[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬弐拾玖 (1002レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
170(1): 2024/01/29(月)08:28 AAS
>>169
>根拠は線で描かれた稚拙な絵
その絵を描いたのは、倭人(阿波勢力)だということを忘れてはいけない。 @阿波
171: 2024/01/29(月)18:41 AAS
「邸閣」ってのは単なる食料倉庫だから、高床建物があればそれでいいよ。
172(2): 2024/01/30(火)09:31 AAS
陳寿の記した主線行程始点の末盧国は、唐津インター出口の中原の津 →
→ 東南陸行500里の伊都国は、佐賀川上の太神宮跡 →、
→(東南奴国は、行き止まり傍線行程につき省略)。
→ 川上伊都国より東行100里の不彌国は吉野ヶ里一円、ここが主線行程終点。
この終点からは、東西南北の四至説明で、
→ 南至の投馬国は180?先の宮崎平野都万。
→ 同復南至の邪馬台国は、熊本平野の山嘉菊池、以上南至の2国を並列記述。
なお自郡至女王国1万2000余里から、不彌国(吉野ヶ里)までの1萬600里を差し引けば、
不彌国の南1400里(約110?)に、女王の宮殿があったと判明する。
驚くなかれ其処は、阿蘇高千穂・三田井の天照大御神と日向三代の宮!
173: 2024/01/30(火)09:46 AAS
>>172 続き
紀元前遥か、日向三代の子の神武はご東遷なされ、跡地は荒れ野となって野猪の棲みか。
そして紀元後、この地の土蜘蛛女族が田畑を開き、馬台を建て、魏郡と結び、親魏倭王の栄を得た・・。
174: 2024/01/30(火)10:27 AAS
>>172 続き補足
終点からは東西南北の四至説明に移り、
→ 南至の投馬国は、180?先の宮崎平野の都万、(自郡至)水行20日。
→ 復南至の邪馬台国は、熊本の山嘉菊池と阿蘇高千穂女王之所都、(自郡至)水行10日陸行1月。
175: 2024/01/30(火)16:45 AAS
12000里は露布の慣例で10倍されているだけだから実距離は1200里
陸行1月も里数に換算すれば1200里
水行10日も里数に換算すれば1200里
すべて帯方郡から女王国である奴国までの距離を言っている
176: 2024/01/30(火)18:41 AAS
令和の正解うれしいな
平原女王墓が卑弥呼
帯方郡から、水行二十日<到狗邪韓国>→水行十日→陸行一日<到伊都国>で、平原女王墓。
南の狗奴国は免田式土器領域
東の拘奴国は四隅突出型領域
2chスレ:archeology
177(1): 2024/02/03(土)08:47 AAS
高天が原は本来、天空の神々が住まう場所の事だが、
それを擬人化して人間世界に写したのが筑紫平野、神話は擬人化したものが多い
北極星は天御中主、太陽は天照、月は月読、オリオン座は三女神、流星はニギハヤヒとね。
178: 2024/02/03(土)10:22 AAS
>>177
それだ!
吉野ヶ里の石棺に刻まれていた星/星座。
古代人は、天文に長け、ロマンチストで、信仰心豊か。
179(1): 2024/02/03(土)10:30 AAS
重要なので何回も書きます
伊都国王が女王卑弥呼である事を踏まえて魏志倭人伝を読むと内容が矛盾無く理解出来ます。
「丗有王 皆統屬女王國」
「魏の時代に、伊都国には女王卑弥呼がいた、倭の国々は皆、女王国に従属していた。」
「自女王國以北 特置一大率檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
「女王卑弥呼は女王国より北には、特に一大率を置いて諸国を検察させていた。諸国はこれを恐れはばかっていた。女王卑弥呼は常に伊都国で一大率を使い諸国を治めていた。一大率は(魏)国中に於ける刺史のようであった。」
この様に伊都国王が女王卑弥呼である事を踏まえると、訳の内容が全く変わるのです。
180: 2024/02/03(土)11:52 AAS
ま〜たここでも悪ふざけか、トンデモ糸コケ
181: 2024/02/03(土)12:15 AAS
一大率は「一大國}=壱岐にせっちされたもの
182: 2024/02/03(土)19:40 AAS
>>179
読み違い。女王国は邪馬台国のこと。
「女王」とは「女王の影響力が及ぶ30国」のこと。
つまり、8国+22国=30国を記述したのち、
「此処(以上30国)で女王の境界が尽きる」、と言っている。
(補注:華奴蘇奴国は、華奴国と蘇奴国を合わせて書いたもの、これを2国と見る)
183: ネトウヨボクメツ隊! 2024/02/03(土)20:37 AAS
高天原の神々への信仰というのは邪馬台国つまりヤマト王権の公式なものであって、庶民階級の信仰は若干これとはー違っていたのではないかと思う
銅鐸の神は何か。オレは今でいうエビス神に関わりがあるかもしれないと推測する
エビスというのは異邦人の意味だ。
折口信夫が言うように異世界つまり海の向こうの常世の国から来訪してくる神だったのだろう
エビスは記紀に登場しない神だが、その信仰は根深く今でも続いている
客人の神こそが庶民にとって一番身近な神だった
恵比寿大黒つまりエビスとオオナムチの信仰が上古の基層的な信仰で、高天原の神々は銅鏡文化人の崇拝する高級すぎる神だったのだろう
省2
184: [age] 2024/02/04(日)02:04 AAS
事代主とか少彦名とか言われてるが?
185: ネトウヨボクメツ隊! 2024/02/04(日)10:35 AAS
西宮神社では恵比寿神は耳が遠いので壁をドンドン叩いて祈願するという不思議な習慣がある
恵比寿神は耳が遠いという伝説は古くから日本各地に伝わっており、西宮神社だけの話ではないようだ
神社というものがない時代、耳の遠い来訪神に祈願するためには壁がないのだから、楽器で音を鳴らさねばならなかったろう
銅鐸は耳の遠い来訪神に祈願するためのものでは無かったと思う
186: 2024/02/04(日)10:39 AAS
「率川阿波神社」の末社が、住吉神社と春日神社。
奈良市最古の恵比須社「率川阿波神社」が何故に「阿波國」から勧請されなければならなかったのか。
「事代主神」ならば、大阪市浪速区の「今宮戎神社」等が勧請元でなければならないのに、なぜか「阿波國」。
そして社殿前の立て札(御由緒)には「大物主大神の御子神」であると説明されている。
ならば「大物主大神」と「事代主神」は阿波にいたと言わざるを得ない。 @阿波
187: 2024/02/04(日)10:44 AAS
よし、令和の正解だ
平原女王墓が卑弥呼
帯方郡から、水行二十日<到狗邪韓国>→水行十日→陸行一日<到伊都国>で、平原女王墓。
南の狗奴国は免田式土器領域
東の拘奴国は四隅突出型領域
2chスレ:archeology
188: 2024/02/04(日)11:05 AAS
楽浪郡の公孫康が卑弥呼を共立し、帯方郡が引き継いだので
平原は公孫氏の支配下にはいった。
[魏志 韓伝]
後漢最後の献帝の建安年間(196〜219)、公孫康が楽浪郡の屯有県以南の荒地を分けて帯方郡と為した。
公孫模等を遣して、遺民を集めて兵を興し、韓や濊を伐ったので、元の楽浪郡民が少しずつ戻ってきた。
この後、倭と韓はついに帯方郡に属した。
189(1): 2024/02/04(日)11:17 AAS
鉄器王国「阿波」内で、鉄器を自前で自由に製作していた国々は、
紀元前108年頃には、前漢武帝に朝貢していたよ。 @阿波
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 813 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.011s