5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (761レス)
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402: 04/29(月)03:54 AAS
ageる
403: 04/29(月)04:28 AAS
いち
404: 04/29(月)04:41 AAS
えー
405: 04/29(月)04:54 AAS
なみ
406: 04/29(月)05:42 AAS
あー
407: 04/29(月)06:58 AAS

408
(1): 04/29(月)07:07 AAS
ひー
409: 04/29(月)07:22 AAS
うん、なんだがや
410: 04/29(月)15:47 AAS

411: 04/29(月)17:05 AAS
えー
412
(1): 04/29(月)20:52 AAS
おくら
413: 04/30(火)16:44 AAS
なると
414
(1): 04/30(火)22:15 AAS
ハプログループO (Y染色体)「M175」。ハプログループNOの子型。
 ↓
ハプログループO1 (Y染色体)。 O2・O-M122 主に漢族型の兄弟。
「F265/M1354, CTS2866, F75/M1297, F429/M1415, F465/M1422」
 ↓
ハプログループO1b。 O1a・O-M119 台湾型と兄弟。
「M268, L463, F167/L690, P31」の変異で定義づけられる系統である。
 ↓ 発生時期、上限は33,181〜31,108(95% CI 22,844-34,893)年前分岐。
 ↓
ハプログループO1b2・O-M176 (P49)。 O1b1・O-F2320 長江型の兄弟。
省4
415: 05/01(水)00:04 AAS
かスクリプト対策
416: 05/01(水)03:43 AAS
dスクリプト対策
417: 05/01(水)18:20 AAS
柱ははしら
418: 05/01(水)23:53 AAS
>>414
が全て満たされる場所は長江周辺しかあり得ない
その中からDNA上3代目子孫がO1b2a1a (F1204,F3356,K10)が日本列島へ
当時、黄海、東シナ海、は陸地化してて湿地帯だったんだろう。
419: 05/06(月)01:46 AAS
魏志馬韓伝、にある国々で下の8か国はすでに卑弥呼時代(3世紀)には、
邪馬台国の軍事勢力圏に入ってたと考えられる。

これらは邪馬台国時代の軍事的長(卑奴母離)を(卑離)と記録者が省略化したのだと思う。
卑離(ヒリ)国
占離卑(センリヒ)国 ←(単に写し間違いと思われる)
監奚卑離(カンケイヒリ)国
内卑離(ダイヒリ)国
辟卑離(ヘキヒリ)国
牟盧卑離(ボウロヒリ)国
如来卑離(ジョライヒリ)国
省1
420
(2): 05/06(月)01:47 AAS
ヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、

3世紀から4世紀頃の日本の邪馬台国の国境を守備する軍事的長の名称。
後に地名、駅名、神社名等に残る。
またヒナモリの「モリ (守) 肥後守ひごのかみ」などカバネとしても使われた。

邪馬台国時代の軍事的長。
『魏志倭人伝』は、邪馬台国に属する北九州の対馬国、一支国、奴国、
および不弥国の副官に「卑奴母離」(ヒナモリ)がいたことを伝えている。

これらの国々は邪馬台国の外国交易ルートに位置し、
外敵や賊に対する守りを固めるために置かれた男子の軍事的長の称号と考えらる。
421: 05/06(月)01:48 AAS
4世紀は高句麗によって楽浪郡を滅ぼされ(313年)中原の支配から解放され
伯済國は百済へと斯盧國は新羅へと纏まって建国して行ったんだろう。

南部の倭人地域は混乱したが卑奴母離(ヒナモリ)などの
一定の軍事力は保持してただろうが、北部から高句麗勢の軍事力をバックに

南下政策をとった過程で倭国の勢力地域も侵され高句麗、百済、新羅、倭国の
四ツ巴、戦闘状態の天地が引っくり返る様な状態な時
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