[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part716 (1002レス)
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88: 1 ◆n7jxAxKCBhb6 2021/08/16(月)18:56 AAS
◆FAQ 99
Q:ホケノ山古墳の年代は古木効果の影響を受けない小枝資料の炭素年代によるべきだ!
4世紀後半だ!
A:後代の混入物として除外する通説が正しい。
墓室内に落下していた丸底坩と加飾壺は、他古墳での類例を鑑み、墳頂に囲繞配列されていた祭祀用土器と見るのが妥当と思われる。明らかに混入物である小枝資料は天井崩落時のコンタミであろう。
ラジオカーボンによる暦年代の較正に当たっては古墳寒冷期に対応する炭素14濃度の乱高下を考慮する必要がある。3世紀末にかけて大幅な炭素14濃度の上昇が観察される。また4世紀後半にはラジオカーボンの崩壊速度に見合う濃度上昇があり、これが撹乱要因となって較正曲線によって絞り込める暦年代が拡散している。
Intcal20から見た炭素14濃度は西暦270年頃をボトムとして大きく上昇しており、布留1古相のyBP値が新相のそれより高く出る実態と合致している。また、同時代資料と見られる小枝の確率密度分布ピークが一方は4世紀中葉後半、他方が4世紀末から5世紀初頭の値を示すことも、気候変動による撹乱要因が深刻であることを読み取れる。逆に270年頃のピークは両資料とも適切に合致しており、より信頼度が高い。ここから、天井崩落の時期を布留0末から布留1初頭と推察する。
周濠底のS字甕Aの年代(庄内3)に属する多数の測定例と整合している。
画像リンク[png]:i.imgur.com
◆FAQ 100
省14
89(1): 1 ◆n7jxAxKCBhb6 2021/08/16(月)18:57 AAS
◆FAQ 101
Q:纒向の大型建物Dというのは東西二間しか見つかってないではないか!
四間x四間に復元して大型大型というのはインチキだ!
A:「本来の建物規模は調査の状況や建築学的な検討から東西も4間であったと」
と調査機関は公式発表している。
事実、東西6・2m、南北19・2mはアンバランスに長大である。一般に偶数柱間の総柱建物は居館の系譜と考えられており、このような形態は異例であろう。
建物Bと建物Cの間隔は建物Cの東西二間に等しく計画的に設計されている。
建物Dで発見された柱列西端から建物Bまでの間隔は建物Dの東西四間に等しい。
また建物Dと南柵列との間隔は建物Dの南北一間(束柱をカウントすれば南北二間)である。
全体が規則的・計画的な配置であることを考慮すれば、総柱建物が正方形を志向する傾向も鑑み、建物CとDの間隔も建物Dの東西二間に等しく復元することは合理的である。つまり建物Dを東西四間、南北四間とした復元は合理的かつ妥当である。
省6
90(4): 2021/08/16(月)18:57 AAS
以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*以下のような悪質な荒らし行為はご遠慮ください
また短里の長さが変わってるww
そんな伸び縮みするのは単位じゃないって前にも言われてただろ?w
で、お前は日本人なのか、違うのか?
yes, no で簡単に答えられるだろ?
朝鮮系の人は九州説にしかいないんだよww
チョンって書くときに悔しさで指が震えてるんじゃないか?
省5
91: 1 ◆n7jxAxKCBhb6 2021/08/16(月)18:57 AAS
以上テンプレ
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
注意*前スレが終了してから書き込んでください。
なお、書き込みは
邪馬台国畿内説に関係が有って
根拠のある内容をお願いします。
畿内説以外の独自説を単独で開陳することはご遠慮ください。
前スレ終了以前及び本スレ立て作業中の書き込みは
荒らし行為と看做させて頂きます。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
省1
92(1): 2021/08/16(月)18:57 AAS
>>87
貴方は、真実の意見を発表することに、久しぶりに、成功しましたね。
93: 2021/08/16(月)18:59 AAS
>>1
つまり、邪馬台国畿内説は、完全に破綻してしまったのだね。
94: 2021/08/16(月)19:00 AAS
頭の出来映えの悪い、朝鮮人のプロ固定が、またしても、完全に破綻した邪馬台国畿内説についての、ウンコのようなスレッドを、作成してしまった。
95: 2021/08/16(月)19:01 AAS
新型コロナウイルスに対するワクチンを、若者達も撃ち始めたのでは、ないのかな。
96: 2021/08/16(月)19:03 AAS
日本の若者達が、バスケットボールで、銀メダルというメダルを、獲得したな。
97: 2021/08/16(月)19:05 AAS
テストします。
98: 2021/08/16(月)21:06 AAS
>>986
>畝傍山は、天香久山、耳成山と並んで大和三山と呼ばれて万葉の歌に詠まれた地名
それらは、8世紀に倭国(阿波)から遷都した後に名付けられた「阿波」の山。
初代神武天皇陵=徳島市丈六町秋葉神社(畝傍山の北東)
畝傍山=徳島市南部(渋野町・勝浦町・丈六町・多家良町・八多町・飯谷町)一帯の山塊
耳成山=中津峰山 徳島市と勝浦町との境界地
天の香具山=日の峯山(籠山かごやま) 海が間近の小松島市
橿原の宮=徳島市丈六町辺り
こういう地理的事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
99: 2021/08/16(月)21:08 AAS
>>950
古墳時代の奈良畿内に王都集落遺跡がない。
よって、奈良畿内に大和朝廷に繋がる元となるものが存在しない。 @阿波
100: 2021/08/16(月)21:08 AAS
>>980
>橿原は日本書紀、古事記に登場する地名
その橿原が、奈良だとどこにも書かれていない。 橿原も後付け地名である。 @阿波
101: 2021/08/16(月)21:09 AAS
>>941
>点々と発掘が進むから最初はそれぞれに遺跡名がついていたのだけれど、それが「全部つながった1つの大きな遺跡」だと分かったから大騒ぎになったんだよ
それは纏向遺跡が幸いしただけのこと。
鮎喰川下流域だって、同じことだ。 纏向みたいに継続的に発掘されてないだけ。
ただし、桜井市纏向学センターによると、纏向遺跡には明確な住居跡がないらしいがな。 @阿波
102: 2021/08/16(月)21:12 AAS
>>891
>その後は、オオキミの代替わりごとにヤマトとカワチの各所を移動する
そのヤマトとカワチの各所を移動した王都集落遺跡はなんという遺跡なんだ?
纏向遺跡の、後継王都集落遺跡はなんという集落遺跡なんだ? @阿波
103: あぼーん [あぼーん] AAS
あぼーん
104: あぼーん [あぼーん] AAS
あぼーん
105: あぼーん [あぼーん] AAS
あぼーん
106: あぼーん [あぼーん] AAS
あぼーん
107: 2021/08/16(月)21:32 AAS
>>962
>投馬国(ダウマコク)は岡山にあった「たまのくに」・・・
「南≠東」などの史料事実や史料実態に拠ってバツね。
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