「邪馬臺国(ヤマトコク)」は阿波だった!? IIIβ (566レス)
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(1): 08/05(月)11:47 AAS
畿内説は、纏向の大型建物を卑弥呼の宮殿だと主張する。しかし、卑弥呼が共立してから大型建物の完成までには約30年の期間が必要だったと考えられる。このことから、その間の纏向は卑弥呼の都ではなかったことになる。では、その30年間、卑弥呼はどこで暮らしていたのだろうか。

生涯をかけた卑弥呼の居場所の探索を行った寺澤薫氏は、『卑弥呼とヤマト王権 (中公選書)』の中で、「卑弥呼が伊都国の王統に連なる女性だった可能性も排除できない」と述べている。そして、他の可能性については一切触れていない。これで答えが出た、と寺澤氏に感謝したい気持ちもあるが、卑弥呼が伊都国から纏向へ行ったという確固たる証拠は存在しない。卑弥呼は生涯、伊都にいたのではないだろうか。
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