ヤマト王権なんだわ (940レス)
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511: 2024/05/19(日)13:32 AAS
邪馬台国、卑弥呼の時代は北九州にいた説が有力だけど、最近の研究では畿内説も浮上してるんだって。台与の時代は畿内へ遷都したってのが定説だけど、これも議論の余地があるみたい。
512: 2024/05/19(日)13:33 AAS
瀬戸内海って、実は世界でも屈指の難所だって知ってた? 狭い海峡がいくつもあって、潮流も複雑で、船の操縦がとんでもなく大変なんだって。そんな場所で邪馬台国が海上交易なんてできるわけないだろ?
513: 2024/05/19(日)13:34 AAS
ヤマト王権は卑弥呼から始まったわけではないよ。 確かに卑弥呼は邪馬台国の女王として有名だけど、ヤマト王権とは別の勢力なんだ。最新の研究では、ヤマト王権の形成は3世紀後半から4世紀にかけて、奈良盆地を中心とした地域で起こったと考えられているんだ。
514: 2024/05/19(日)13:35 AAS
中国の昔の文書では、ずっと福岡とか佐賀とか熊本あたりの地域のことを「倭国」って呼んでたんだって。でも、最近の研究によると、「倭国」は日本全体を指す名前だった可能性もあるみたい。その中で、福岡とか佐賀とか熊本あたりの地域は特に重要だったらしいよ。
515: 2024/05/19(日)17:07 AAS
Xの内容がww
外部リンク:ja.everybodywiki.com
516: 2024/05/19(日)17:23 AAS
九州から見ると先端地である朝鮮半島との交易が生命線
そこを出雲を初めとした本州からの資源力によって割り込まれると窮地になるのは自明
そうなりきる前に本州の出雲以外に勢力圏を築きたい流れがあったことは想定できる
517: 2024/05/19(日)17:30 AAS
対馬海峡を保有してて割り込まれることが100%ないことが自明だったので、

本州倭種なんてどーでも良かったからw

だから大量の生口を献上したのに

銅鏡一枚すら与えてないしwww
518: 2024/05/19(日)20:02 AAS
九州は倭奴。王権へ進化する前に部族社会のまま停滞。
畿内は野蛮人の旧習を捨て渡来人を通じて漢王朝の文化を吸収。邪馬臺国から耶麻台朝廷に進化。
519
(1): 2024/05/20(月)00:15 AAS
中国の支配から逃れるために北九州から畿内に移ったんだから遣隋使の時に対等感を出したり昔の邪馬台国と違う国のように言ったんだろう
520
(1): 2024/05/22(水)04:11 AAS
北九州から畿内への移転は、政治的・経済的な理由で起こった可能性がありますね。でも、遣隋使派遣の目的は中国からの支配逃亡だけだったとは考えにくいんです。当時の国際情勢や政治体制を考えると、隋との交流を通じて国際的な地位を高め、政治体制や文化を整備することが主要な目的だったと考えられます。例えば、遣隋使の副使である小野妹子は、隋の皇帝に仏教の経典を献上し、日本が仏教文化を受け入れる姿勢を示しました。これは、中国からの影響を受けながらも、独自性を保ちたいという日本の意志の表れと考えられます。
521
(1): 2024/05/22(水)17:21 AAS
>>476
なるほど、記紀が藤原氏のファミリーストーリーという見方ですね。確かに、藤原氏は古代日本における有力な氏族であり、記紀には藤原氏の活躍が大きく取り上げられています。

しかし、記紀は単なる藤原氏のファミリーストーリーと捉えるのは少し短絡的かもしれません。記紀は、日本の歴史や文化、神話などをまとめた書物であり、藤原氏だけでなく、様々な人々の物語が記されています。

また、記紀は天皇を中心に物語が展開されており、藤原氏はその臣下として描かれています。そのため、藤原氏の視点から書かれたというよりは、天皇を中心とした国家の歴史を記した書物という方が正確かもしれません。

もちろん、藤原氏にとって記紀は重要な意味を持つ書物であったことは間違いありません。記紀には、藤原氏の祖先である藤原鎌足の功績などが詳しく記されており、藤原氏の権威を高めるのに役立ったと考えられます。

このように、記紀は藤原氏にとって重要な書物であったことは事実ですが、単なるファミリーストーリーと捉えるのは適切とは言えないでしょう。記紀は、日本の歴史や文化、神話などを理解する上で重要な資料であり、様々な視点から読み解くことが重要です。
522
(1): 2024/06/06(木)19:31 AAS
>>519
AIのトンデモ文をまたAIに纏めさせたか。
トンデモ度が増幅しているな。
暇潰しの遊びとしてはアリかもしれないが。
523
(1): 2024/06/06(木)20:02 AAS
AA省
524: 2024/06/06(木)20:10 AAS
>>523
>不比等は記紀で

古事記ではなく、日本書紀でな。   @阿波
525
(1): 2024/06/06(木)20:19 AAS
稗田阿礼が藤原不比等説もある、稗田は中臣氏の故郷だったような
526: 2024/06/07(金)09:05 AAS
>>525
稗田阿礼は複数人の功績の簡略化説や擬人化説もあるな
527
(1): 2024/06/07(金)10:25 AAS
進化ストップした九州が朝鮮三国と渡り合ったヤマトなわけないw
528
(1): 2024/06/08(土)00:49 AAS
>>527
コピペとかAIに書かせた長文を貼る奴はただの荒らし
しかも私は自分で日本語文が書けませんという無能宣言にもなってる
529
(1): 2024/06/08(土)11:31 AAS
奈良県立橿原考古学研究所の青柳正規所長は、桜井茶臼山古墳の調査結果について、「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べています。

桜井茶臼山古墳からは、金製冠やガラス製装身具など、当時の権力の象徴となる副葬品が多数出土しています。これらの副葬品は、邪馬台国から出土したものと比べても遜色ない豪華さです。また、墳丘規模や被葬者施設の構造も、邪馬台国の古墳よりも格段に大きく、精巧な造りとなっています。さらに、周辺古墳との関連性や地域支配体制の考察からも、畿内に圧倒的な王権が存在したことが窺えます。

ただし、現時点ではまだ邪馬台国との関係性や、畿内王権の具体的な像について、完全には解明されていません。今後は、周辺古墳の更なる調査や、邪馬台国とされる地域との比較研究、古代文字資料の解読などを通して、より詳細な研究を進めていく必要があります。

桜井茶臼山古墳の調査は、邪馬台国論争に大きな影響を与える可能性を秘めており、今後の研究成果が注目されます。
530
(1): 2024/06/08(土)11:42 AAS
>>529
>桜井茶臼山古墳の調査は、邪馬台国論争に大きな影響を与える可能性を秘めており、今後の研究成果が注目されます。

「桜井茶臼山古墳」の水銀朱や勾玉、鉄器類などの副葬品、埋葬構造(葺石・石囲い石室)などから、
畿内へ進出した「倭人(阿波勢力)」のお墓だと一発で分かる。   @阿波
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