5世紀頃までの国境と守備軍事的長ヒナモリ Part1.1 (761レス)
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46: 02/18(日)21:09:30.91 AAS
饒速日「後から来て天孫を名乗るお前は何者だ。我こそ天孫ぞ」
神武「(饒速日の弟の)邇邇芸の末裔です。これ(天羽羽矢)が証拠です」
饒速日「おお、それはわしのものと同じだな!確かに同郷(筑紫)の者らしいな」
長髄彦「我々の軍勢にも被害が出ていますし、まさか和解することはないでしょうね」
饒速日「天神の子は人間(の論理)とは違うのだ」
長髄彦「納得いかないので戦闘を継続します!」
饒速日「そんなことは許さん!命令を聞かないなら手打ちにしてくれる!」
神武「ありがとうございます。筑紫は(倭国大乱で)荒れていて暮らせないので、
ここにいさせてください」
饒速日「うむ、大叔父としてお前を迎え入れよう」
136: 02/19(月)18:05:36.91 AAS
長江・東シナ海ルートについては、日本から向かって行くのは遣唐使船の例を
挙げるまでもなく古代においては相当困難な航路なのですが、
逆に来るのは西風・対馬海流の順風・下流方向でそうでもないという話を聞きました。
現在でも上海辺りから漂流して自然に九州に着く船があるそうです。
そのため長江流域から稲をもたらしたのは、計画された船団ではなく
遭難して漂流してきた小舟だった可能性があるとの話でした。
そして、たまたま縄文人家族に助けられた中に農業に詳しい遭難漂流民がいて
水田稲作の方法を教えた。
176: 03/03(日)21:54:13.91 AAS
魏志倭人伝の世界は南方的だ
外部リンク:blog.goo.ne.jp
「倭人は長弓を用いていた」
倭人伝は「木弓は下を短くし上を長くし【これは長弓を表す】、
竹箭は或は鉄鏃、或いは骨鏃なり、有無する所は、儋耳朱崖(海南島)と同じ。」
と記している。つまり海南島は長弓で倭人が用いる長弓と同じであると云っている。
下の写真は、奈良・唐子鍵遺跡(倭人伝と同時代)出土の弥生時代の長弓で、
復元推定長さ2.0〜2.3mと云われている。
このような長弓の分布は江南の呉越からインドシナ半島東部、フィリピン諸島、
インドネシア諸島に分布している。
省3
197: 03/08(金)17:01:21.91 AAS
「文明の定義」
人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。
特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、
技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。
「文字」
文字によって人類は、個人が考えたことを多くの人に伝達したり、
個人の記憶を記録として集団に行き渡らせることが可能になりました。
あるいは、高度な統治・食料生産システムを築き上げ、長期的・持続的に発展する、
社会の在り方を作り上げることに成功していた特徴などが文明にはあげられます。
451: 07/11(木)21:40:07.91 AAS
球場ラヴァーズみたいな感じかもね。
613: 08/19(月)02:34:48.91 AAS
明日はもっと楽しみがたくさん食って
736: 09/04(水)18:11:14.91 AAS
4世紀は高句麗によって楽浪郡が滅ぼされ(313年) 中原支配から解放された、
伯済國は百済へと斯盧國は新羅へと纏まって建国して行ったんだろう。
南部の倭人地域は混乱したが卑奴母離(ヒナモリ)などの
一定の軍事力は保持してただろうが、北部から高句麗勢の軍事力をバックに
南下政策をとった過程で倭国の勢力地域も侵され高句麗、百済、新羅、倭国の
四ツ巴、戦闘状態の天地が引っくり返る様な状態な時代だった。
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