5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (815レス)
1-

365
(1): 2024/04/19(金)18:37 AAS
 東洋史研究者の岡田英弘氏も越人の役割を高く評価しており、その著『倭国』で、
「越人の海上活動は、……燕人の朝鮮半島進出よりも一足早かったのだから、
日本列島に弥生文化を持ち込んだのは、実は越人だったかも知れない」と記している。

 春秋時代後期から戦国時代にかけての越の動向を見ると、呉を滅ぼした越王勾践は、
その都を現在の山東省の琅邪(一説に江蘇省連雲港)に遷し、
諸侯と会盟して中原の覇者となった。この段階で、山東半島は越の領域におさめられた。

 紀元前333年頃、勾践の六世の子孫である無彊の代に、
楚の威王の遠征によって無彊王は殺害され、越は楚に滅ぼされた。
その際、一部の越王族が南方の?(現在の福建省地方)に逃れ、?越と呼ばれ
弱小勢力になったとされるが、東方の黄海を経て韓地南部に逃れた集団があったことも、
省3
1-
あと 450 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.007s