5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (815レス)
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10: 2024/02/18(日)20:29 AAS
魏志鮮卑伝の裴松之注には、魏書曰くとして「鮮卑王、檀石槐が烏侯秦水まで行った所、
数百里にわたって水が停滞していて、中に魚がいるのに取ることができなかった。

汗人が魚を捕るのがうまい(善捕魚)と聞き、東の汗国を撃って千余家を手に入れ、
烏侯秦水へ移し置いて魚を捕らえさせ、食料の補助とした。
今に至るまで、烏侯秦水のほとりに汗人数百戸がある。」という記述がありますが、
後漢書では「汗人が倭人」に置き換えられています。

北魏、酈道元(れきどうげん)の『水経注』には、
遼西を流れる白狼水の支流に??平川水というのがあり、
「水は西北平川を出て東に流れ、倭城北を経る。蓋し倭地。人これに移る。」
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倭人がなぜ遼西周辺にいたのか?
三国史記、高句麗本紀には倭山という地名が現れます。
倭人たちは、どうも朝鮮半島北部にまで広く活動展開していたらしい。
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