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代の物体なのだ。」と発表された「穴の跡」がある。
・ジグザグに掘り進められた深さ2mの溝がある土壇場の上で、卑弥呼は桃とカエルを食いながら木の面をつけて全裸で踊っていた。
・おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に立てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」の痕跡が発見された。
・時速6kmで通勤途中の女に抜かされながら、中国人が、難波から1月かけて辿り着く。
・カエルの骨が溶け、鉄が溶ける地域である
・魏志倭人伝時代が終わった後に吉備から西日本各地に伝来したが、庄内式と名付けられたので、「畿内から九州に伝来したという誤認をされている」土器が埋まっている。
・中国から飛んできた砂よりも軽い花粉が発見される。
・中国の骨董屋で売りに出された鏡と同じ4世紀の国産鏡が4世紀以降の古墳に埋まっている。
省14
976: 2021/03/25(木)09:40 AAS
「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に、畿内には、大和という地名が無かった」のならば、邪馬台国畿内説は完全に破綻し、
「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に、畿内には、大和という地名が有った」のならば、後漢書の作者が「魏志倭人伝に登場する邪馬壹國は、「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に畿内にあった大和」のことなのだ。」と誤認した可能性が高い。
そして、
「倭王済という謎の人物が、天皇でない」ならば、邪馬台国畿内説は完全に破綻し、
逆に「倭王済という謎の人物が、天皇である」ならば、後漢書の作者が「魏志倭人伝に登場する邪馬壹國は、「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に畿内にあった大和」のことなのだ。」と誤認した可能性が高まる。
977: 2021/03/25(木)09:40 AAS
「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に、畿内には、大和という地名が無かった」のならば、邪馬台国畿内説は完全に破綻し、
「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に、畿内には、大和という地名が有った」のならば、後漢書の作者が「魏志倭人伝に登場する邪馬壹國は、「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に畿内にあった大和」のことなのだ。」と誤認した可能性が高い。
そして、
「倭王済という謎の人物が、天皇でない」ならば、邪馬台国畿内説は完全に破綻し、
逆に「倭王済という謎の人物が、天皇である」ならば、後漢書の作者が「魏志倭人伝に登場する邪馬壹國は、「後漢書の作者が生存していた5世紀前半に畿内にあった大和」のことなのだ。」と誤認した可能性が高まる。
978: 2021/03/25(木)09:41 AAS
>>971
>割れているし、証拠も根拠もそれぞれ
じゃあ、比定地が間違ってんじゃないのかい? わははははは @阿波
979: 2021/03/25(木)09:41 AAS
>>964
>都は糸島で、結構広範囲な領土を持ってたと思う。
と思うだけで、その裏付けとする代表的集落遺跡は無いわけだな。 @阿波
980: 2021/03/25(木)09:46 AAS
>>970
吉野ヶ里なんかもイト国の範囲かも、、、
981(1): 2021/03/25(木)09:47 AAS
意見の発表では、ありません。
意見の発表の準備です。
庄内3式に、低い土壇場が、労役者のキャンプ地として、造営された。
庄内3式に、排水溝SD2001、マツリノアナ、ジグザグの溝。労役の生ゴミ捨て場と生活用水。
その後、マツリノアナ、ジグザグの溝は、役目を終え埋め立て。あるいは、自然に埋まる。
布留式に、マツリノアナの跡を削りとりながら、新型溝。
布留式に、さらに新型溝の東側に新型溝を削りとりながら新新型溝。
5世紀末以降に、各建物。
建物は、平屋で簡素。建物Dは、主柱に礎板。または、更に時代が新しければ、礎石建物。実物は、復元柱45本の北東の一部か。
柵列で囲う。横切る全ての溝の全ての両岸までで途切れる、敷地の境界を示すだけの簡素な作り。
省11
982: 2021/03/25(木)09:48 AAS
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体なのだろうか。
983: 2021/03/25(木)09:48 AAS
>>971
>割れているし、証拠も根拠もそれぞれ
byよ、伊都国を直方辺りに比定してはどうだい? @阿波
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
末盧国(福津市辺り・万津浦) : 「田熊石畑遺跡」・「今川遺跡」・「徳重高田遺跡」・「鐘崎上八遺跡」・「手光於緑遺跡」・「朝町町ノ坪遺跡」・「朝町竹重遺跡」・「新原・奴山古墳群」
伊都国(直方辺り) : 「感田上原遺跡」・「帯田遺跡」
984: 2021/03/25(木)09:48 AAS
>>902
つまりそれぞれ別々の一人一説
985: 2021/03/25(木)09:51 AAS
次回のスレッドが出現したので、紹介します。
邪馬台国畿内説 Part697
2chスレ:history
986: 2021/03/25(木)09:56 AAS
邪馬台国候補となる条件(仮)
・実際には完全に間違えだったことが判明した、「方形周溝墓があったのだ」という早とちりの誤認と同時に、「溝との切り合い関係があるから、観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代の物体なのだ。」と発表された「穴の跡」がある。
・ジグザグに掘り進められた深さ2mの溝がある土壇場の上で、卑弥呼は桃とカエルを食いながら木の面をつけて全裸で踊っていた。
・おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に立てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」の痕跡が発見された。
・時速6kmで通勤途中の女に抜かされながら、中国人が、難波から1月かけて辿り着く。
・カエルの骨が溶け、鉄が溶ける地域である
・魏志倭人伝時代が終わった後に吉備から西日本各地に伝来したが、庄内式と名付けられたので、「畿内から九州に伝来したという誤認をされている」土器が埋まっている。
・中国から飛んできた砂よりも軽い花粉が発見される。
・中国の骨董屋で売りに出された鏡と同じ4世紀の国産鏡が4世紀以降の古墳に埋まっている。
省14
987: 2021/03/25(木)09:57 AAS
「記紀」や「万葉集」は、阿波弁で書かれている可能性。 @阿波
「踵」を表す「キリブサ」は、「日本書紀」の「久比婢須」(クビヒスまたはクヒビス)に由来する言葉で、四国一帯に広がっています。
ここから「クビス」「キヒヒス」などの語形を経て「キビス」となりました。
近世に上方で使用された語で、現在も西日本の高齢者らが使っています。
井戸を「イズミ」と言うのは徳島と香川、愛媛の東予地方に集中します。
「出水」のことで、「日本書紀」や「宇津保物語」(平安時代中期)では、地中から湧き出てくる水、湧き出る場所を指しました。
「トエル」は県南や美馬市以東で「叫ぶ」「泣く」の意味で使われており、淡路島にも広がっています。
香川、岡山にもわずかながら分布があります。
よく似た意味の語として県西や県南には「ウドム」があり、中四国や九州でも使用されています。
「日本書紀」や「万葉集」の時代には鳥獣の鳴き声、波や地震の鳴動を「とよむ」と言いました。
省2
988: 1 ◆n7jxAxKCBhb6 2021/03/25(木)09:59 AAS
新スレ立てました。
2chスレ:history
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*本スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
本スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
989: 2021/03/25(木)10:00 AAS
「記紀」や「万葉集」は、阿波弁で書かれている可能性。 @阿波
「踵」を表す「キリブサ」は、「日本書紀」の「久比婢須」(クビヒスまたはクヒビス)に由来する言葉で、四国一帯に広がっています。
ここから「クビス」「キヒヒス」などの語形を経て「キビス」となりました。
近世に上方で使用された語で、現在も西日本の高齢者らが使っています。
井戸を「イズミ」と言うのは徳島と香川、愛媛の東予地方に集中します。
「出水」のことで、「日本書紀」や「宇津保物語」(平安時代中期)では、地中から湧き出てくる水、湧き出る場所を指しました。
「トエル」は県南や美馬市以東で「叫ぶ」「泣く」の意味で使われており、淡路島にも広がっています。
香川、岡山にもわずかながら分布があります。
よく似た意味の語として県西や県南には「ウドム」があり、中四国や九州でも使用されています。
「日本書紀」や「万葉集」の時代には鳥獣の鳴き声、波や地震の鳴動を「とよむ」と言いました。
省2
990: 2021/03/25(木)10:04 AAS
>>966
>質問は炭素年代、土器で回答してどうすんの?
質問は「どちらが古いのか?」だから
炭素年代で出した土器の先後でいいだろう
991: 2021/03/25(木)10:07 AAS
新スレ立てました。
2chスレ:history
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*本スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
本スレ終了以前の書き込みは荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
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