5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (815レス)
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155: 2024/02/21(水)00:42:34.67 AAS
「支石墓・石棚墓・卓上テーブル型支石墓」
紀元前1700年〜紀元前256年頃ということは殷(商)から春秋・戦国時代
「紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現」
朝鮮半島北部の支石墓は山東半島→遼東半島→遼河→吉林省→朝鮮北部といった流れ。
山東龍山文化時代は紀元前2600~1900年頃、岳石文化の時代は紀元前1900~1500年頃です。
浙江省温州地市瑞安 (碁盤型石棚墓)紀元前1700年〜紀元前256年頃にかけて
「江南地方で営まれた墓制、石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。
中国南部、長江下流域、江蘇省でも支石墓が見つかった。
山東半島 「紀元前1500年頃
遼東半島 「卓上テーブル型支石墓・北方式支石墓」紀元前1500年頃
省6
202: 2024/03/08(金)21:42:24.67 AAS
クレタ島と云えばミノア文明で牡牛信仰、 「牛頭リュトン、紀元前16世紀」のもので、
ミノア文明の牛頭信仰に基づいている、日本の牛頭天王スサノオと関係あるかも。
彼らは甕棺墓、S字形の渦巻紋、埴輪文化もある。
外部リンク[htm]:yuuhis.travel.coocan.jp
おまけに、近畿・中国地方に多く分布している、家形陶棺までミノア文明にはある。
外部リンク:ja.wikipedia.org
266: 2024/03/27(水)19:56:54.67 AAS
>>163
なんなら「10時台に上がってやることがおっさん過ぎるで
307: 2024/03/29(金)00:52:18.67 AAS
どこでもいいだろ
証拠はなに???
短卒のとらもも何人もいたなそういえば
2chスレ:livejupiter
354(1): 2024/04/17(水)18:29:30.67 AAS
済州島 済州龍潭竜洞4号支石墓(板 囲石式支石墓・石小屋墓)
外部リンク:www.sankei.com
済州島にも支石墓があるが、ここの支石墓は変わっている。墓は地上に造られていて、
板石を楕円形に立て並べた形は卓子形に通じないこともないが、印象はまったく異なる。
これとそっくりの支石墓を、実に意外なところで見た。
「中国浙江省瑞安」には、不思議なことに支石墓(石棚墓)が集中している。
しかも、済州島の板 囲石式支石墓に酷似していた。
囲石式支石墓 (済州式支石墓)
済州式と呼ばれる囲石式支石墓は埋葬主体部が地上に露出しているが、
数枚の板石が上石の下端に沿って立てられた形態を呈する。
省5
378: 2024/04/21(日)23:58:17.67 AAS
「玉鉞・刻文付有孔石斧」山形県羽黒町中川代遺跡(縄文中期)
外部リンク:utukusinom.exblog.jp
文字は「之と生の合体字?」の甲骨文字である。
380(1): 2024/04/23(火)16:17:39.67 AAS
箕子は、殷文武丁(28代王)の子、『史記』殷本紀によると、箕子は殷室直系の一族。
甲骨文字は、古代中国の遺跡から出土する甲骨(亀の甲羅や牛の肩甲骨など)
に刻みつけられた文字。特に、殷(商)時代後期(第22代殷王武丁以降)
(紀元前13世紀半ば頃)の占卜(亀卜)に使われた甲骨上の文字を指す。
箕子にはそれなりの歴史的背景が考えられる。
中国古代の殷・周金属文化圏では、紀元前10世紀以後、山東の斉の箕族が、
殷・周の権威のもとで、朝鮮西部に接する遼寧で活動していた。
外部リンク[html]:k.sina.cn
「北京市順義県」「河北省東部」「遼西大凌河」で「其」「㠱侯」という銘の
西周初、箕子時代の青銅器が多数発掘され、箕子と関係づけてとらえる意見がある。
省2
429(2): 2024/05/25(土)16:06:00.67 AAS
ヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、
3世紀から4世紀頃の日本の邪馬台国、ヤマト王権の国境を守備する軍事的長の名称。
後に地名、駅名、神社名等に残る。
またヒナモリの「モリ (守)」はカバネとしても使われた[1]。
「肥後の守 ひごのかみ」「越前の守 えちぜんのかみ」などの「守 かみ」など。
魏志倭人伝の卑奴母離は、奈良時代以後の夷守(ヒナモリ)と同じ言葉と見られる。
[1] 歴史学の大家、太田亮『日本上代における社会組織の研究』1921年の中で。
735(1): 2024/09/04(水)18:10:32.67 AAS
ヒナモリ(卑奴母離、比奈毛里、鄙守、比奈守、夷守)は、
3世紀から4世紀頃の日本の邪馬台国の国境を守備する軍事的長の名称。
後に地名、駅名、神社名等に残る。
またヒナモリの「モリ (守) 肥後守ひごのかみ」などカバネとしても使われた。
邪馬台国時代の軍事的長。
『魏志倭人伝』は、邪馬台国に属する北九州の対馬国、一支国、奴国、
および不弥国の副官に「卑奴母離」(ヒナモリ)がいたことを伝えている。
これらの国々は邪馬台国の外国交易ルートに位置し、
外敵や賊に対する守りを固めるために置かれた男子の軍事的長の称号と考えらる。
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