[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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194: 04/15(月)22:52 AAS
>>190
北魏は曹魏の後継者。東晋は呉の復活と呼ばれた。
195: 04/15(月)22:53 AAS
>>193
畿内に行くのに九州陸行する意味は
196: 04/15(月)23:10 AAS
191
バカは早く死ね
197: 04/15(月)23:11 AAS
194
呉ってのは中国東海外にいたやつらによる中国の呼称だぞ
198: 04/15(月)23:19 AAS
>>193
日数は、AからBに着くまでの日にちで、距離ではない。
199: 04/16(火)00:05 AAS
>>186
九紫は?
紫色の古代中国で最高貴な色と認識してたようだけど
最高出力の光源エネルギーを持つのも紫色の光線だし
古代中国文化の科学的知能をも併せ持つ奥深さがわかる
200: 04/16(火)03:35 AAS
方角は修整するのに
他の科学的なアプローチは
無視していくのはなんなんだろうな

現代人が木船で2回失敗してるのも認めない
渦潮のとこ行ったら死んでたろ
201
(1): 04/16(火)12:37 AAS
>>193
>>162 にも書いたが
一次情報である距離と方角から
一万二千里のうち不弥国までで一万七百里だから残り千三百里。
水行は一日で千里だから、その後の水行二十日や水行十日陸行一月は無理なので
この二つの出発点は自動的に帯方郡ということになり、千三百里は誤差とするしかない。
また、邪馬台国は東の海の千里先に倭人がいるのだから九州の東海岸を含むことになる。

一次情報を改竄して好きな場所に邪馬台国を比定するのはご自由にw
202
(1): 04/16(火)12:46 AAS
『翰苑』(廣志)
邪届伊都 傍連斯馬
廣志曰 倭國 東南 陸行 五百里 到 伊都國 又 南 至 邪馬嘉国
百女国 以北 其 戸數 道里 可得 略載
次斯馬國 次巴百支國 次伊邪國

(魏略)
従帯方至倭 循海岸水行 歴韓国 到拘邪韓国 七千里
始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴 無良田 南北市糴
南度海 至一支国 置官 与対同 地方三百里
又度海千余里 至末盧国 人善捕魚 能浮没水取之
省18
203: 04/16(火)17:49 AAS
『翰苑』(廣志)
邪届伊都 傍連斯馬
廣志曰 倭國 東南 陸行 五百里 到 伊都國
又 南 至 邪馬嘉国
百女国 以北 其 戸數 道里 可得 略載
次斯馬國 次巴百支國 次伊邪國

廣志本文は、邪届伊都 傍連斯馬 だけですが、
唐代の注で到 伊都國から、
次斯馬國 次巴百支國 次伊邪國が
又 南 至 邪馬嘉国 
省5
204: 04/16(火)18:20 AAS
(魏略)
従帯方至倭 循海岸水行 歴韓国 到拘邪韓国 七千里
始度一海千余里 至対馬国 其大官曰卑狗 副曰卑奴 無良田 南北市糴
南度海 至一支国 置官 与対同 地方三百里
又度海千余里 至末盧国 人善捕魚 能浮没水取之
東南五百里 到伊都国 戸万余 置曰 爾支 副曰 洩渓觚 柄渠觚
其国王皆属女王也
女王之南 又有狗奴国 女男子為王 其官曰拘右智卑狗 不属女王也
自帯方至 女国万二千余里

魏志により近いけれど、梯儁による仮称、後に別名の
省12
205: 04/16(火)18:33 AAS
わすれたw

梯儁と張政の筆致の違いで
帳政の報告書には、到と至るの使い分けが有るのですが
これが反映しているので、
廣志、魏略、共に、筆致の違う二人、
梯儁と張政の報告書を見て、まとめています。
206
(1): 04/16(火)19:46 AAS
>>193
>>2-3
207
(1): 04/16(火)19:55 AAS
>>201
水行十日陸行一月は帯方郡が起点の日数



>>206
水行十日陸行一月は水行なら十日、陸行なら一月という意味

は両立しないんだが
意見統一しろ
208: 04/16(火)20:16 AAS
倭奴国(2万戸)=福岡平野
↓南方:水行20日(約40km)
投馬国(5万戸)=筑紫平野
↓南方:水行10日(約20km)、陸行1月(約50km)
邪馬台国(7万戸)=熊本平野

水行と言っても丸木舟、陸行と言っても裸足
畿内説は現代の感覚でもの言ってるんだろうな
209: 04/17(水)00:05 AAS
>>207
水行10日は陸行1月は、あるあるだけど
一月行は2000里なので意味が違う。
仁川~済州島は3月行。

半島西岸は水行20日で4000里。
九州上陸まで残り6000里は水行10日。
速度=日数は、風や海流の違いがある。

渡海は目視での1日千里で3日でも、
海岸水行には兵站調達や
潮待ち休息が有る。
210: 04/17(水)00:36 AAS
訳の分からない事を
211: 04/17(水)06:11 AAS
日数は費やした結果
一月行は2000里
一里は75m
倭の陸行は徒歩
水行には船が必用

魏時の使譯は2回だけ。
240年軍船による韓西岸初渡航
女王の処都まで万二千里
247年倭人船による倭人航路
伊都に常駐まで積算万五百里
省1
212
(1): 04/17(水)11:59 AAS
最強頭脳
213: 04/17(水)13:39 AAS
【倭人伝を正しく読む・行程1】(行が長いのでスマホなら横向きがお勧め)

01 倭人 在 帯方 東南 大海之中 依山島 為國邑 旧百餘國 漢時 有 朝見者
02 今 使 譯 所通 三十國 從 郡至倭
(魏時、2回の使の報告で30国を知った。使の報告に拠ると郡から倭に至るには…)

247年、帳政、伊都駐留の際の倭人船行程の報告書から引用

03 循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
04 始度 一海 千餘里 至 對海國 其 大官日 卑狗 副日 卑奴母離
05  所居 絶島 方可 四百餘里 土地 山險 多深林 道路 如禽鹿徑
06  有千餘戸 無良田 食海物 自活乗船 南北市糴
07 又 南 渡 一海 千餘里 名日 瀚海 至 一大國 官亦日 卑狗 副日 卑奴母離 方可三百里 
省16
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