[過去ログ] 邪馬台国畿内説 Part972 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
117: 2023/12/14(木)13:18 AAS
筑前に伊都国・奴国・不弥国などの諸国
筑後に邪馬台国・投馬国などの諸国(博多湾側からは御笠川→宝満川→筑後川経由で南に水行)
これに末盧国や吉野ケ里(カンノサキ=華奴蘇奴国?ミネ=弥奴国?)など肥前東部と、日田・玖珠など豊後西部を合わせたあたりが女王卑弥呼の治めていた北部九州倭国だったと考えられる
これは言わば玄界灘文化圏と有明海・筑後川文化圏の連合体だ

その南の肥後北部に同じ倭人だが倭国に属さない狗奴国があった(「狗古智卑狗」や「卑弥弓呼」は倭国と同じ倭人の言語と見られる)
この狗奴国と邪馬台国が、鉄鏃が大量出土する菊池川流域あたりの国境地域で戦争した

さらにその南、熊本県南部、宮崎県南部、鹿児島県などに熊襲がいた
渡来系の影響が濃い倭人と縄文系の影響が濃い熊襲は言語や文化がだいぶ違っていたと思われるが、後にヤマト王権の支配下で同化していった
118
(1): 2023/12/14(木)13:21 AAS
距離を盛るのは良いんだよ。目的地はその途中=手前にあって必ず着くんだからw
でも(南→東)と方角を「箸墓=卑弥呼の冢」ありきで勝手に解釈を変えたりしちゃダメ(この時点でアウト!)でしょ(絶対着かないんだから、100%間違った場所に着くんだから)w
しかも、247年、卑弥呼の要請で実際に「女王之所都」まで行って、卑弥呼の冢を見ている張政や郡使も読んで、「女王国東渡海千里複国有皆倭種」も東、「其南有狗奴国不属女王」も東、でダブってるじゃないか!
アレ?おかしいぞっ!?てすぐ解るような文章書くかよ、岡上じゃあるまいしw
119: 2023/12/14(木)13:24 AAS
魏志倭人伝の行程記事

帯方郡から倭に至るには海岸沿いに南に東にと七千里進んで倭の北側の沿岸すなわち朝鮮半島南岸にある狗邪韓国に到着する
狗邪韓国は金海市・釜山市あたりにあった倭人のクニと考えられる(倭人のクニでなければ魏志倭人伝で国名を取り上げる理由がない)

ここから南に
→千里で対馬国
→千里で一大国(壱岐国)
→千里で末蘆国(肥前国松浦郡)
と進み、さらに
→東南に陸行五百里で伊都国(筑前国怡土郡)
→東南に百里で奴国(筑前国儺県=なのあがた)
省14
120: 2023/12/14(木)13:25 AAS
>>112
>畿内説の存在理由が無いからだろ馬鹿

無いという根拠は?
まったく理由の言えないことばかり言い張る九州説は妄想です
121
(1): 2023/12/14(木)13:25 AAS
日数が正しいという証拠もない
122
(2): 2023/12/14(木)13:25 AAS
(続き)
邪馬台国は伊都国や不弥国などの南にあり、肥後にあったと思われる狗奴国(クマ=隈・熊・球磨の地名、官の狗古智卑狗は菊池の旧名久々知の長で久々知彦)の北にあったので、筑後と推定される
帯方郡から伊都国まで一万五百里なので伊都国から邪馬台国は残り千五百里、魏志韓伝と倭人伝の一里は概ね75m(凡そ300km四方の三韓地域を方四千里と書くなど)なので、伊都国から南におおよそ100kmで邪馬台国に着くということになる
この方角と距離感も筑後で符号する
博多湾側から筑後邪馬台国までは御笠川→宝満川→筑後川で水行してから少し陸行したと考えるのが合理的だ

地名から考えれば、邪馬台国は筑後山門郡(プラス肥後菊池郡山門郷)と比定できる
邪馬台国を目指して筑後川を水行してくる途中には筑後上妻郡・下妻郡があり、これが投馬国と考えられる
邪馬台国と狗奴国の国境に近いであろう菊池川流域では鉄鏃が大量に出土しており、両国の間で激しい戦いがあったことを窺わせる

なお、倭人は里数を知らず日数で距離を測る(隋書倭国伝より)ことから、投馬国の水行二十日、邪馬台国の水行十日陸行一月は倭人からの伝聞と考えられる
倭人が安全保障上の理由で距離と戸数(五万戸、七万戸)を誇張したことは大いに考えられるので、水行十日陸行一月や戸数七万戸を額面通りに受け止めて大真面目に議論することは賢明ではないだろう
省1
123: 2023/12/14(木)13:27 AAS
>>113

遥か彼方の南(呉の背後=沖縄と台湾の間の海上)にあるように書かれている
のなら、行程記事では比定できない
124: 2023/12/14(木)13:30 AAS
>>113
>南水行十日陸行一月は嘘まぼろしということだから、邪馬台国(女王国)は筑紫平野で良いんだね

陳寿の書いた行程が信用できないなら
陳寿の書いた行程から邪馬台国の位置を割り出すのは矛盾した行為だから
行程から邪馬台国の位置を求めてる九州説は
おしまいだね
125: 2023/12/14(木)13:36 AAS
>>112
>邪馬台国と狗奴国の国境に近いであろう菊池川流域では鉄鏃が大量に出土しており、両国の間で激しい戦いがあったことを窺わせる

それ、証拠は?
126: 2023/12/14(木)13:37 AAS
>>118

ダブっていない
127: 2023/12/14(木)13:41 AAS
>>122

仮に肥後が狗奴国なら、
九州最大の外港都市博多を中心とした筑前と交流関係がない筑後も狗奴国側
128
(2): 2023/12/14(木)13:41 AAS
卑弥呼の魏帝への朝貢目的は、(蜀の牽制として西のインド・クシャーナ朝「親魏大月氏王」同様)呉の牽制として東の「親魏倭王」として、帯方郡が管理していた「伽耶の鉄」の倭国における輸入独占権(郡宛て鉄の発注書用の封泥金印「親魏倭王」)。
つまり狗奴国戦争における後方支援要請だったわけで、(其南有)狗奴国の位置が決まれば、自動的に北の邪馬台国の位置も決まることになる。
長年続く邪馬台国所在地論争の核心は、実は▶狗奴国の位置◀であることに留意されたい。
そこで九州説、畿内説の狗奴国を検討すると、以下のようになる。

−女王国 東渡「海A」千余里 「複有国B」皆倭種
〇九州説…「東渡海A」関門海峡「複有国B」本州、✕畿内説…「東渡海A」鈴鹿山脈「複有国B」北海道
−其南有狗奴国 不属女王
〇九州説…熊本もしくは薩摩、✕畿内説…仲良し東海+河内(大阪)彦←支離滅裂

畿内説はいずれも当てはまらない上、「女王国東渡海複有国皆倭種(→東)」と「其(女王国)南有狗奴国 不属女王(南↓)」が共に「→東」で重複する。
また、鉄製武器(軍事力)も文字も駅伝制(通信手段)もない3世紀の畿内にいて、遠隔の北部九州を安定支配するのは物理的に不可能(倭地に牛馬なし)。
省6
129: 2023/12/14(木)13:44 AAS
>>122
>魏志韓伝と倭人伝の一里は概ね75m(凡そ300km四方の三韓地域を方四千里と書くなど)なので

それ、証拠ないよね
130: 2023/12/14(木)13:56 AAS
>>128

卑弥呼は倭国乱後共立された女王で、死後も国中服さない状態になるので
「安定支配」というのがそもそも倭人伝と一致しない
131: 2023/12/14(木)13:57 AAS
>>115
>倭人伝には漢の時に朝見して来た倭人の事を書いているが、畿内は漢の時代に朝見していない倭種の国なのでアウトです。

これ、論理が狂ってるね
漢の時に朝見して来た倭人と邪馬台国が関係あるかどうか不明なんだから
132
(1): 2023/12/14(木)14:06 AAS
>>116
>末盧国〜不弥国〜投馬国までは本当だけど、それ以降の道程は陳寿の蛇足だから無視すべきところを、

それ、根拠なく倭人伝を書き換えちゃってるから
九州説としてアウト

>箸墓ありきで「南→東」と勝手に変えちゃった我田引水が畿内説ってことだぬ。

実際に箸墓あるんだけど
133: 2023/12/14(木)14:10 AAS
>>98
畿内説ではないが里数ある所から東へ千里となると壱岐、奴国、不彌国いづれから千里となる。
さてどこでしょうか?
壱岐からひいg
134: 2023/12/14(木)14:14 AAS
>>121
>日数が正しいという証拠もない

そうだよ
だから九州説はチェリーピッキングで信用を失った
そして破綻して消滅した
135: 2023/12/14(木)14:18 AAS
>>132
末盧国から伊都国も途中から北東にかえる一部の
九州説もいる。さらに千里を無視で短くする
壱岐からの方角の記載はない。食糧入手で南北のみの記述。
136
(3): 2023/12/14(木)14:34 AAS
魏志倭人伝の行程記事のベースとなる調査報告書を書いた帯方郡使はおそらく呼子・名護屋あたりで上陸したと思われる
ここから現代の地図で伊都国(三雲・井原遺跡あたり)を見るとほぼ真東に当たる
しかし実際に移動するときは東の唐津湾を南回りで進むので、しばらくは東南方向に進むことになる

調査報告書には上陸後東南方向に進んだことが書かれており、陳寿は魏志倭人伝でそこを抜き出したと考えられる
魏志倭人伝は総文字数約二千文字で簡潔に記述されており、伊都国までの道程だけをだらだらと長く書くはずもない

末蘆国の港で上陸してから東南へ陸行五百里で伊都国に着いたという趣旨の議事倭人伝の記述は、このように考えれば特に矛盾はないと考えられる
1-
あと 866 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.010s